日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

マーチャンダイジングの発想

 

ミステリー作家の内田康夫さんは、広告制作会社の経営者だったという。ピアノ、絵画、将棋やマージャン、囲碁と多趣味でもあった。ミステリー小説を43歳で初めて書いた。それが最後の趣味となる予定だったらしい。

江戸川乱歩賞に応募するも落選。しからば・・と、自費出版してみたところ編集者の目にとまった。

<小説は、まず読まれることが必要です>。読後感を悪くしないよう、意味のない暴力やポルノを描かなかった。作家になっても、仕事に対する考え方は変わらなかった。それは、“ふさわしい商品”を市場に提供するマーチャンダイジングの発想であった。

消費者の要求や欲求に合う商品を、適切なタイミングで提供するための企業活動といえば、大量生産・大量販売の20世紀に急成長を遂げ、世界市場を席巻したかつての日本家電メーカーが思い浮かぶ。

 

 

創業者の松下幸之助さんが大阪市で設立した製作所は、ソケットなどのヒット商品を生み、戦前に株式会社として松下電器産業に改称した。そのパナソニック(現在)は、昨年に創業100年を迎えた。

戦後も家電業界のトップを走り、テレビや洗濯機を普及させた。家電メーカーが世界に飛躍した背景には激しい競争もあった。

シャープは国産テレビ第1号を開発し、ソニーはテープレコーダーやビデオなどのパイオニア的な新商品を開発した。

かつては、松下ならぬ“真似した電器”とも言われ、今では“パナそっくり”と。

パナソニックは他社が先行発売して人気になった後に、自社製品を投入してシェアを奪った。その背景には、系列販売網と量産化の技術があったことはいうまでもない。

 

 

新商品に長けたソニーはモルモットと揶揄されたことがある。ソニーの創業者のひとりである井深大さんは、<モルモットで結構。我々は業界のモルモット、つまり先駆者としての役割を今後も担っていく>と応じた。

松下幸之助さんは、事業部制導入などで“経営の神様”といわれた。その土台にあった経営理念とは<水道水のように製品を安く大量に供給しようという「水道哲学」>である。

1990年代以降、円高や人件費の安いアジア企業の台頭で家電業界は劣勢に陥った。パナソニックも、巨額投資したプラズマテレビ液晶テレビとの競争に敗れ、巨額の赤字に沈んだ。

“モノづくり”はハードウェアの機能を競う時代から、AIとIoTを活用した“コトづくり”を競う時代へと移行中のようだ。しかし、商品の質が変わろうとも、マーチャンダイジングの発想は大事である。

もし今、この時代に松下幸之助さん、井深大さんをはじめとした各日本家電メーカーの創業者たちがお元気で生きておられたら、どのような状況に変わっていたことであろうか。