日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

遥か遠くの確信も来年からは

 

小学一年生の頃に、私は自分の誕生日が祝日になることを確信した。ただし、それがいつのことになるのかは不明のまま。それが来年から実現することになった。令和の新しい天皇陛下と同じ誕生日なのである。

平成の天皇は(事実上)恋愛結婚であり、お相手は一般出身。天皇家そのものが、日本の家族の象徴になってきたという。それは、抽象的な「国民統合の象徴」とは違う、幸せも不幸もある家庭の具体的な象徴なのだと。

「平成」は平和主義を大切にする天皇陛下のもとで、戦後の日本がめざしたものをかなりの程度に実現した時代でもあるという。

ちょうど一年前に、劇作家・山崎正和さんが記事に記された。

これほどの事前期間をおいて改元が予定されるのは初めてのことで、もともと改元皇位継承時に限って行われていたわけではないらしい。明治より前は、厄払いや願掛けのような理由で元号を改める例も多かったらしい。

 

 

改元は将軍の権力ではなく、天皇の権威によって決められるものであり、元号制度は日本文化に属し、日本政治に属するものではなかったとのことだ。

明治以降に改元皇位継承の時のみ行うという「一世一元制」が定まり、日本人と元号の関係に深い変化をもたらすことになる。

元号天皇一代に一つであるということは、日本人が、元号で表す一つの時代を「人格化」した・・・と山崎さんは言う。そして、ある時代を、天皇という人間の顔を持つ「時間の帯」としてとらえるようになった。

人や世代で、父母の姿、祖父母の思い出も投影され、人間的な距離感で一つの時代イメージとともに回想される。

 

 

明治天皇は終始一貫して政治の人であり、近代国家の形成を進める政治の中心に、天皇がいる時代であったようだ。歌人としても秀でた大正天皇は政治から一段離れ、文化の世界により多く生きたとも。“大正デモクラシー”という言葉が思い浮かぶ。

昭和天皇は、一夫一婦制の、近代的な家庭を作られたという。家族として生きる天皇家の姿が、戦後の日本の家庭像にも投影されていく。

<何かあったか子の口笛の淋しい日>(大西俊和さん)。

映画監督・大林宣彦さんは以前、風通しのいい木と紙の家が育んだ日本文化は“気配を思いやる文化だ”と語った。言葉を交わさずとも、いま誰が幸せで誰が傷ついているかわかった文化も、時代とともに変調をきたした。家族の絆が弱くなっているのであろうか。

元号には“昭和”と同じく「和」が含まれる。新建材の家は増えているが、当時と今で住宅の構造はそう変わるはずもない。“壁”ができたとすれば心の中なのだろうか。