日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

含蓄のあるスナック道とは?

 

ゴールデン・ウイークという言葉は、1952年から新聞記事に登場した。5月の第一週に映画会社が話題作を封切り、宣伝を兼ねて銘打ったのが始まりとのこと。そのときは5月だけでなく、他の月でも<今週の邦画は見応えのあるゴールデン・ウイーク>などと売り込んだ。元は、映画が華やかしき時代の言葉である。

毎晩飲み歩いていた時代、ゴールデンウイークは太陽が眩しかった。カラオケの出始めでは、居酒屋のみならずスナックにもよく通った。スナックは独特な空間でもあり、ママやマスターとの距離感が近く、居心地の良さを感じさせる。

その雰囲気を好む常連客は、店のスタッフのように空気感を作るような気分にもなる。スナックライター・五十嵐真由子さんは、それがスナックならではの人情連鎖なのだという。

 

 

スナックでは常連客との一体感と、店側による家庭的なもてなしを受けることもある。会社などで見せない素顔もさらせる場所なのである。昔ながらの店では、かつての企業戦士たちも地元の交流場として利用している。

ママやマスターが長年の常連客と構築してきた店の雰囲気は、一見の客でも入りやすい。常連客の優しいもてなしを受けることもよくある。今は格安料金で楽しめて、カラオケで歌ってもカラオケボックスより安かったりする。

ただし、(スナックに限らず)楽しく飲んで過ごすには、暗黙のマナーが必要になってくる。身勝手な行動をとったりする困った客はどこにでもいる。そのことで店の空気感が変わると、常連客の居心地の良い空間を台なしにしてしまうことになる。

五十嵐さんによると、ママやマスターにとって、一見の客を入店させるかどうかは博打だという。他の客への気遣いがなければ、常連客の口数も少なくなりわずかな時間で雰囲気が凍りつく。

 

 

スナックの醍醐味は、ママとお客との一体感なのだ。カラオケではマイクを独占せずに、他の客の歌も一緒に盛り上げていくからこそ、自分の番に気持ちよく盛り上げてもらえる。

盛り上げられて、リモコンとマイクを離さず“ひとりカラオケ”を展開する人もたまにいる。それも、若い人ではなく年輩の方だったり・・・と。五十嵐さんいわく<カラオケとママ・マスターの独占はNG>らしい。

居酒屋よりも客同士の接点が大きいスナックである。ママやマスターのもと、年齢、性別、職業や役職を超えて皆平等。このあたりは、インターネットの世界に似ている。だからこそ一体感が生まれ、心から楽しむ時間を過ごせる。

プライバシーに関して根ほり葉ほり聞きたがる酔客もおられるが、当然タブーである。スナックでも、人間関係を構築するための基本は同じだ。

お店にも閉店時間がある。あらかじめ“引き際"を心得ておきたいところ。とくに初めての店では、自分を控え目にして盛り上げるのがいいようだ。常連客から受け入れてもらえるよう、粋に飲んで楽しみたいものである。

 

昭和よりピントの甘き平成か

 

<教え授けることはできません。君らとともに学んでいきましょう>。吉田松陰はこう返したという。幕末の松下村塾に2人の若者が入門し、「謹んでご教授をお願いいたします」と言われたときのこと。

人はみな対等。塾生たちを観察して、その資質を見極め、長所をほめて伸ばすことに松陰は努めた。“教え授ける”という態度はない。

元号の一週間前に亡くなったマラソンの指導者・小出義雄さんもそうだ。叱る、アドバイス、注意をすることの組み合わせのはずだが、相手の個性に合わせた指導と、小出さんの人柄で“ほめて育てる”選手育成方法になった。

将棋界の羽生善治さんは、AI(人工知能)による将棋を分析。<その場面その場面で、一番いい手を指していく。そこには対局の流れがない>と。蓄積データで最善の選択をする一方、継続性や一貫性はない。そのAIの思考法は強みにも弱みにもなる・・・と。

 

 

