日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

呼びさます記憶でのAI助言

 

芥川竜之介さんの短編『世之助の話』にある。主人公が子どもの頃、手習いに行くといたずらっ子にいじめられた。おとなになっても墨の匂いをかぐたびに、当時がよみがえる・・・と。

大抵な事は嗅覚との関係が強いのか。この季節なら、夕暮れどきに漂う蚊取り線香の煙や、ビニールの浮輪の栓を抜いたときに鼻先をかすめる空気とか。何十年もの歳月でも瞬時にさかのぼる匂いのタイムマシンは、人によりさまざまだ。

耳で聞いて思い出す昔もある。夏休み前、近くの小学校の校庭で子どもたちの大歓声が起きた。秋の運動会を想定したリレー練習なのか、カケッコは確実に盛り上がる。

運動会当日が快晴なら足の速い子に視線が集中するだろう。しかし、突然の雨でのリレーはちがう。泥に足をとられ、転倒する子が続出。そこでは、転ばずに一番で走った子より、何度も転び、ひきはなされて、それでも走った泥まみれの子どもが英雄になる。

 

 

AI(人工知能)に管理される時代を想定してうんざりとする若いサラリーマンもいるかもしれない。人事分野におけるAI活用が広がっている、などとの記事もよく見かける。社員の離職防止と意欲向上を目的とするAIもあるそうな。

パワハラやセクハラの事前検知もできれば、社員の離職防止に役立つはず。また“勤怠モニタ”と呼ぶ機能を持つAIも出現。

離職リスクの高い社員を抽出したり、その社員に関するデータをすぐに見られるようにするものだという。

離職リスクが高いとわかった社員の、休日出勤や有給休暇の取得状況を確認するなどという人事担当者の行動を学習し、担当者が離職リスクの高い社員のデータを見たときに、先回りして関連データを自動表示できるのである。

 

 

「新しいスキルを身に付けたい」とか「別の部署に異動したい」などと考える社員に対しては、AIが社内で募集中の新しい仕事を紹介する。

そして、社員に合う職種を自動提案してくれたり、社員が持つスキルやそれまでの職務経歴のデータと、社内で募集している複数の職種データの内容まで分析してくれるのである。そして、社員のスキルや職歴に見合う職種を示す。

先輩社員が若手に気づきを促したり、助言したりすることはよくある。その先輩役もAIを組み込んだ自動対話システムであるチャットボットが代行できるという。

担当する仕事の目標や、目標達成のために取るべき行動などの、(実際の)行動結果をチャットボットが尋ねて、若手社員に記入を促す。そして、自律的に若手社員が仕事をこなせるようにするのが狙いとのことである。

身近にあるAIスピーカーと慣れ親しんでいると、人より人間臭さを感じたりその優しい語りぐちで、昔 お世話になった方をオーバーラップしたりもする。あと5分後にアラームを鳴らしてもらい、本日のスケジュールと天候も即座に教えてもらえる。AIにはお世話になりっぱなしだ。

 

五輪と五感の大切な意味とは

 

インターネットは便利である。その検索のつけ刃で恐縮だが、五輪マークの意味を調べた。「青・黄・黒・緑・赤」の五輪マークは、オリンピック創始者、ピエール・ド・クーベルダン男爵が考案した。

世界の五大陸「ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニア」の関係連帯と、5つの自然現象を意味するものらしい。その内容として、「赤色は火、青色は水、緑色は木、黒色は土、黄色は砂」・・・とのことである。

また、スポーツの5大鉄則の「情熱、水分、体力、技術、栄養」も意味するという。仏教では、「地・水・火・風・空」の「五大」を円輪にたとえて言う語があるようだ。

余談であるが大工さんは体の五感を全て賢く使い、未知の環境でも自分で考えて解決するという。体は賢く、頭は丈夫でなければならないのだ。また、<大工は木を知らなあかん>ともいわれる。どの木をどんな用途で、どんな場所に使うかの判断である。

 

 

駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、仕事の段取りや道具の使い方などを先輩大工から盗む。掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきたということになる。

