日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

正月をのんびり過ごす居場所

 

本年もよろしくお願い申し上げます。いつも読んでいただき、ありがとうございます。
そして、皆様のすばらしい記事をたくさん読ませていただけることに感謝しております。

明治の文人斎藤緑雨さんによると<十二月三十一日、敵ありて味方なし。一月一日、味方ありて敵なし>。

昔は大みそかになると掛け売りの集金人が押しかけて、世間も忙(せわ)しく、ざわついている。それが、わずか数時間寝て目覚めれば、めでたい元日に切り替わるのだ。

居場所は変わらずともわずかな時の区切りで、のんびりと過ごせるマジックの力が正月にはあるようだ。

 

2001

 

とはいえ、自宅の中でもお正月をのんびり過ごせる居場所の確保は必要になる。
<居場所なしルンバにさえもジャマにされ>。かつてのサラリーマン川柳にあった。

うちではルンバが使えない。ルンバに仕事をしてもらう“通り道”を作るために、片付けをする手間が増えてたいへんになるからだ。今日もこれから訪れる客人のために、リビングの“私のモノ”を片付けてわが部屋へ押し込まなければならない。

モノが増えて使うために身近に置こうとすることが、いざという時にはネックになる。

さて、昨今は10年前なら夢物語としか思えなかったものがどんどん実用化しつつある。無人機ドローンによる宅配が検討され、自動運転の乗用車の開発も進む。インターネットとの橋渡し役で、車載用AIスピーカーも具体化されつつあるようだ。

歌人・佐佐木定綱さん(書店に勤務)の作にある。<十年後存在しないかもしれない本と言葉と職種と我と>。人工知能は職を奪うだけでなく、いずれ人間を支配・・・と、恐れる学者もいる。

科学技術は10年先、人間をどこへ導くのか。インターネットにつながったモノがなにかの意図で勝手に暴走することもありそうだ。社会を便利にしたIT革命が、誰かから監視される仕組みを生みかねない。

  

2002

 

正月に凧上げをしたことはあるが、童謡の歌詞のように独楽を回した記憶はない。独楽回しは日常の遊びで、正月は親戚周りでお年玉が集まるのを楽しんだ思いが強い。

加藤楸邨さんの句にある。<負(まけ)独楽は手で拭き息をかけて寝る>。独楽は全力で回転することで身を保ち、時とともに失速し、止まり際にほんわかな哀愁が消え残る。線香花火も連想するが、どこか人の一生に似ていそうだ。

人類学者の香原志勢(こうはらゆきなり)さんの著書『人類生物学入門』によると、地球上に生まれては死んでいった人類の総数は「1120億人」なのらしい。過去200万年をさかのぼった“累積人口”の試算だという。

1120億分の1の自分が、1120億分の1の誰かに出会う。友人、隣人、そして親と子。まさに奇跡のような邂逅の確率だ。

こうしてエントリを書いて読んでいただけたり、楽しく読ませていただける出会い。それこそが「1120億分の1の奇跡」によるすばらしい出会いなのである。