立体的ではなく平面的な記憶
10歳代の頃、江戸川乱歩さんの小説をよく読んだ。登場人物としての若者の年齢としては、25歳との設定が多かったような気がする。当時の私はなんで? と思った。10代の若者の頭には25歳が大人だったからである。
歳を重ねるごとに、テレビや実際に目撃した数々の記憶が、立体的ではなく平面的になる。年代としては、かなり離れている出来事もすべて近くに感じる。
1963年5月24日、デストロイヤーと力道山のWWA世界選手権のテレビ視聴率は64.0%で歴代の第4位だという。
デストロイヤーの得意技「足4の字固め」が決まるも、力道山が体を反転させて裏返しになると攻守が逆転する。ほとんどこの繰り返しの場面なのに、ものすごい迫力であった。
試合はどちらもギブアップせず、レフェリーが試合をストップ。絡み合った両者の足が外れずたいへんであった。それにしても、プロレス人気は高かった。
<技術者の正装だから>。 1981年、皇居での勲一等瑞宝章の親授式に、真っ白なツナギ(作業服)で出席しようとしたのはホンダの創業者、本田宗一郎さん。魅力のある人である。結局は燕尾服にしたが、根っからの現場人間だ。
2019年3月6日、作業着で保釈された日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告は、映画のようなカムフラージュであったがすぐに見破られた。東京拘置所の玄関前に横付けされた大型ワゴン車ではなく、脚立を積んだ軽ワゴン車に乗り込んだ。
落語家のどなたかのネタだという。作業着の言葉を分解すると<サギ ヨウギ>。本田宗一郎さんと同じ自動車メーカーのトップだったこの人の作業服は、意味が違うようだ。
さて、バブル時代の前後だったか、テレビから文字通り24時間流れていた。<♪ビジネスマーン! ジャパニーズ・ビジネスマン>。勇ましいメロディーによる栄養ドリンクのCMであった。
日本中が浮足立っていた。天井知らずの景気で街は眠らず、企業戦士に昼も夜もない。コンビニだけでなく、外食産業などの24時間営業も国民の生活パターンを変えた。
<衝撃的な商品は必ず売れる。それ自身がルートを開いていくからだ>。日清食品の創業者・安藤百福(ももふく)さんの名言である。
チキンラーメンが発売されたのは1958年。スープを麺に染み込ませ油で揚げる。そして、お湯をかけ蓋をして3分待てばラーメンができる。画期的な発明といえる。
大量生産、大量消費、そして広告の時代の幕開けでもあった。<どんな優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない>と、安藤さん。
“ラーメンからミサイルまで”をキャッチフレーズにした大手商社が取り扱いたいとも言ったが、安藤さんは断った。「食足世平(食足りて世は平らか)」がモットーであり、“食が一番大事で、人類に貢献している”との信念がある。ミサイルと並べてもらいたくないのだ。