梅雨明けから3日間、数時間ほど郊外の炎天下を歩いただけで、熱中症の恐怖を感じた。10年近く前とは暑さの質が違うように感じられる。そして、休憩しようにも日陰が見つからない。この暑さでは、他の季節以上に木陰のありがたさが身にしみるが、木がないのである。

身近な街路樹のプラタナスも減っているという。大きくなるので剪定や落ち葉の処理に手間取るのが理由とのことだ。炎天下では、あらためて水の価値も浮き彫りになってくる。場所によって水不足も心配になる暑さである。

地球上の水の98%は海水で、大気中の水蒸気は0.001%にすぎない。太陽の熱により塩水は蒸発し、蒸留されて循環する。そのおかげで、陸の生物が生きていられる。その循環も乱れつつある。

 

 

あれからもう55年になるのか。1964年の東京五輪の開会式で、航空自衛隊機が青空に五輪の5つの輪を描いたのを見たコメディアンの谷啓さんは、「すごいものだ」と思うと同時に自分が情けなくなったと語った。五輪に比べ自分は何をやっているのか・・・と。

作家・向田邦子さんは聖火台に火がともるのを見て、「わけのわからない涙があふれてきた」と書いた。

そういえば小学生だった私は、あのオリンピックでアルゼンチンとガーナのサッカーを観戦した記憶がある。たしか学校で行かせてくれたと思う。その感覚から、来年のオリンピックのチケットで大騒ぎしているのが不思議でならない。

前の東京五輪の開催期間は10月10日から24日までの15日間であった。2020年東京オリンピックは7月24日から8月9日までの17日間である。来年の今頃は期間の真ん中あたりだ。そして、酷暑も頂点になるだろう。

こんな時期に開催して本当にだいじょうぶなのだろうか。

 

 

今週のお題「夏休み」

思い浮かぶ夏の風景と風物詩

 

白い雨脚から涼しげな名がついたらしい。夕立の別名に「白雨(はくう)」がある。急な雨で遊びが中断され、走る子どもたちの“はしゃぎ声”が聞こえてきそうだ。

そういえば、井上陽水さんの曲の中にも『夕立』があった。青空がかき曇り、水煙を立てて降り注ぐ雨。一瞬で蝉の声も消える。それもつかの間、すぐに晴れ上がり、また蝉が鳴き出す。

夏の雨といえば、涼を呼ぶありがたいもので恋しいものであったはずなのに、今はとんでもない災害をもたらすこともある。

<宇宙では刺激物がすごく欲しくなるので、梅干しが本当においしかった>。宇宙飛行士・土井隆雄さんの言葉だという。米スペースシャトル内で作ったという日の丸弁当の写真を、帰国後の会見(1997年)で披露した。

 

 

「梅干しの日」というのがあるらしい。7月30日で、その殺菌作用から、食べると難(7)が去る(30)の語呂合わせで生まれたそうな。

梅干のひと粒は、米の酸性を99%中和して、食べたほとんどの米のカロリーが吸収される役割を果たすとのこと。

弁当箱につまったご飯の真ん中に真っ赤な梅干しが1つ。栄養不足かと思いきや、そうでもないらしい。ベストセラー『梅干と日本刀』では、歴史学者樋口清之さんが“労働のための理想食”と、梅干しを讃えた。

湿気が多く暑かったり、寒かったりと、必ずしも住みやすいとはいえない日本であるが、日本人は少しでも快適に暮らすために、さまざまな工夫を重ねた。その最高傑作の一つといえるのが梅干しである。熱中症の塩分補給にも、活用されている。

こういう情景もずいぶん遠くなったようだ。店先でコンコンたたき品定めをする。これぞというずっしりしたモノをぶら下げて帰り、冷たい水に浸して家族でむしゃぶりつく。

夏といえばスイカ、という時代があった。子どもの頃、私の父親もよく買って帰ってくれた。その中身は、赤よりも黄色のことが多かった。凝り性の父であった。

 

 