アナログからデジタルでこの商品も影響を受け、世界の音楽シーンを彩ってきたギターメーカーの米ギブソン・ブランズが経営破綻。

高級エレキギターで知られる同社は100年以上の歴史を持ち、エリック・クラプトンデビッド・ボウイなど世界のギタリストに愛された。2000ドル以上のエレキギターの40%以上を販売していたが、パソコンなどで作る音楽が主流になり、ギター離れを食い止められなかった。

パソコンのキーボード仕様の我が指も、ギターの弦を押さえられなくなって久しい。ギブソンには手が出なかったが5本以上のギターは購入している。

朝ドラ再放送で『おしん』を初めて観ているが、そこに気になる楽器が登場する。

<落第や吹かせておけよハーモニカ>。「変哲」という号をもつ俳人でもある小沢昭一さんの句である。憂いを含む清らかなその音色も、最近はほとんど耳にしない。

 

 

ハーモニカを吹き、『あの子はたあれ』や『丘を越えて』など戦前戦後の流行歌や童謡を歌い、一人語りで世を偲ぶ。味のある芸で昭和から活躍された小沢昭一さんも、平成24年に亡くなられた。

子供のころ小沢さんは、近所の仲間にハーモニカの手ほどきを受けた。「おれと同じように首を動かせ」。歳上の友は『日の丸の旗』を吹いて教えた。顔を寄せ合い対面する形では首の動く向きが逆だ。小沢さんはハーモニカを左右逆に持ち替えて吹いた。“逆吹き”奏法は生涯続いた。

近所の兄貴や姉貴に手まねならぬ首まねで教えてもらえる子は、今どれくらいいるのか。ハーモニカで奏でる曲は昭和の香りに包まれていた。「平成」の象徴を思うと自然災害、ネット社会、デフレなど様々あろうが、「政と官」のきしみなど霞が関の劣化は著しい。

昭和を生きたのは平成より数年多いだけなのに、平成へピントが合いにくい。原因はこのせいなのか。平成13年、21世紀における最初の年である2001年を迎えた。世紀をまたぐ経験は私にとって、かなり強烈な体験であったようだ。

 

遥か遠くの確信も来年からは

 

小学一年生の頃に、私は自分の誕生日が祝日になることを確信した。ただし、それがいつのことになるのかは不明のまま。それが来年から実現することになった。令和の新しい天皇陛下と同じ誕生日なのである。

平成の天皇は(事実上)恋愛結婚であり、お相手は一般出身。天皇家そのものが、日本の家族の象徴になってきたという。それは、抽象的な「国民統合の象徴」とは違う、幸せも不幸もある家庭の具体的な象徴なのだと。

「平成」は平和主義を大切にする天皇陛下のもとで、戦後の日本がめざしたものをかなりの程度に実現した時代でもあるという。

ちょうど一年前に、劇作家・山崎正和さんが記事に記された。

これほどの事前期間をおいて改元が予定されるのは初めてのことで、もともと改元皇位継承時に限って行われていたわけではないらしい。明治より前は、厄払いや願掛けのような理由で元号を改める例も多かったらしい。

 

 

改元は将軍の権力ではなく、天皇の権威によって決められるものであり、元号制度は日本文化に属し、日本政治に属するものではなかったとのことだ。

明治以降に改元皇位継承の時のみ行うという「一世一元制」が定まり、日本人と元号の関係に深い変化をもたらすことになる。

元号天皇一代に一つであるということは、日本人が、元号で表す一つの時代を「人格化」した・・・と山崎さんは言う。そして、ある時代を、天皇という人間の顔を持つ「時間の帯」としてとらえるようになった。

人や世代で、父母の姿、祖父母の思い出も投影され、人間的な距離感で一つの時代イメージとともに回想される。

 

 

明治天皇は終始一貫して政治の人であり、近代国家の形成を進める政治の中心に、天皇がいる時代であったようだ。歌人としても秀でた大正天皇は政治から一段離れ、文化の世界により多く生きたとも。“大正デモクラシー”という言葉が思い浮かぶ。

