日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ロボットと身近になれるのか

 

<政府が開発を進める「多言語音声自動翻訳システム」が、あと1年ほどで完成にこぎつける見通しになった>と、2005年1月の新聞記事にあった。日本語、英語、中国語、韓国語の4言語を対象に携帯電話などを通じ、音声と文字で翻訳する仕組みとか。

電話口で「こんにちは」と話せば、相手には「ハロー」、「ニイハオ」などと届くようになるらしい。言語ごとに50万種の文章、500万語を翻訳してくれる。完成されているのなら、今年で10年目のシステムのはずだが、その出来ばえを私は確認できていない。

昨年末の記事で、東京・お台場のカフェの席に着いた訪日観光客が、メニューを(手持ちの)スマホで自動翻訳し、注文もできるというシステムが紹介された。

事前に専用アプリをスマホに入れておけば、入店前に食べたいものが選べ、メニューは英語やタイ語など10の言語に自動翻訳できるという。

店員も料理を説明する手間が省け、混雑時の注文待ちを短くできる。注文取りの手間がなくなり、店員の負担軽減にもなるという。将来は支払いや予約などもできるようになるらしい。

 

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人気のヒト型ロボット「ペッパー」のことを、ソフトバンク孫正義社長は<世界で初めての、愛をもったロボットだ>と繰り返した。

ペッパーは会話や外からの情報に合わせて、自分の“感情”をつくり出し反応する機能があるらしい。人が泣くと励まし、ひいきの球団が負けるとがっかりする。

人間とモノの間に、感情を介した関係が築かれれば、社会が変わるという。
そして、自ら動くロボットは、より強く人間の心に働きかけてくるため、ロボットとの関係に気をもみ、あるときは家族同然に感じるようにもなる。

しかし、ロボットとの関係が原因で人間が傷ついたり、犯罪を犯したりした場合、ロボットに責任を問えるのだろうか。このあたりは、ロボットに人格や意識はあるのか、という議論につながり、ロボットの判断に道徳をどう織り込むか、という課題にもなりそうだ。

 

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<この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨(にら)めて寝転んでいると同様な平和である。檻(おり)の鉄棒が一本でも抜けたら…世は滅茶滅茶(めちゃめちゃ)になる>。夏目漱石さんの『草枕』からの引用である。

たとえば兵士ロボットには「味方を守り、敵は殺す」と判断するプログラムだと察する。軍事的に正しいかもしれないが、敵にまわせばたいへんなことになる。

障害による行動の制約や負担を和らげたり、重労働を軽減したりする装着型ロボットがある。その技術を、(健康な体を改造して)身体機能を強化するために使うことも想定される。

ロボットと共存する社会をつくるうえでは、<技術的な課題だけでなく、社会的な公正さとは何かを踏まえ、一定の規範をつくる>などのロボット倫理が必要になってくる。

自動走行車もロボットといえるが、自動走行車の事故の責任はどうなるのか。法律も不十分で、(世界に先がけ)様々なロボットをつくってきた日本なのに<制度的な問題はほとんど議論してこなかった>と指摘される。

事故を起こしたら責任はメーカーか、所有者か。また、自動走行車同士の衝突ならどうなるか。<技術的に可能だというだけでは、公道を走れない>はずなのだ。

 

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ロボットや人工知能(AI)の発達により、経済や雇用の姿が変わるのではといわれる。
人間の仕事が、とって代わられるのでは、という指摘なのである。

今後10~20年のうちに危機を迎える確率が高い仕事としては、会計士、不動産ブローカー、ツアーガイド、保険の査定担当者などが挙げられているとか。

逆に、強みを発揮するのは、機械に任せられない分野だともいわれている。人の感情や心理と深く関わるなどと、人間を理解することで成り立つ仕事や能力だそうだ。

正確な外科手術はロボットが代行できても、患者や家族に対し、親身に相談にのるのは人間ならではのこと。自動翻訳機が発達したときは、母国語で論理的に考え、表現できる力がより大事になるのでは。