食塩を振りかけてワイワイやるあの雰囲気に、今はほとんど出合っていない。

農水省の統計で、1973年に103万トンあったスイカの出荷量は、2015年には30万トン弱まで落ち込んでいるという。

重くて大きい。核家族の消費者には扱いにくいと敬遠されるらしい。農家でも若い担い手が減り、収穫が重労働で作付けをやめるところが多いとのことらしい。

イカだけに限らずであろうが、世の中の変化による受難なのであろう。スイカが元気だったころの夏には、さまざまな匂いがあったような気がする。子ども心の記憶である。

その関連で夏の風景が浮かんでくる。町には夕涼みの人が立ち、商店街はがやがやとにぎわっていた。今はそこも静まりかえったままである。原風景さえ残っていないところも多い。あの夏の匂いも、人口減、少子化などで消臭されているのだろうか。

 

 

今週のお題「夏休み」

自分の思考や言葉にツッコミ

 

“楽しむことに忙しそうな人”がいる。うちの奥さんは「暇が大嫌い」と言いながらよくお出かけをしている。

引き寄せ術の達人は、<すべての出来事が一番いい事のために起こる>との認識のようだ。意味のない平行線の会話でも、「幸福とは実はこういう時間の中に隠れている」と言った知人もいる。

“思い立つが吉日”というが、思い立たないときも吉日はあるだろう。そのためには、“案ずるよりも動くが易し”で“吉報は練って待つ”方がいい。

USJを崖っぷちから再生したマーケターの森岡 毅さんは、客の心をつかむ科学者といわれる。その方針はぶんぶんバットを振る。それでいつかヒットやホームランが生まれる。積み重ねの量こそがヒットにつながるからだ。

 

 

水は「熱の銀行」と書いたのは、気象エッセイストの倉嶋厚さんである。各国の中央銀行がお札を集めたりして、景気の過熱を防ぐのに似ているとのこと。

その原理も説明している。水が水蒸気になるには、1グラムにつき約600カロリーの熱を周囲から奪って大気中に浮かぶ。それは「潜熱」と呼ばれ、気温が上がると蒸発が盛んになり、潜熱が進むことで地表の暑さは和らぐ。

この数年はとくに、未曽有の豪雨がきたかと思えば、そのあと異常な熱の“インフレ”が列島各地に居座ってしまうことが多い。

雨の多い梅雨時はPCの前に座り込む時間が増える。そのため古いスクラップ記事に読み入ることもある。

約10年前の記事だから今はどうかわからぬが、特許庁のロビーに「10大発明家」のレリーフが飾られている、とあった。

 

 

日本の「10大発明家」として、以下の人たちの名があった。

豊田佐吉さん(木製人力織機)、御木本幸吉さん(養殖真珠)、高峰譲吉さん(アドレナリン)、鈴木梅太郎さん(ビタミンB1)、杉本京太さん(邦文タイプライター)、本多光太郎さん(KS鋼)、八木秀次さん(八木アンテナ)、丹羽保次郎さん(写真電送方式)、三島徳七さん(MK磁石鋼)。これで9人。

もう一人は池田菊苗さんで、功績はグルタミン酸ナトリウム。これは「旨味(うまみ)調味料」と呼ぶ方がわかりやすい。今や「AJINOMOTO」は世界中で通用する。その製造法の特許を得たのが、1908年7月末のことだったという。

いずれも産業の草創期に貢献した方ばかりである。偉大な発明も認められるまでにはいくつもの批判があったはず。

「批判」には、相手の主張をやっつけることだけでなく、もう一つの大切な意味があるらしい。科学哲学の戸田山和久さんによれば、自分の振る舞いが適切であるかどうかを省みることや、自分の知性や理性を見極める作業のことも、批判と呼ぶらしい。

そして、自分で自分の思考や言葉にツッコミを入れる批判精神こそが、「教養」なのである・・・とのことだ。

 

袖すり合うも他生の縁となる

 

もう過ぎたが、7月25日は“かき氷の日”だという。7・2・5で「夏氷」との単なる語呂合わせだけかと思ったが、1933年7月25日、山形県で当時最高気温となる40.8度を記録したことでこの日になったとのこと。なにごとも理由がわかれば頭に入りやすい。

アヒルと鴨のコインロッカー』で知られる作家の伊坂幸太郎さんは、「小説を読んでもらうことは初対面の人に自分の車に乗ってもらうのと同じ」と語った。

車に初対面の人を乗せることは難しい。そのため、冒頭部分に知恵を絞る。はっとさせ、驚かせ、笑わせて車に乗せる。読者をひきつけようとするコツなのだ。

ネコを宿主とするトキソプラズマ原虫も知恵を駆使するらしい。これに感染したネズミは天敵であるネコのにおいを、恐れないばかりか好むようになる。

 