昭和天皇は、一夫一婦制の、近代的な家庭を作られたという。家族として生きる天皇家の姿が、戦後の日本の家庭像にも投影されていく。

<何かあったか子の口笛の淋しい日>(大西俊和さん)。

映画監督・大林宣彦さんは以前、風通しのいい木と紙の家が育んだ日本文化は“気配を思いやる文化だ”と語った。言葉を交わさずとも、いま誰が幸せで誰が傷ついているかわかった文化も、時代とともに変調をきたした。家族の絆が弱くなっているのであろうか。

元号には“昭和”と同じく「和」が含まれる。新建材の家は増えているが、当時と今で住宅の構造はそう変わるはずもない。“壁”ができたとすれば心の中なのだろうか。

 

未来と過去のどちらがお好み

 

「適当」という言葉は文脈により意味が変わる。「今は過ごすのに適当な気温だ」と使えば、状態や性質が求める条件に合うことになる。かたや「適当に相づちをうつ人」となれば、軽々しいイメージである。

「さばを読む」は数をごまかすことに使われる。青黒く輝く魚体に由来する鯖は、数も多く鮮度が落ちやすい。そのため、市場で素早く数えあげて売ったのが語源だという。

食べ物を流し込むように口へ入れることを「かっこむ」という。アニメ『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)で、不思議の国に迷い込んだ主人公のお父さんが、料理をかっこむ場面がある。

若いアニメーターはその動きが描けなかったという。なぜなら、「かっこむ」の意味がわからず、意味を聞いても経験がないため描けない。

 

 

私の体験で、靴ひものほどけた小学生に“ゆわく”ように伝えると、キョトンとして通じない。「結ぶ」と言い直してわかってもらえた。

子どもたちはタイムマシンで自分の将来を見たがり、大人は過去へと戻りたがるらしい。<時間を自由に行き来できるタイムマシンを一回だけ使えるとしたら>というアンケートの結果だという。

ある程度の歳になれば、時間旅行をするまでもなく自分の将来が予想でき、見たくもないという人もいるだろう。そんな未来よりも過去の自分や、亡くなってしまった親や友人に会いたい。“あの時”に戻り、過去の失敗をやり直したい、というケースもあるだろう。

<ノスタルジーとは、過去のいいとこ取り。苦しいこと、悲しいことは忘れ、良いことだけを思い出し、昔は良かったとなる>。過去の魅力について、脚本家・山田太一さんが書いていた。

 

 

広告コピー<トリスを飲んでハワイへ行こう>は、寿屋(現サントリー)の宣伝部にいた作家・山口瞳さんの作だという。1961年(昭和36年)、同社はハワイ旅行の懸賞を募集した。1等の賞品は「8日間で5つの島を巡る旅」である。

しかし、海外渡航はまだ自由化されていないため、とりあえず当選者に約40万円分の「ハワイ旅行積立預金証書」を贈呈した。その3年後に渡航が自由化された。

当選した64人の中で実際にハワイへ旅立ったのは4人のみだったという。残る人たちは現金で受け取ることを選択。

高度成長のスタートは切られたが、だれもが衣食住の“生活”を築くことに追われ、夢の海外旅行にまでは手が出せなかった。

約10年前には、昭和30年代の暮らしぶりを懐かしむ映画や催しが人気を集めた。当然、海外旅行も身近な日常の一部である。まさに<昔の夢が生活になり、昔の生活は夢になってきた>のだ。

なぜか、人生の中にはタイムマシンの要素が組み込まれているような気がする。

 

格言やジョークが当てはまる

 

<健康のためなら、死んでもかまわない>。<私は同じことを二度言わない。もう一度言っておく。私は同じことを二度言わない>。こういうジョークが好きだ。そして、<絶対になんてことは絶対にないんだ>と。

フランスの劇作家アルマン・サラクルーの格言だ。<人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する>。“結婚”を“就職”に置き換えてみるとどうか。“離婚”が“離職”で“再婚”は“再就職”に。

全日本空輸日本航空が1、2位で、JTBグループやエイチ・アイ・エスも上位10社内に。

昨年、就職情報会社などが2019年春入社の学生(文系)を対象に調査した人気企業ランキングである。景気動向や世相、学生の気質などによって順位は大きく変動する。今は身近な企業や業界が根強い人気のようである。

