日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

五月の蝿はなぜうるさいのか

 

ドイツの思想家、ゲオルク・リヒテンベルクいわく<蠅は叩かれたくなければ蠅叩きの上にとまるのが安全である>のだと。能の囃子方の話では、蚊のなかにも知恵の回るのがいて、鼓を持つ手ではなく、打つほうの手にとまる・・・らしい。

さて、昔の小説などでは「五月蠅い」と書いて、“うるさい”と読むことがよくあった。今月は5月であるが、蝿がうるさいとはとくに感じられない。昔と今はちがうのだろうか。

“うるさい”との言葉には、“物音が大きすぎて耳障り”や“面倒くさくていや”などと不快感に通じる意味にもなるが、“技芸が優れている”や“物事に対して見識を持ち細かいところまで気にする”などと、マニアックな意味合いもある。

 

 

今、日本の流行歌を「歌謡曲」とは呼ばない。歌謡曲のイメージといえば、“昭和”やアナログの“レコード盤”が思い浮かぶ。今の演歌やJポップなどとの共通は、部分的には見つけられるが、ジャンルを超えて一括りになった楽曲の集まりだったのかもしれない。

<おそろしくフトコロの広い、大きな器>だと、歌謡曲の定義を試みたのは作詞家の阿久悠さんであった。

謡曲全盛は1970年代であっただろうか。この時期にシンガー・ソング・ライターが多く現れて、“私たちのウタ”が“私のウタ”へと切り替わる。専門の作詞家と作曲に依頼していた楽曲も、シンガー・ソング・ライターが流行歌の歌手に提供してヒットを連発する。

今は、個人的な他愛のない独り言をボソボソ歌っているようなものばかりに思えることもある。だから、CDを買って保存する気にならず、データの配信(ダウンロード)が主流に取って代わられてしまうのか。音楽市場の分裂化はますます進みそうだ。

CDが全盛前の、LPレコードのジャケットも立派だった。直径30cmサイズで、写真や楽曲情報などアナログの付加価値も豪華だった。

 

 

レコード盤の時代、音に五月蠅(うるさ)いオーディオマニアの人がたくさんいた。お気に入りのレコードは2枚買って、1枚はまったく針を落とさず保存用にした。また、ある人は買って一度だけレコードで聴くが、そのときにオープンリールやカセットのテープに録音して、その後はテープで何度も聴く。

アナログのレコード盤はテープより音がいいが、難点は針を落として傷がついたり、ホコリやカビも大敵。回数を重ねて聴くにはリスクが伴うのである。

謡曲とは別に、クラシックやジャズ、ポップスの名曲を、幼いころからなんらかの形で聴いていた。小学校の放送でもクラシックが流れていた記憶がある。

無意識のうちに擦り込まれ、左脳で捉えていないので曲名や作曲者のわからないものがほとんどである。よけいなウンチクがないまま、クラシックやジャズを楽しく聴いてしまう。

どこかで聴いたことがあるようでない曲が一番いい、と玉置浩二さんが語っていた。夢の中や寝起きに曲が浮かび、あちこちへ確認して他にないと判明してから曲ができるのだ。ポール・マッカートニーの『イエスタデイ』も同じであった。