日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ほめてほめてほめちぎれ検定

 

職業を訊かれて「人間だ」と答えたのは、芸術家・岡本太郎さんである。
日本画家の千住博さんは、その話を著書に記し「究極の正しい発言」と絶賛した。

人はコミュニケーションすることで生きている。こころの奥底にある想像力、創造力を駆使して、(自分らしい表現手段で)伝えようとする時に芸術が生まれる。芸術は人間の本質そのものであり、千住博さんにとってそれは最上のほめ言葉だった。

時代の流れで、今や人工知能(AI)が人間らしさの“聖域”である芸術にさえ踏み込みつつある。故人作家の作風をまねて短編小説を創作したり、自動的に作曲をしたりと。

AIはどうなのか知らぬが、人間 ほめられて悪い気はしないものだ。

ネット内では、なじる、けなすなどのネガティブな言葉が飛び交うこともあるだろう。
現実の社会も昔よりとげとげしい時代になっている。叱られてばかりでは自己肯定感もどんどん低くなりがちである。

 

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目の前の小さな価値を見つけることを大切にし、短所も前向きにとらえる。おべんちゃらやおだてあげとは違う、ほめ上手の達人たちの検定があり、じんわり人気なのだという。

その「ほめ達」検定では、「自分が言われてうれしいほめ言葉」を5分以内で30個書き出すのを目標にしたり、5分間で(会社の上司などを思い浮かべ)「普段あまりほめない人の素晴らしい点を探すこと」を書き出す。

<ほめるということは、人、モノ、出来事の価値を発見すること>であり、<あら探しをやめて、プラスの面を探して光を当てること>でもある。

自分が正しいと思うことに照らし合わせ“ダメだし”するのではなく、物事を多面的にとらえて「いいね!」の評価をしあうのだ。

 

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普段、嫌だと思っていた人でも、いっしょに呑めばその人の良いところしか見えてこない。
私である。なんどかエントリでも書いているが、私は“ほめ上戸”であり、お酒が入るとマメになり目の前の人がものすごくいい人に見えてしまう。

かつての職場に酒癖の悪い四天王がいて、4人ともすぐに呑み相手に絡み、駄々をこねたり、ケンカなど、数えきれないほどのエピソードがある。それまでの呑み仲間からは煙たがられ、仲間もいなくなる。

私だけは彼らと抵抗なく呑めていたので、ためしに全員を集める実験を試みた。

酒癖の悪い者同志だから、ぶつかる可能性が大きい、と思いきや、癖の悪い者同志でおたがいを理解し合えている。まさに<毒には毒をもって制す>の結果であった、

車の自動運転や介護ロボットなど、10~20年後には国内の労働人口の49%の仕事がAIやロボットに置き換えられるとの推計がある。「ほめ達」検定を常に満点で通過するロボットも出てくるだろう。

私もその検定に挑戦してみたいものの、お酒をたらふく呑んでいるときしか実力が発揮できない。そんな弱点もロボットにはないはずだ。

それでも私はほめ上手のロボットに興味がある。いっしょにお酒を呑んだら“ほめ殺し”のせめぎ合いになりそうだ。そうなれば、うれしくて手放せなくなることだろう。