 

 

平成2年(1990年)の入社調査では、大手商社3社と大手銀行2社がトップ10に入っていた。昨年の調査でトップ10に入ったのは大手商社1社のみだった。一昨年秋に大幅な人員削減などを公表した大手銀行の場合、その影響が大きかった。

新入社員の過労自殺が発覚した電通も、2017年の8位から翌年は29位に急落した。(仕事を)休まないとか、無理をしてでもという価値感は、高度成長期に比べ現在は下がっていることだろう。

よい仕事をするためにきちんと休む。悪いことではない。無理をして心身を壊したら元も子もない。“休まない”を否定する時代の方が、正しいのはまちがいないようだが。

今朝の新聞にあった。ソニーが発表した2019年3月期連結決算(米国会計基準)は、最終利益が前期比86.7%増の9162億円だという。2期連続で過去最高を更新した。大幅に伸びには、好調なゲーム事業と音楽事業がけん引しているらしい。

 

 

ソニーは、本業のもうけを示す営業利益も21.7%増の8942億円で過去最高。売上高は1.4%増の8兆6656億円だという。ただし、20年3月期は、最終利益が45.4%減の5000億円と大幅に落ち込む予想だ。

家庭用ゲーム機「プレイステーション4」の販売台数が減少するほか、次世代機の開発費が増加し、ゲーム事業の伸びが一巡するからなのだという。過去最高の数字の時点で、一年後の大きな落ち込みを予測している。まるでゲームのような経営が今は、増えているのであろうか。

演出家・久世光彦さんによると、昭和の流行歌は二番から先がいいらしい。一番の歌詞は、テーマに寄り添い、状況や登場人物を描写しないといけない。心情に深く立ち入るのはその先のため、二、三番に“しびれる文句”があるのだという。

人生も、世の中も二番から先がおもしろいのはたしかだ。会社や学校で、最初のひと月が過ぎるという若者には、人間関係や職場になじめない人も多いだろう。顔を合わせてすぐの堅苦しい関係が終わり、人の味わいが見え始め、積み上がった仕事の中にやりがいを見つける時期でもある。

 

簡易さの裏側には人手いらず

 

地方へ行くと人の数が少なく、廃業店舗が目立つ。“東京一極集中”の言葉がどうしても頭に浮かぶ。しかし、そればかりではないらしい。

東京都への流入超過は1957年の24万4010人をピークに一度下降し、1967年から1996年までの30年間のうち、29年間は流出超過を記録している。同期間の他都道府県への流出は208万2586人だという。

地方暮らしがブームだともいう。移住者にとっては、アマゾンなどのネット通販が打ち出の小づちらしい。衣食などの生活用品を始め、映画や本もかんたんに賄える。

しかし、万能のようなネット通販の時代も移りゆき、“現実の店、ネット、無駄のない物流”などが融合した“新小売”が、今後の主役になるかもしれない。発信地は中国だ。

 

 

無人コンビニやスマホ決済と、中国流通業の変化は進む。丁寧な接客と洗練された店を誇った日本の小売業も、中国のIT技術に飛び越されるのではと懸念。

日本の大手流通グループも中国でITにより店員をぐっと減らした大型の店を作り、いずれ日本などにも広げる構想があるそうだ。電子マネーや顧客データなどを生かした新しい店を急ぎ開発するため、その参考になるのが中国の無人店舗だという。

時代の流れは建築現場にも大きな変化が・・・。大工がノミやカンナで木材を削り、穴を開けて柱やはりを組む。そして、何もなかった土地に戸建て住宅が姿を現す。

そうした建築現場は、もうほとんどないといわれる。今、木造建築の95%以上はプレカット工法らしい。プレカット工法とは、木造住宅に用いる木材を事前に工場で加工し、
現場に搬入する工法である。

大工が現場で一本ずつ木材を加工していく在来工法に代わり、コストカットや工期短縮に資するプレカットが急速に普及してきた。それを支えるのは木材加工の工場である。

 

 

