付加価値が主役に躍り出る
ヒネリや機知に富んだ話が好きである。“失敗は成功の元”とは、、こうすれば失敗するということを学ぶことであり、まちがってもすぐに訂正できる方法を知ることは大事。
失敗の許容範囲を知るのと知らないのではその差が大きい。また、若いときの心配はたいていが取り越し苦労のようでもある。
<会話ってのはキャッチボールやで。投げるだけじゃなくて、受けなあかんで。相手の話をうまくキャッチして、相手の受けやすいところに投げ返さなければいけない>。これは、さんまさんの言葉らしい。
知り合いにマラソン好きの女性がいる。毎日のトレーニングは欠かさない。何年も前のある日のこと、汗だくで買い物をするのはいやなので、走る前に自転車でパンとりんごを買って前カゴに入れたまま、練習場所の大きな公園に駐輪した。
園内をぐるぐるランニングして戻ってみると、りんごがかじられて、5枚切りのパンが中身だけ抜かれて、袋だけが残されていた・・・とのこと。
カラスの仕業かな、と思ったのだが、カラスがパンだけを抜くことも考えられず、腹が立ったと言っていた。それって、浮浪者のしわざかもしれないね、と私は応えたが、ご本人には気の毒だと思うが、なんかマンガみたいで想像するだけで笑ってしまう。
それよりもっと以前に、皇居近くの日比谷公園へ行ったとき、おもしろい光景を見た。公園のベンチで浮浪者が居眠りしていたのだが、脇に置いていたパンをカラスが盗み食いしているのだ。彼女の話を訊いた時、そのときのシーンがすぐに浮かんできた。
カラスは人間が思う以上に賢いかもしれない。現在も生ゴミを廃棄する曜日は多くの仲間が集まり、大声で鳴いて食料確保の情報交換をしているみたいなのである。
車がコンピュータと化して、あらゆるデバイスとつながろうという時代に、クマなどの野生動物も人里へ食料を漁りにくる。この先、アナログとデジタルがますます複雑に入り組んでくるみたいである。
コンピュータがまだ珍しいとき、今はハードが主流だがこれからはソフトの時代になると、よく聞かされた。ハードとソフトの意味や関係がピンとこなかったが、パソコンが出始めてそれが具体的になった。
その昔、他人の子どもであろうと子どもが悪さをすれば、叱りつけるカミナリおやじがどこの町内にもいた。最近は、それも聞かなくなった。その分、やさしい人が増えたのだろうが、無関心な人も多いだろう。地域のしつけ役としてはありがたい存在だった。
住宅街を歩くと、子どもたちが遊んでいた痕の落書きを見かけることがある。今の子たちも昔の子どもと同じでなんだかうれしい。道路でキャッチボールをする子どもも見かける。
これからデジタル化する車に、アナログの遊びをする子どもがうまく認識できるのだろか。車のみならずドライバーにも、(道路標識以前に)道の落書きは徐行標識と同じ、とのインプットを施してもらいたい。