長い花見の時代もあったとか
明治33年(1900年)、ソメイヨシノが(学術的に)桜の新種として認められたらしい。
それまでの花見ではどのように桜を鑑賞していたのだろうか。作家・藤井青銅さんによれば、昔の桜の名所は、“群桜(むれざくら)”だったという。
エドヒガン、ヤマザクラ、オオシマザクラなどの種が、いっしょに同じ所に植えられた。そのため、咲く時期や色彩が異なり1ヶ月間に渡ってのんびり楽しむのが元来の花見であった・・とのこと。
ソメイヨシノは見頃が1週間続くかどうかである。年に一度の花見だけにせきたてられる気持ちになり、否が応でも盛り上げられてしまうのだ。
3月27日のこと。東京都足立区千住曙町の荒川に停泊中の屋形船から出火、同船が全焼したという。燃えたのは約80人乗りの屋形船で、花見客ら20数人を乗せて出航する予定であった。
屋形船に乗っていた従業員は「芋の天ぷらを調理中に火を消し忘れ、休憩に入ってしまった」と説明した。調理などの準備を船内で天ぷらを調理中、油に引火したようだ。(たった一週間のための)花見の準備もたいへんなことで、危険が伴うようだ。
<逝く空に桜の花があれば佳(よ)し>。国民的歌手といわれた三波春夫さんの句である。2001年4月14日に77歳で死去した。
この方を“演歌歌手”と一括りにはできないだろう。前回の東京オリンピックと大阪万博のテーマソングを歌い上げ、国民を大いに盛り上げた歌手である。幅広いジャンルの楽曲を明るく伝え、楽しませてくれた。
昭和の時代は“歌謡曲”と呼ばれ国民に親しまれたが、当時の若者達が自分で歌を作りそれを歌い始めて、歌謡曲との名称は廃れていった。そして、既存の作曲家、作詞家の楽曲を歌う歌手たちは、“演歌”というジャンルに封じ込められた形になっていく。
本来の歌謡曲が復活すればいいのに、といつも思う。年輩者が集うカラオケスナックでは、昭和の歌謡曲が響き渡り、ときには合唱している。当時に生まれていない若者も見事に歌いこなしていておどろく。
三波春夫さんの歌がテレビで放送されることは少なくなったが、流行する歌の移り変わりは社会の空気の変化と関連するようだ。
<春の人けふの泊りを思はざる>(零雨)。春には旅気分にさせられる。一杯飲みながらの列車旅も格別だ。陽気に誘われて足の向くまま、気の向くままのドライブもいい。そのときは、歌謡曲を口ずさんでいるかもしれないが。