ある会社の基幹工場は無人作業で、ベルトコンベヤーの上を無数の木材が流れていく。ドリルやカッターが器用に動き回り、1本の木材をはりや柱、(家を支える)構造材以外の部材などとさまざまに加工していく。

人間の仕事は木材の梱包や運搬、そして機械のメンテナンスだけ。別の工場ではそれすらも機械化を進めており、工場内に人間がいない。

顧客は、大手ハウスメーカーから地元の工務店まで広がり、プレカット抜きに木造住宅は成り立たなくなっている。プレカット市場の背景には、(木造住宅の)工法の変化がある。

かつて、柱やはりを組み、筋交いを入れることで骨組みを作る在来工法が主流だった。1970年代からコストと工期を圧縮し、住宅を大量に供給するための手法として、柱の代わりに壁で家を支えるツーバイフォー(2×4)やプレハブ工法が主流になってきた。

プレカットなら現場での作業は部材を組み立てるだけで、墨付けや刻みといった職人技術を身に付ける必要もなくなった。人手を省けば省くほど、家が短期間で建つようになっているのである。

 

ロスジェネ世代が中心なのに

 

“バブル景気”と呼ばれた好景気の急激な後退は1980年代後半に起きた。高騰し続けていた株価や地価も下落に転じた。

バブル崩壊後から約10年間の期間に就職活動をした人たちが、“ロスジェネ世代”と呼ばれるらしい。1970年~1982年頃に生まれた世代である。

ロスジェネ(失われた世代)といわれる人たちは、生きづらい青年期を生きて、今は30代後半から40代。社会に出る頃は不況のあおりで“就職氷河期”まで始まってしまう。格差や貧困といった問題にも直面した世代である。

本業以外にも収入源を確保したいと考える人は多いはず。しかし現実はなかなか厳しい。昨年2月、某協会が全国の20~50代の働く女性1200人へ副業に関する調査を行ったという。

 

 

副業に取り組みたい人は全体の22.9%で、理想の収入が平均で月5万2164円だという。金額帯別の最多は月3万円以上5万円未満で34.9%。既に副業をしている人は全体の19.4%で、その平均月収は1万9903円であり、理想との開きは3万円以上であった。

全体の過半数が月5000円未満のようで、(理想の)月3万円以上5万円未満を実現している人は6.9%にすぎなかった。

<正社員になります>。この3月、東京都内のある小学校の卒業式で1人の男子が、こう言ったそうな。東京新聞の社説にあった。目指す職業や進学する中学での目標を語る中での話だ。

今春卒業した小学生たちが生まれた約2年後の2008年、リーマン・ショックが起き、多くの派遣労働者が仕事と住居を一度に失い、非正規雇用の不安定さを社会に突きつけた。

本来、働くことはやりがいや喜びを感じるもの。そして自分が社会の役に立っている実感を得る大切な営みであるはずが、まずは正社員になることのハードルが高いのである。

 

 

平成の世に入り、バブル経済が崩壊し経済が低迷した。生き残りへ企業は賃金を抑える非正規雇用を増やし、非正規で働く人はこの30年で(働く人の)約2割から4割近くに増えた。その人数は約2千万人と2倍以上である。

生活を支える社会保障制度は時代に寄り添えているのか。そして、子どもを産み育てることを難しくしているのは何か。

非正規で働きだすと技能向上の機会も少なく、正社員になることは容易ではなくなる。低賃金で雇用も不安定だと結婚もままならない。当然、出産や子育てにも影響してくる。

長時間労働で仕事に追われる夫では子育てができないし、安定した高収入がなければ学費も賄えない。

誰でも汗を流して働けばやりがいと生活できる賃金が得られる。私が、今のロスジェネ世代と同年齢の頃はそれが普通のことであった。そういった労働に戻さなければならないのに、そこからますます遠ざかっているような気がしてならない。

 

 

今週のお題「平成を振り返る」

 

声の個性に魅了されることが

 

彼女の歌声が会場に響く。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の挿入歌『夢やぶれて』の一節である。審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになった。そして、割れるような喝采が贈られた。

