今 晩夏、それで晩春はいつ?
今年の“処暑”は8月23日。つまり、本日なのである。
二十四節気の処暑は、暑気が退散する頃。暑かった季節もようやく峠を越えておさまる時期とされるが、“処”という文字から<暑さが残る>との意味もあるようだ。それでも、“止まる”や“おさまる”の解釈もできるため、秋に向かっているのはまちがいなさそうだ。
処暑だけでなく、二十四節気は年により日にちの異なることがある。
処暑はだいたい8月23日になることが多く、2016年以降は2023年まで8月23日が処暑になるとのこと。また、今年は次の二十四節気である”白露”(9月8日)までが処暑の期間のようである。
落雁(らくがん)という干菓子がある。子母沢寛さんの『味覚極楽』によると、表面に模様があるのに、背中の方にはなにもない。<ああ、裏がさびしい、うらさびしい>ということで、宮中において賞味した公卿が、秋の雁を思い、雅(みやび)な名前をつけたらしい。
同様に、各地の銘菓には虚実とりまぜたいろいろないわれがある。
私のまわりにも、添えられた説明書きに目を通しながら、いただき物の菓子をおいしそうに楽しむ方がおられる。
それぞれの職場でも夏休み明けは、帰省や行楽から持ち帰った品々が揃い、お茶の時間を存分に楽しませてくれたことと思われる。
晩夏はいつも、去りゆく後ろ姿が寂しく、落雁の如き季節でもある。
晩夏で思い浮かべたことなのだが、今年の晩春はどうだったのかが、まったく思い当たらない。晩春を検索してみると。<春の終わり。春の末>とあり、陰暦3月の異称なのだそうだ。陰暦3月は今の4月9日が旧暦の3月1日とのことである。
私の暮らす地域では、3月末に桜が満開になった途端、4月に入り雨が続いた。その後も降り続き、まるで梅雨のようであった。梅雨本番でも雨が多く、やっと明けたと思えばいきなりの猛暑であった。晩春を感じられないままの夏は、けじめがなく、忘れ物をしたままのような気分であった。
小津安二郎さん、野田高梧さんの共同執筆である映画『晩春』の会話は、ふしぎでとてもおもしろい。
「東京はどっちだい」、「東京はこっちだよ」。
「すると東はこっちだね」、「いやァ、東はこっちだよ」。
「ふゥん、昔からかい」、「ああ、そうだよ」。
笠智衆さんと三島雅夫さんのやりとりがこんな感じで続くのである。
この場面だけでなく、“陽だまり”のような時間がゆっくり流れている。
意味のない会話のようなのだが、こういう時間のなかに幸福が隠れているものだと感じさせてくれる。これが“晩春”の本質なのかもしれない。だから、(晩春を飛び越した)いきなりの夏は、落ち着けない気持ちにさせられる。
一昨年、小津さんは生誕110年、野田さんが生誕120年にあたり、脚本を共同執筆していた当時の日記が刊行され、全作品の上映会も行われたようだ。
『東京物語』、『早春』、『麦秋』など数々の名作に、若く新しいファンが生まれただろうか。
おふたりの脚本はいつも、一升瓶で100本の酒を飲み尽くす頃に仕上がったという伝説がある。どおりで、上記のセリフもいい匂いがする。