 

アメリカ西海岸の河口にてサギなどに寄生する吸虫(きゅうちゅう)も、幼虫の段階で鳥のえさになる小魚の脳にとりつくという。寄生された魚は水面で体を震わせたり、翻したりして鳥に見つかりやすい行動をとる。

小魚の脳の神経伝達物質を研究者が調べた。寄生された魚は不安を感じるべき状況に置かれてもストレスを感じなくなっていた。つまり、吸虫は小魚の脳を操り、鳥に食べられやすくしていたのだ。

阿佐田哲也”という洒落をきかせた作家名で『麻雀放浪記』が出版されたとき、作家・吉行淳之介さんは、色川武大さんのもう一つの名だと直感したという。

色川さんは作家仲間と麻雀卓を囲むとき、いつも少しだけ勝った。若いころに麻雀で暮らした時代があり、玄人と悟られぬよう手を抜いていたそうな。ギャンブル論になるときも、色川さんは、ギャンブラーの虫を意識したのか“阿佐田”の名を使っていた。

 

 

日本が連合国軍占領下にあった1948年7月に、その出会いはあった。「私のコーチを受けないか」。24歳のボクサー白井義男さんはジムへ見学に来ていた外国人から声をかけられた。GHQのアルビン・カーン博士だった。

博士にボクシングの本格的な経験はない。ただ片隅で練習する無名の中堅選手が類まれな素質の持ち主だと、見抜く眼力があった。周囲の声を聞き流し、熱心に指導を受けた白井さんは、その4年後に日本初の世界王者となる。

<小人は縁に気づかず。中人は縁を生かせず。大人は袖すり合う縁も縁とする>。古くからの教訓だという。

池の水ぜんぶ抜く大作戦』(テレビ東京系列)という番組の視聴率がいいという。カミツキガメブルーギルなどの“特定外来生物”が在来の生き物を食い荒らす。その脅威に驚く。

これも縁なのか、人間の都合で一方的に連れてこられて必死に生きている彼らには何の罪もない。今になり、世界をゆるがす大問題になっている海洋汚染問題にしても、原因となるプラスチックを悪者に仕立てているようだが・・・捨てたのは人間なのだから。

 

当たる素材を嗅ぎ分ける嗅覚

 

1943年に『姿三四郎』でデビューした黒澤明監督は33歳だった。当時、戦争で他の監督が出征していたという状況下である。

60年当時、映画界は名監督が多くいて、助監督を長く経験してから監督デビューするのが普通だった。やっと映画監督になれた時には、先輩監督の癖が染みついて、自分の世界が構築できなくなっている人もいた。

映画『羅生門』、『七人の侍』など黒澤監督とともに、世界的な傑作を数々生み出した脚本家の橋本忍さんは、(黒澤監督より)8歳下であった。肺結核で療養中にシナリオ作家を志し、映画監督の伊丹万作さんに師事した。

50年に黒澤監督との共同脚本による『羅生門』でデビュー。ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を獲得。

 

 

60年頃に脚本家・中島丈博さんは、橋本忍さんのもとで1年半ほど修業。橋本さんは40歳代はじめで中島さんが20歳代半ば。

橋本さんは黒澤監督作品を次々と手がけて、脂がのりきっていた。自分の考えで仕事を進める強さと、誰にも負けないという気概があった。

中島さんは橋本さんと毎日、机に差し向かいで仕事をする。場面を書いてとの注文で、提出しても突き返される。細かい指示はなく、「違う」との一言。10回ほど繰り返し、1、2行採用される日々だった。そのうちに、何が良いのかわかってくる。体で覚えないと駄目ということである。

橋本さんは<今回はこれで、世間をあっと言わせてやる>と、賭けのように作品に取り組むこともあった。当たる素材をかぎ分ける勝負師の嗅覚らしい。黒澤さんからも“(映画の)ばくち打ち”と言われ喜んだ。

