日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

思い浮かぶ夏の風景と風物詩

 

白い雨脚から涼しげな名がついたらしい。夕立の別名に「白雨(はくう)」がある。急な雨で遊びが中断され、走る子どもたちの“はしゃぎ声”が聞こえてきそうだ。

そういえば、井上陽水さんの曲の中にも『夕立』があった。青空がかき曇り、水煙を立てて降り注ぐ雨。一瞬で蝉の声も消える。それもつかの間、すぐに晴れ上がり、また蝉が鳴き出す。

夏の雨といえば、涼を呼ぶありがたいもので恋しいものであったはずなのに、今はとんでもない災害をもたらすこともある。

<宇宙では刺激物がすごく欲しくなるので、梅干しが本当においしかった>。宇宙飛行士・土井隆雄さんの言葉だという。米スペースシャトル内で作ったという日の丸弁当の写真を、帰国後の会見(1997年)で披露した。

 

 

「梅干しの日」というのがあるらしい。7月30日で、その殺菌作用から、食べると難(7)が去る(30)の語呂合わせで生まれたそうな。

梅干のひと粒は、米の酸性を99%中和して、食べたほとんどの米のカロリーが吸収される役割を果たすとのこと。

弁当箱につまったご飯の真ん中に真っ赤な梅干しが1つ。栄養不足かと思いきや、そうでもないらしい。ベストセラー『梅干と日本刀』では、歴史学者樋口清之さんが“労働のための理想食”と、梅干しを讃えた。

湿気が多く暑かったり、寒かったりと、必ずしも住みやすいとはいえない日本であるが、日本人は少しでも快適に暮らすために、さまざまな工夫を重ねた。その最高傑作の一つといえるのが梅干しである。熱中症の塩分補給にも、活用されている。

こういう情景もずいぶん遠くなったようだ。店先でコンコンたたき品定めをする。これぞというずっしりしたモノをぶら下げて帰り、冷たい水に浸して家族でむしゃぶりつく。

夏といえばスイカ、という時代があった。子どもの頃、私の父親もよく買って帰ってくれた。その中身は、赤よりも黄色のことが多かった。凝り性の父であった。

 

 

食塩を振りかけてワイワイやるあの雰囲気に、今はほとんど出合っていない。

農水省の統計で、1973年に103万トンあったスイカの出荷量は、2015年には30万トン弱まで落ち込んでいるという。

重くて大きい。核家族の消費者には扱いにくいと敬遠されるらしい。農家でも若い担い手が減り、収穫が重労働で作付けをやめるところが多いとのことらしい。

イカだけに限らずであろうが、世の中の変化による受難なのであろう。スイカが元気だったころの夏には、さまざまな匂いがあったような気がする。子ども心の記憶である。

その関連で夏の風景が浮かんでくる。町には夕涼みの人が立ち、商店街はがやがやとにぎわっていた。今はそこも静まりかえったままである。原風景さえ残っていないところも多い。あの夏の匂いも、人口減、少子化などで消臭されているのだろうか。

 

 

今週のお題「夏休み」