天使の歌声。スーザン・ボイルさんの代名詞となった。そのオーディションの場面がYouTubeで公開されてから、閲覧数が爆発して一気にスター歌手になった。

アメリカのジャズアンサンブル、“ピンク・マルティーニ”のリーダーは中古レコード店由紀さおりさんのアルバムを手にとった。ジャケットの写真が気に入り購入。楽曲を聴いて歌声に魅了された。

由紀さんはピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が海外で高く評価され、2011年に世界20ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、iTunesジャズ・チャートやカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位を獲得。

 

 

現在は、国内外の教会のコンサートなどで神の愛を歌い、賛美歌の歌い手として活躍している本田路津子さん。

47年前の連続テレビ小説藍より青く』の主題歌『耳をすましてごらん』のあの歌声に聴き入ってしまった。彼女のオリジナル曲はその歌声とマッチしてすばらしいものばかり。『めぐりあうためには』という曲も好きで歌詞も素敵だ。

ふるえるような声と少したどたどしい日本語。『八月の濡れた砂』という映画作品は、若き時代の湘南海岸が舞台であった。作品の内容はどうということはないが湘南海岸のなつかしい雰囲気がたっぷり。

そのエンディングシーンに流れるテーマソングの歌声がたまらなく好きになった。石川セリさんが歌う映画と同名の曲である。

私の中の永遠の名曲『八月の濡れた砂』(作詞:吉岡オサムさん / 作曲:むつひろしさん)は今も宝物で、聴く度にからだがゾクゾクしてくる。

 

 

私が子どもの頃と比べ、男性の役者さんや歌手の方たちの声が高音になっているような気がする。裕次郎さん、雷蔵さん、勝新さん、高倉健さん、加山雄三さん、三船敏郎さん、など思いつくだけでも、魅力的な低音の役者さんたちがどんどん出てくる。

映画館の大きなスピーカーで聞く俳優の低音が大好きだった。声変りをする直前の時期、自分の声がどう変わるのかがわからない。どうしても低音になりたかった。その願いもどうにか叶った。

興味のないまま、騒がれていた『冬のソナタ』をネット配信で観ておどろいた。ペ・ヨンジュンさんがあまりにもすばらしかったからだ。

惹かれる第一の要因は、なんといってもあの低音の声。ソフトな顔立ちとの違和感がとてもよかった。日本の役者さんによる吹替版は、ヨンジュンさんより高音で声質もちがう。もし、初めに吹替版を観ていたら魅力は半減していたはず。

そして、ヨンジュンさんは市川雷蔵さんの再来にも感じる。共通点で、魅力的な低音はもちろんのことリアリズムの役者さんだから・・・なのである。

 

なんでもできるスマホの弱点

 

そよ風といえば春のイメージだが、そよ吹くとはかぎらない。つい先日も風の強い日があった。“鉄砲西”や“西風(にし)落とし”など、風向きの急変に準備する言葉はこの季節に多い。侮るな・・との戒めとして、気象用語の本にあった。

本といえば、“本屋ゼロ”の市町村・行政区が全体の2割を超えて久しい。人々に愛されてきた街角の書店が廃業しているらしい。私は経験ないが、立ち読みをしていてハタキでぱたぱたと掃除をする店主さんのイメージが浮かぶ。

ハタキにも“ルール”があり、<30分は立ち読みを黙認。それ以上の時間になると、やおらハタキをかける>。そして、客の方も心得ていてハタキが始まると本を書棚に戻し、店を出ていく・・とか。楽しそうな風景である。

 

 

本を読まない。またはネットでの注文が当たり前になったとのことで、町の書店は近年、毎日1軒のペースで消えているらしい。また、無料で漫画が読み放題とあれば、昔ながらの書店、出版社、漫画家の商売は成り立たなくなりそうだ。

海賊版サイトによる著作権侵害の損失額が推定で約4千億円、などときけばゾッとする。もちろん正規の料金を払う“読み放題”にしても、本の時代よりかなりお得感は大きい。

今ではスマートフォンで本や漫画を読めて、音楽や動画の視聴もできる。便利な道具であるスマホだから、その裏合わせで電池の消耗は激しい。

そのため、モバイル電池が(持ち歩きの)必需品となっている。私も外出時はカバンの中に入れているが、いざというときにつないだり付けたまま使うのがけっこうわずらわしい。