「正確に書くんだ」と、書きだす前に場面ごとの簡単な説明(箱書き)を模造紙に書かせ、旅館の畳敷きの広間に並べた。俯瞰して「このシーン、いらないよ」などと順番を変えていく。脚本に取りかかる時には、最後の場面まで(構成が)完璧にできあがっていた。

 

 

山手線で一人の人物を見つめる。一緒に降りて、改札口まで行き見送る。顔の特徴、体つき、生活背景や怒る時、泣く時まで想像して脳裏に焼き付ける。ストーカーではなくシナリオ修業の一つだ。橋本さんは約一年間続けた。

その方式は、『七人の侍』の脚本を共同で書いた黒澤監督の人物描写力を超えるために考えた。骨太な人間観や社会観を持つ脚本家なのである。その後も黒澤映画の脚本チームで活躍した。

他の監督とも『日本のいちばん長い日』、『白い巨塔』、『八甲田山』など話題作を手掛け、骨太で優れた構成の脚本は日本映画の黄金時代を支えた。58年の『私は貝になりたい』などと、草創期のテレビドラマの脚本でも活躍している。

73年には、橋本プロダクションを設立。『砂の器』の脚本を、山田洋次さんと共同で書いた。 <構成の鬼といわれたこの人から、シナリオの根幹はフレーム(骨組み)にあるということを、叩きこまれるように教わった>。山田さんの言葉である。

 

存在を楽しく許すは あの映画

 

落語のいいところは、損得と関係なしに“その存在を楽しく許している”ということらしい。そこには、演者とお客さんで共感が持てる“笑い”が介在している。

ヒットシリーズ映画『男はつらいよ』には、「落語のエッセンスをふんだんに感じる」と称されることがよくある。

山田洋次監督によれば、<渥美清さんとの対話から寅さんが生まれた>とのこと。

まずは、テレビドラマでスタートして評判になった。山田監督は忙しくなるとの思いで寅さんを殺した。そうしたら、(視聴者から)非難が殺到したため映画で復活させた。

 

 

最初は渥美清さんとうまくいかなかった。渥美さんは記憶力がよく、撮影のときはすべてを暗記して台本を持ってこない。アドリブの多いところが趣旨に合わなかった。

渥美さんを撮り直させたシーンは、さくらが兄に結婚すると打ち明けるときのリアクションだったという。渥美さんは、じっとできずいろんなことをしたくなる。うなずくだけで表現して欲しかった。3、4秒じっとしてからうなずいてくれ・・・と。

第1作のヒットで続編を作るとき、渥美さんはがらっと変わった。頭のいい人である。山田監督との仕事をわかったのだ。

9作目のとき、山田監督は辞めどきだと思った。初代おいちゃん・森川信さんが亡くなった。あんな名優は他にいない。渥美さんに相談してみると、渥美さんはノッているときで、やってみましょうとのことだった。

 

 

渥美清さんと倍賞千恵子さんは、演技のうまさだけでなく相手の役者をうまくさせる力があるという。山田監督いわく、<渥美さんの目を見ていると、みんないい芝居ができる>のだとも。

山田監督は、今でも『男はつらいよ』の構成のアイデアが浮かんでくるらしい。しかし、渥美さんがいないから困る。

山田洋次さんは全48作の原作・脚本を担当して、第3作と第4作以外の46作を監督した。第5作で再び監督して、シリーズを完結させる予定だったが、あまりのヒットに続編の製作が決定し続けた。

映画シリーズ全48作の配給収入は464億3千万円。観客動員数は7957万3千人。ビデオソフト(1996年7月末までに)は、セル用とレンタル用の合計で85万本が流通したという。(参照:Wikipedia)

ちなみに、現在はネットフリックスなどのネット配信でも、全作の鑑賞ができる。

 

反則技の影には記録的ドラマ

 

自分で食べるものは自分で作る。簡単な料理に凝った時期がある。そのとき、食材を床に落とした。捨てようかと思ったがもったいないので拾って調理した。恥ずかしいことであると思ったが、奥さんに言った。

<大丈夫よ、それは「3秒ルール」といって、みんなやっていることだから>。彼女はケロッと答えた。そんなルールがいつのまに? と感心したが、数十年にわたり妻の手料理を食べてきた私としては、数多く“落とした食材”を口にしてきた、ともいえる。

