日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

短夜の如く移りゆくモノたち

 

明けやすい夏の夜を「短夜(みじかよ)」という。今も、夏はひえひえの麦酒が一番なのか。<昨日は今日の古(いにし)へ 今日は明日の昔>。室町時代の歌謡集『閑吟集』の一編だ。時の歩みは速い。

<もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを、私は本当にやりたいだろうか>。米アップル創業者の故スティーブ・ジョブズさんは33年間、毎朝、鏡に映る自分にこう問いかけた。

「違う」という答えが何日も続けば、何かを変える必要がある。ジョブズさんは、「ハングリーであれ、愚か者であれ」とも説いた。

ニューヨーク株式市場で、米アップルの株式時価総額が米国企業で初めて1兆ドル(約112兆円)突破。世界の投資資金を引きつけ続ける象徴がアップルだ。ただし、ジョブズさん抜きではあり得ない。

 

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仕事で使う事務用品が無料で支給されたのは昔話だとか。自費で調達を、という会社が増えているらしい。その様変わりにおどろく。

国産鉛筆の生産量は1966年がピークで、昨年はその7分の1になり、1.8億本余りにまで減っている。シャープペン、ボールペンが身近になって久しいが、スマホタブレットにメモを残す人が増えている。

購買層の小学生もピーク時から半分以下の約645万人のため、商品価値としては頑張っている方かもしれない。私もなにかの折には鉛筆を使っている。

毛筆と和紙に代わり、鉛筆と洋紙、消しゴムが授業に用いられてほぼ100年だという。鉛筆とノートが学校を変えたともいわれる。

「読む、聞く」の受動的な授業が、鉛筆類の普及で「書く、描く」へ変わっていくからだ。そして、やり直しの容易さこそが、子どもの学習にとって無二の用具条件になる。

 

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今の暮らしにテレビ(放送)が必要か? などの記事をよく見かける。テレビの魅力が鉛筆の価値より低く思えてきそうなのである。

2017年の総務省の調査で、40代もネット世代であったという。40歳代の人がインターネットを利用する割合は平日利用83.5%での、テレビを視聴する割合を上回ったという。

数年前のコラムで、作家・藤原智美さんがテレビについて書かれていた。“テレビって本当に必要なのか”ということだ。

まえぶれもなくテレビの液晶画面がプツリと消えた。修理には多額の費用がかかるため、買い替えが一般的。

4Kは高画質だが、本放送の普及には時間がかかりそう。まずは、テレビなしの生活を1か月ほど続けた。

モニター専用機(ブラウン管)で、15年近くも愛用したアナログ時代の機器は、処分の際に惜別感すら覚えたが、液晶画面のテレビには、それがまるでない。映らないテレビを前にして、うっとうしいだけ。

そのちがいはなにか?

受像器への愛着は、放送された中身への愛着だったのではないか。液晶画面では、熱中して見た番組があまりない。理由が番組内容にあるのではないか・・・ということに気づいたという。

 

 

今週のお題「インターネットと共に」