日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ガリ切りの名人と語呂合わせ

 

ふと、懐かしきことが思い浮かぶ。あの頃...手軽にプリントを作るとき、謄写版印刷機が欠かせなかった。どういう訳か、我が家にもあった。ロウ引き原紙に鉄筆でガリガリと音をたてて文字を書く。あのガリガリ感覚が蘇る。

そこからガリ版と呼び、その作業をガリ切りと言ったようだ。当時、学校の先生は上手で試験の問題なども手作りだった。その憧れで、自分も使ってみたものの、必ず手がインクまみれになった。

先生は見事な「学級だより」も刷っていた。デジタル以前の手書き文字ってやっぱりいい。文集や創作品も、謄写版印刷で作った。パソコンの文書より、熱き感覚だったのか。

<立派なことが書いてある本はどうせ嘘だから読まない>。百の能書きよりも一つの実証を大事にした。ホンダの創業者、本田宗一郎さんは読書嫌いだったとか。本田語録で“本には過去のことしか書かれていない”とあるそうな。

 

 

いいクルマ、いいエンジンであること は百の宣伝文句ではなく、一つの勝利によって実証したかった。本田宗一郎さんは、亡くなるまで自動車レースの最高峰F1世界選手権に血をたぎらせた。それでもホンダは、2009年以降F1世界選手権シリーズから撤退する方針を発表した。

昭和と平成の境目の頃から、新聞記者の生活は大きく変わったという。それまでは取材に出てしまえば、会社に連絡しないかぎり、行動の自由があった。職種は違えど、我が身も同感である。ポケットベルのおかげで、いつでも呼び出されるようになった。

新聞記者は他社の記者と居酒屋で一杯やっていると、一斉に鳴り響く。あのピーピー音だ。そこから始まるのが、公衆電話の争奪戦。当初、ポケベルは外出が多い営業職などビジネス用途で広まった。

それが、若い女性を中心に、数字や記号の表示機能を利用して、語呂合わせを楽しむ遊びに発展。大流行したのだ。

 

 

「0840(おはよう)」といった語呂合わせのメッセージが、発端だったのかもしれない。「12345780」では、6と9がないから「ろくでなし」。そんな“技あり”も生まれた。

平成8年(1996年)には、国内全契約数が1061万件に達した。← それも次第に携帯電話へと取って代わられることになるのだが。

1968年に電電公社(現NTT)が始めたポケベルも、2007年にNTTドコモは全サービスを終了。その後、ポケベルの事業を国内で唯一展開する東京テレメッセージは2019年9月にてサービスを終了した。

約50年の歴史に幕を下ろすきっかけは、契約者数が約1500人まで減ってきたことだという。今、謄写版などよりすごいことが簡単にできるパソコン、そして何でもできる高機能スマホが手元にあるが、できて当たり前が前提で、あのワクワク感がなぜか失われている気がする。