日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人生の大先輩のエピソードは

 

どんなことでも、人生の大先輩のエピソードは興味が尽きない。『雨』などで知られる作家サマセット・モームは晩年、生涯最高の感激は何だったか、と問われ答えた。<戦場の兵士から「あなたの小説を一度も辞書の世話にならずに読んだ」という手紙をもらった時だ>と。

競馬を愛した作家・菊池寛さんが世に広めたという。<無事之(これ)名馬>。けがをしない丈夫な馬こそが名馬の印。馬主でもあった菊池さんは自分の馬が心配で、とにかく無事でいてほしいという願いもあったようだ。

“なつメロ”という言葉は、50年ほど前に懐かしい歌を集めたいくつかの番組が人気を得るようになり、“懐かしのメロディー”からの略が一般的になったらしい。1968年の大みそかに、当時 誕生したばかりの放送局だった東京12チャンネル(現・テレビ東京)が歌番組を企画した。

 

 

NHKの“紅白”と無縁になった東海林太郎さんや淡谷のり子さんたちの出演で、番組名は『なつかしの歌声大会』。予想外に高視聴率を記録したことで、なつメロがクローズアップされた。

また、なつメロ歌手というレッテルを貼られることを嫌って、出演拒否する歌手も出てきた。“なつメロ”とのネーミングで過去の歌手のイメージがつくのを恐れたのである。

とはいえ、なつメロはその歌でその時代までタイムスリップできる“時代の歌”でなくてはならない。世代間や人によってなつメロの楽曲は違ってくる。そんな歌を持つ者だけが、名誉のなつメロ歌手になれるのだ。

テレビ東京の大みそかの番組は、『年忘れにっぽんの歌』と改題され、一昨年で50回を迎えた。高視聴率を記録して、「こちらが本当の紅白みたいだ」という声の中、なつメロはスタンダードナンバーと呼ばれるようになっていく。

 

 

2度めの東京オリンピックが来年へと迫っている。前回の映画『東京オリンピック』(市川崑監督)は、家屋破壊のシーンから始まる。クレーンにつり下げられた鉄球が古い建物を打ち砕く。

<こんな記録映画があるか。撮り直せ>。試写を観て罵倒したのは五輪担当相の河野一郎さん。市川監督は、河野邸を訪ねて直談判したという。

「マラソンのコースは平坦な道を選んだのに、君は坂道ばかり撮った」。「カメラは正直です」。丁々発止のやりとりがあったが、最後は河野さんが市川監督の熱意に負けて承諾した。

封切られたその映画は、観客動員約1800万人という空前の大ヒット作になり、カンヌ国際映画祭の賞にも輝いた。ある人は真似る者なきモダンな感覚に賛辞を贈り、ある人は“光と影”の映像美を称えた。

その魅力の内側にある支柱とは、政界の大立者が相手であろうとも、芸術家としての能力を信じて一歩も引かぬ市川監督のプライドであったに違いない。監督は、『ビルマの竪琴』、『犬神家の一族』など数々の映画や、テレビ時代劇『木枯し紋次郎』で、鬼才の名をほしいままにしている。