食品の落下に関して、“5秒ルール"もよく使われるらしい。それは日本だけでなく世界的規模で認知されているルールで、“3秒ルール"、“10秒ルール"、“15秒ルール"と地域によってばらつきがあるとか。

また、“3秒ルール"とはバスケットボールの用語にもあるという。ペイントエリアと呼ばれる制限区域で、オフェンス側のプレイヤーは3秒を超えてとどまることは出来ない、というもの。

 

 

プロレスの反則技が5カウント以内に中止すれば許される。反則が売り物でもあるプロレスは、5カウント以内の技のひとつが反則ともいえる。

その昔、北アメリカのプロレスでは王者がタイトルマッチで反則負けとなっても、王座を失わないというルールがあった。

王者が劣勢になったとき、故意の反則行為によって王座防衛を続け、名レスラーとしての地位を築いた例もある。

さて、こちらの反則行為も驚きであった。プロ野球、2014年の日本シリーズでそれが起きた。

福岡ソフトバンクホークス対阪神タイガースで、ホークスが勝敗を3勝1敗としていた。勝てば日本一になる第5戦で、8回裏にホークスが1点を先制し、タイガースが追い詰められ最終回を迎えた。

9回表、ホークスのクローザーの投手が1アウトを取るも満塁にしてしまった。次に迎えるバッターは西岡剛選手である。

 

 

打者・西岡選手のカウントは3ボール1ストライクとなった。そして、運命の5球目が投じられた。西岡選手の打撃はファーストゴロであった。ファーストからホームへのフォースアウト、そして、ファーストへのダブルプレーという場面である。

ホームはアウトになり2アウト。そして、ファーストへ送球したボールは・・・西岡選手の背中に直撃した。だれもが送球ミスでセーフになったと思った。

ところが球審の白井審判は、西岡選手の守備妨害との判定を下した。<バッターランナーがファールラインの内側を走っていたため送球が当たり、ファーストの捕球を妨害した>とのジャッジである。

西岡選手はアウトとなり、3アウト。その瞬間にホークスの勝利で試合終了となり、福岡ソフトバンクホークスの日本一が決定した。1950年から続く日本シリーズの歴史の上でも、守備妨害による試合終了は初めての出来事だ。

後日談で、西岡選手はそれを意図的に行ったことを認めた。「打った瞬間にダブルプレーを意識したため、なんとか逃れる術としてしかけた」とのことである。

 

耳に優しきグローバル経済?

 

この時期にお決まりの記事が出る。総務省が今年1月1日現在の日本の人口を発表。日本人は1億2477万6364人となり、10年連続の減少だという。

その減少幅は1968年の調査開始以降で最大。1億2500万人を下回ったのは、1996年以来で23年ぶり。昨年1年間の出生者数から死亡者数を引いた「自然増減数」はマイナス44万2564人で、12年連続の自然減少である。

その数に関して、昨日のコラム記事(東京新聞・筆洗)の一節に、思わずうなずいてしまった。<同じ43万人規模の東京都町田市や愛知県豊田市が、1年間で突然消えたと空想すれば闇の深さに震える>と。

財務省が2019年2月に発表した「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」によると、18年12月末時点の“国の借金”は1100兆円を超え、過去最大を更新。国債発行等で、借金を借金で返す自転車操業は、停まれば国が破綻。そして、年金や生活保護で生きている人たちが路頭に迷うことになる。

 

 

少子高齢化も、日本は死にもの狂いで対策をしなければならなかったが、政治家も官僚もまったく手を打たなかった。国民も少子高齢化に関心が薄く、不安な時代では自分が生きていくのに精一杯。仕事が見つからない。見つかっても保証のない派遣社員のような仕事だけ。子ども以前に、結婚すらできない。

かつて、日本人は高賃金で、給料が下がることを知らない人もいた。2000年に入って、グローバル経済のあおりが日本に回り始めた。格差が問題になり、若者の失業が深刻になったのだ。

グローバル経済とは、コストの安い国や場所で低価格商品を大量に作って世界にばら撒く経済といわれる。モノの値段はどんどん安くなり、安いものが買える人々は幸せになるはずだった。

