日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

より深く知るためのメディア

 

“まさか”の語源には、目の前のことの「目(ま)先」だという説があるらしい。現実を表す言葉が、ありそうにない事象へと意味を転じたら不思議な気分になる。

<安倍さん得したよね。加計問題とか森友とか、関係ねぇ。相撲は強い。押し出しだよ>とテレビで切り捨てたのは、たけしさんである。テレビの情報番組が相撲一色になっていることへの弁である。

「まさかの現実」が多かった2017年も暮れようとしている。

大晦日恒例である除夜の鐘突きは、寺院へ多くの人に集まってほしいという思いから行われている行事だという。一年の煩悩を清め、初心に帰って新しい年を迎えるために突くものであり、大みそかであれば時間に関係なく行っていいそうだ。

 

2000

 

それでも、大半の「除夜の鐘」は大晦日の夜から元日の未明に行っている。そのため、住宅街にある寺では騒音トラブルになる例もあるとか。現代の流儀に合わせる必要性から、除夜の鐘にも変化が起きている。

参拝者の都合を考えた対応として、宝徳寺(群馬県桐生市)では2015年から、除夜の鐘突きの時間を日中に変えたそうな。

明治期に焼失した鐘突き堂を2014年に再建して地域の人に突いてもらおうと、同年の大みそかの夜に実施したところ、80人程度しか参加者が集まらなかった。子どもや高齢者が少なく、参拝者は寒さに震えていたという。

昨年に時間を早めたところ、約500人に増えた。「夜は自宅で過ごせていい」とか「子どもとも来やすい」などと好評のようだ。

円融寺(東京都目黒区)では2012年から、(最新技術と融合して)行列待ちする参拝者向けに、映像を建物に投射する“プロジェクションマッピング”を披露しているという。寒空の下、鐘突きの順番待ちをする人に楽しんでもらおう、との心遣いからである。

 

1999

 

私の場合その時間、たっぷりと呑んでテレビを楽しんでいる。とはいえ、テレビの放送番組は年々つまらなくなっている気がしてならない。今年から夢中になっているネット配信の番組の方がリアル放送の番組より楽しいのである。とりあえず、年末年始の目玉番組だけは録画して、あとから気が向いたときに観るつもりでいる。

テレビCMでも、インターネットの関連商品やゲームが目立つ。テレビは「知らないことを知るメディア」であり、インターネットは「知っていることをより深く知るメディア」と読んだ記憶があるが、まさにその心境である。

ゲームを知らない人に伝えるにはテレビCMが有効だというのもよくわかる。しかし、インターネットに興味や縁のない年輩者も多いだろう。ネットやデジタル機器がわかりにくくとも、融合的な目線で見られるとだいぶちがうはずなのだが。

<子供叱るな来た道じゃ/老人笑うな行く道じゃ>。この言葉が今の時代に当てはまるような気がしてくる。

本年も皆様にたいへんお世話になりました。よいお年をお迎え下さい。