日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

“下から目線”で得られる全体像


<俺はねえ、人を見下げることは嫌いなんだよ。俯瞰(ふかん)ていうと見下げるじゃないか>。映画監督・小津安二郎さんは語った。ローアングル(低い位置にカメラを置いて撮影する)技法を駆使する、小津さんならではの言葉である。

監督がセンチ単位で指示する位置にコップなどを置き、テーブルに鉛筆で印をつける。
ローアングルだから、その印は映らないのである。

撮影に対する姿勢は、いつも真摯で真剣。格調高く本物志向であり、ほんの少しだけ映る絵画も東山魁夷さんなどの本物だった。当然、静かな現場には緊張感があふれる。
でも、怒鳴るようなことはなく、スタッフを大事にしたという。

巨匠といわれた小津さんは、とても魅力にあふれた人だったようだ。

 

1608

 

社会から虐げられ、運命に翻弄される人たちを描き、多くの作品を残したのは作家・水上勉さんである。今年の秋で没後12年になる。

42歳で直木賞作家となるまでに、30種類以上の職業を経験したという。
水上さんの人生は“苦労の百貨店”とも呼ばれ、生み出される作品は自らの苦難の人生の反映だった。

禅寺の小僧になった体験は人生に大きな影響を与えたらしい。「口減らし」のためだった。寺で早朝から炊事や掃除。霜焼けの手を和尚に麻縄でくくられ、目覚まし代わりに引っ張られた。

ごちそうは和尚と奥さんの2人が食べ、自分にはまわってこなかった。毎日、赤ん坊のおむつ洗いもさせられた。そして、寺を脱走。

転職を繰り返すたびに人間観察を深め、文学を密度の濃いものに昇華させた。

直木賞受賞作品『雁の寺』や、金閣寺放火焼失事件(1950年)がモチーフになった『金閣炎上』、『五番町夕霧楼』では、小僧時代の体験が生きた。

 

1607

 

数々の問題への怒りと悲しみを書き続けた“社会派”でもあった。
水上さんの作品を読むたび、松本清張さんと共通なものを感じていたが、水上さんは服の行商のかたわら、松本清張さんの『点と線』をむさぼるように読んだという。
飢餓海峡』なども、大好きな作品のひとつである。

実在感のある人間描写も、様々な職業体験で苦労を重ねたことが基になり、リアリティー豊かな文章力が身についたと思われる。

欧米に追いつけ追い越せと、戦後の日本は“上”、“表”、“中心”を目指してきたが、水上さんは“下”、“裏”、“端”から、日本にものを言い続けてきた、とも評される。
水上さんと、その作品の批判的精神から学ぶべき点はとても多い。

<自分の道を歩き続けなさい。その道で見つけた友が“道友”であり、得た幸せが“道楽”だ>という。水上さんの言葉である。

1997年頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示したらしい。
PowerBookを持ち歩き、ワープロソフトで執筆もした。
重ねた苦労がにじむ水上勉さんの“下から目線”には、教わるものがとても多い。