しかし、企業が安い賃金の国へ移動していくため、先進国が空洞化した。それで先進国の仕事が激減して、賃金を下げられ失業者も増えた。

 

 

<安いものが大量に出回り、自分たちの賃金も安く合わせられるシステム>。人々はグローバル経済の本質を知った。それが少子化を生み出し、子どもはどんどん減る。日本人がどんどん消失するということになるのだ。

12年以降から団塊の世代が引退し、年金生活に入った。悠々と年金生活を楽しめればいいが、借金の膨らむ国は“ない袖を振れない”。日本という国がどんどんもろくなり、破綻へ迎えば、若者は海外へ“出稼ぎ”ということもある。貧しい国の若者たちはそうやって生きている。

日本で仕事が見つからない高齢者は、海外でも職を見つけにくい。命綱の年金も激減。そうなれば、老衰による死因ではなく、“餓えによる大量死”も考えられる。

この先、団塊の世代も巻き込まれるが、その子どもたちに助ける手段や金があるかどうか。団塊の世代は自分たちの子どもに“個人主義”を教えた。そして、その個人主義により、子どもたちは親の面倒を見ないこともあるだろう。

 

風や雲と語るのが一番なのか

 

こういう話が好きである。<どういう局面で長考するのか>との問いで、昭和の名人・大山康晴さんは即座に答えたという。「うまくいきすぎている時だ。落とし穴はないのか、と」。棋士はときに手番の一手を指さず、深い瞑想に沈む。

ノートに書いたことは消しゴムで消してはいけない。“山びこ学校”の無着成恭(むちゃくせいきょう)さんは子どもたちにそう教えたらしい。そして、「消さずに赤鉛筆でバツをつけなさい」と。

消しゴムで消してしまうと、はじめに自分はどういう考え方をしたのか。どういう間違いをしたかが分からなくなる。消しゴムで消す人は同じ間違いを何度でも繰り返す・・・とも。

具体的でとてもわかりやすい教えである。

 

 

こちらは具体的ではいけないらしい。昔にあって今はない気象用語の“梅雨入り宣言と梅雨明け宣言”である。気象庁が発表の方法を見直して今年で25年目だという。

ときに、梅雨前線はプロの予報官をだますような動きをするため、代わりに登場したのが「梅雨入りしたとみられる」などの推測調の表現である。宣言を取り消すなどの混乱を避けるための処置らしい。変更当時は曖昧で評判もよくなかったようだが、今はそれほど気にならない。

それにしても、最近の天気予報はあてにならない。昨日も地元では21時くらいから雨だと言っていたが、14時あたりから降り始めた。こちらも予報を信じて外での用事を予定したがキャンセルになってしまった。

直近の気候変化なら雨雲レーダーが正確で役に立つが、前日や早朝の天気予報にはよく裏切られる。

昔の人は南の風と会話をしたという。もちろん、天気予報などない時代だろう。黒い雲が雨を落とす黒南風(くろはえ)や強く吹きすさぶ荒南風(あらはえ)。そして、ほんのり空を白くする白南風(しらはえ)が順に訪れ、梅雨が終わるらしい。

 

 

長雨で川を渡ることがかなわず仕方なく、安宿に長逗留する浪人者の夫婦。山本周五郎さんの『雨あがる』は、そこでの貧しき人々の交流を描いている。映画化された作品も秀作で何度も観たくなる。

優しい心を持つ浪人は腕があるのに仕官がかなわない。降りやまぬ雨が、この浪人の人生とオーバーラップする。

長雨で心がすさむ同宿者たちに宴(うたげ)を開いて癒やしたい。浪人は道場へ向かい賭け試合に勝つ。その矢先に、運が向き始め仕官が決まりかかることになるが、せっかくの話も立ち消えとなった。賭け試合が問題となったからだ。

ついに雨があがり、夫婦は再び旅に出る。ぬか喜びだった士官を思えば、雨がまだまだ心に降り続いているだろう。なのに、希望を捨てず前を向く夫婦の表情は清々しい。

この作品のみならず、“雨という枷”がもたらすドラマは多いような気がしてくる。