外出時に使用しているスマホのバッテリー切れを気にしなくてもよいということで、使わなくなったスマホを活用している知人がいる。スマホは一括購入すれば10万円前後する高価なモノである。部屋のどこかでホコリをかぶっているのならもったいない。

 

 

物は考えようで、使わないスマホには使える転用方法が多い。本体や外付けメモリーカードに、音楽や動画を詰め込み持ち出す。そして、音楽や動画の再生専用プレーヤーにしてしまうのだ。お気に入りのイヤホンで好きな音質も楽しめる。

在宅時などWi-Fiにつなげば動画や書籍の閲覧もできるし、音楽のストリーミングサービスも利用できる。古いスマホを(Wi-Fi接続で)チャージしておけば、オフラインでもおサイフ代わりに使える。他にも使い道は幅広いはずだ。

そもそもが、スマホで電源を多く使うのは画面を点灯させること。音楽を選ぶ操作や動画を再生する操作でどんどんバッテリーが失われる。

それらの作業を旧スマホにやらせて、現役スマホのバッテリー不足を気にすることもなく使い分ければいいのである。

 

 

今週のお題「新生活おすすめグッズ」

安物で銭失い ただは高くつく

 

“故事ことわざ”では、今も通ずるものが多い。<安物買いの銭失い>。安いものは品質が落ち、買って得をしたように感じるが、すぐに壊れて使い物にならなくなるから、高い買い物をすることになる。『江戸いろはかるた』の一つだという。

<ただより高いものはない>との言葉もある。本来の意味合いとして、「ただの物は返礼に苦労したり無理な頼みごとをされ、かえって高い代償を払う」ということ。

人類学でいう“互酬性(ごしゅうせい)”は、もらい物には返礼をという習慣で、ほとんどの人類の文化にはそれがあるそうだ。無意識のうちに、返礼や(代価の)支払いが浮かび、人の自由を拘束する力が潜むとか。

 

 

今はインターネットのサイトなどで、“ただ”と思い使うサービスのアンケートなどがクセモノである。個人情報や趣味嗜好、政治信条などと企業や外国政府に利用されることもあるらしい。

個人情報の搾取や詐欺の横行で、正規のサイトへのログインに手間がかかることも多くなっている。偽装サイトの方がすんなり入れてストレスにならない、と騙されることの悪循環にならないか心配である。

本人確認が多すぎるというのは矛盾であり、今の時代での盲点でもありそうだ。早くつながりたいとの一心で疑う余裕も失せてしまう。こういうユーザー心理を、本家本元は考えているのだろうか。

ああしてはいけない、こうしてはいけない・・・との教訓を受けても、行政や警察の名を語られると、逆にだまされやすくなるような気もする。

 

 

ノンフィクション作家・佐瀬稔さんのエッセイ『彼らは支払いを拒否できない』では、元世界ヘビー級王者のジョージ・フォアマンのことが記された。メキシコ五輪の金メダリストで、その一つ前の東京五輪の優勝者であったジョー・フレージャーを破り、無敗のままプロの頂点も極めた。

フォアマンは順調に勝利を重ねたボクサーである。当時25歳で、プロ成績は40戦40勝(37KO)。1974年には連続KOを24戦に伸ばしてモハメド・アリとの対戦を迎えた。

かたや32歳(当時)のアリは3年7カ月のブランクを経て1970年に復帰。王座奪回に挑んだ1971年のフレージャー戦でプロ初ダウンと初黒星(判定負け)を喫し、1973年のケン・ノートン戦でも顎を砕かれて判定負け。アリのフットワークに衰えがみられ、この試合でキャリア初のKO負けを喫して引退に追い込まれるのでは・・と囁かれた。

アリが劇的な逆転KO勝利をおさめたこの試合は物凄く、開催地にちなみ『キンシャサの奇跡』と(今も)呼ばれる名勝負であった。

<勝者は敗者の思いを、いずれ支払うべき負債として背負わねばならない>。彼らは支払いを拒否できないということなのである。