編集者・作家・詩人の説得力は
昭和の時代に置き忘れてきたのだろうか。“骨のある人物”という言葉を近年はとくに聞かれないような気がする。
<自分の読みたい雑誌を作れ>が最初の指示だったという。新潮社の“怪物”といわれた伝説的編集者の斎藤十一(じゅういち)さんである。その斎藤伝説では、「貴作拝見 没(ボツ)」という、五味康祐さんへの手紙がある。
坂口安吾さん、佐藤春夫さんなど大作家の原稿も平気で没にしたという。反面、山崎豊子さん、吉村昭さん、瀬戸内寂聴さんという、戦後文壇を代表する多くの才能を世に送り出した。
さて、あの推理作家・松本清張さんは凶器として変なものが使われたという。1972年の短編小説『礼遇の資格』にて、フランスパンである。
<フランスパンが脳天を一撃しただけでアメリカ青年は眼(め)をまわし、つづく二撃、三撃によって床に伸びた>のだと。犯人は剣道二段で、古いパンだった、という設定だ。
清張さんの説得力とでもいうか、当時は納得させられていたがパンで人を気絶させるのはなかなか難しい気もする。思えばあのとき、私はフランスパンを食べたことがなかった。
作家、演出家の久世光彦(てるひこ)さんの『町の音』というエッセイの中で、好きな町の音を一つだけあげろと言われたら、<私は躊躇なく、この音と答える>とあった。
「夕食の支度をする音」である。鍋の蓋をとり落とす音、茶碗の触れ合う音、そして水を使う音らしい。たしかに、夕食の支度をする音の中には、幼き日の想い出が擦り込まれている。湯気に煙った窓があり、そこで夕食の支度をしている音が聞こえる。
今の時期は、秋の夕暮れ時に家の中で耳にした、かつての家族の声や息づかいも感じられそうである。
白やぎさんと黒やぎさんで、届いた手紙を読まずに食べ、手紙が無限に行き来する童謡が『やぎさん ゆうびん』である。
作詞した詩人の まど・みちおさんは著書で、<食いしんぼうの歌だと思ってくださるとうれしい>と書いている。生きることは食べること。そして、すべての生き物が無限に食いしんぼうなのだ・・・とも。
<なのに人間は、自分が食いしんぼうなのは心得ていても、隣の人やほかの生き物もそうだということは忘れてしまう。覚えておったら、世の中はずいぶんよくなると思う>。こうして、詩人は物事の本質を見抜くのである。
今週のお題「青春の1ページ」