日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

行きと帰りで遠いのはどちら

 

<♪ 帰り道は遠かった 来た時よりも遠かった・・・>。昔、流行った歌の歌詞にある一節である。はたしてそうであろうか。疑問を持つのはおもしろい。

フランスの心理学者がパリの街並みを写真に撮り、人に見てもらう実験を行ったという。写真を見る時間はまったく同じなのに、枚数を多く見た場合に時間を長く感じることがわかったそうだ。

初めての道は、あちらこちらを眺めて疲れる。帰りになると見慣れた風景として受け止められ、精神的に短く感じられるのである。

こちらは実践してみて納得した。<急ぎの仕事は忙しいものに頼め>という鉄則である。暇を持て余している者に頼めば、仕事が遅すぎて間に合わない。忙しい人ほど素早い処理をしないと仕事が追い付かないので、仕事が早いのだ。

 

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一石二鳥、三鳥といえば、同時処理のことである。“なにかのついでに”を大事にして、目的とは別のものを発見するように心がける人はすばらしい。効率的な情報収集が可能になり、一石何鳥にもなるからだ。

これからは、さまざまな専門家を集めて、トータルで大きな仕事をするプロデュース能力が高い人間の価値が、ますます高まるのではないか。

たとえば、今までのイメージを超えた役割を担う、個性的な図書館が増えている。そのことにもプロデュース能力が伺われる。全国の約500自治体で、図書館を拠点にした地域振興の取り組みが進行中なのだという。

岩手県紫波町図書館では、農業の専門書やデータベースを充実させて、地元の農家を支援している。併設の農作物・直売所に料理本の紹介パネルが置かれたり、住民と農家の交流会を開いたりするのである。

 

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神奈川県大和市の図書館では、健康関連の書籍や器具を集めた専用階などが人気を集め、一昨秋の開館から1年で300万人の来館者があったという。

図書館機能の他にも、生涯学習センターや芸術文化ホールなどを併せ持った、文化複合施設へとプロデュースされている。

居心地よく、くつろげるスペースが用意され、各階ともテーマに沿った図書館へと企画されているのだ。

効率化を目指し、民間企業などに運営を委ねる自治体も相次ぎ、民間ならではの柔軟な発想やノウハウを活用している。蔦屋書店・海老名市立中央図書館も好調を維持している。

斬新なアイデアの具体化には、やる気のある司書の存在と行政の後押しが不可欠であり、図書館は地域に根ざした公的拠点へと発展していく。

 

喫煙シーンにはイカした音楽

 

昔の映画は喫煙のシーンが多かった。邦画では、石原裕次郎さんの“くわえ煙草”がカッコいいと、当時の若者にウケたという。年代差はあるが、女性でカッコよく吸うとの評判は、桃井かおりさんだったろうか。

1966年制作のフランス映画『男と女』で、主人公の男女は14シーンでたばこに火をつけたという。エッセイスト・阿奈井文彦さんが著書に書いておられた。

この映画の主題曲はフランシス・レイさんが担当で、憶えやすく口ずさめる曲である。喫煙シーンにもよくお似合いであった。

 

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くわえ煙草といえば、フランスの人気俳優アラン・ドロンさんも素敵であった。ご自身の出世作ともいえる『太陽がいっぱい』は、1960年のフランスとイタリアの合作映画である。

物語では、金持ちの友人を殺害して友人になりすますため、くわえ煙草でサインの練習をする場面がある。そこでの煙草が(すばらしい小道具としての)威力を発揮している。監督がルネ・クレマンさんで、哀愁たっぷりの音楽はニーノ・ロータさんによるものだ。

若く美しい殺人犯で、策略家を演じるドロンさんも最高であった。一番好きな映画音楽はなにか? と問われたら、私は即答できる。

それは、『太陽がいっぱい』だ・・と。

 

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向田邦子さんの短編『かわうそ』という作品にも、冒頭から煙草が登場して、意味を持つ小道具へと向かう。短くても読み応えがある作品である。

すでにテレビドラマの脚本家として実績のあった向田邦子さんが、『花の名前』など3つの短編で直木賞に選ばれた。

1980年の選考会では授賞を見送り、小説家としての実力を見極めようという声も出たという。しかし、選考委員の山口瞳さんが強硬に異議を唱えた。

向田邦子はもう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ…」と。
それで風向きが変わり、授賞が決まった。

とはいえ、満50歳といえば働き盛りのはず。山口さんが授賞見送り派を説得する方便として口にした年齢であったが、反対が出なかったのは(山口さんの)迫力だったのだろう。

運命とは過酷なものである。奇しくも山口さんが唱えた51歳が、向田さんの享年となる。その翌年8月に、向田さんは旅先の台湾で航空機事故に遭い、亡くなった。

もっともっと向田さんの作品を観たかった。そして、読みたかった。

 

友人との酔談からの抜粋では

 

<今は「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは存在しちゃいけないような風潮があるけれど、わたしはそれがどうにも不快なんです>。中野翠さんのコラムにあった。

自分に合わなくて、やりたくない仕事も、生活のためにやらなければならない。こういう枷はおすすめかもしれない。なぜならば、「あのときの仕事を思えば、今は天国・・」などと“仕事の楽さについての比較”ができるから。あくまで、自分の体験談でしかないが。

それまで充実した仕事をしてきた、と自負する人が新しい仕事に就いたとき、適応できなくて苦しみむケースは多い。

“ためになるもの”の追求もいいが、おいしい食べ物がたくさんあるのに、サプリメントばかりで栄養補給していては、人間味をなくした人間になりかねない。

 

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落語のいいところは、損得と関係なしに「存在を楽しく許している」ところなのらしい。それは、演者とお客さんで共感が持てる“笑い”が介在しているからなのかもしれない。

酔うと、話があちらこちらへ飛ぶ。

かつての野球は、名選手ほどからだが頑丈だった。それでもって、朝まで飲み歩くような猛者も多かった。大谷選手の才能は認めても、ケガしそうで見ていて落ち着かない。

さんまさんのギャグで「建築関係トントントン」と、金槌を打つポーズをするのがあるけど、今の大工さんはトンカチを使わないらしい。

組み立て住宅が主流のため、インパクトドライバーでネジを締めていくというのだ。電動工具もある意味ではロボットかもしれない。

 

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議員の収入を根本的に見直してほしい。一般人は、少ない給料の中から無理やり税金をとられているのだから。そのことをもっと意識して、彼らにも尊大な態度を慎んでほしい。

それと(議員の)人数を大幅カットしても問題がないと思う。仕事をしていなさそうな議員が大部分なのだから。

正恩氏は韓国の文(ムン)大統領に「(拉致に関して)日本はなんで直接言ってこないんだ?」と言ったとか。

トランプ大統領にも(拉致解決を)お願いしている安倍さんは、どこの国の代表者なのだろうか。こういうときこそシャキッとしなければダメだろうが。

・・・ここらあたりでこちらも、シャキッとできない酔っ払いになっていた。

 

知っていたつもりの理論付け

 

靴ひもはなぜ、歩いていると突然ほどけるのか。それは長年の謎だったらしい。昨年、米大学がその謎を解明したとのこと。ビデオで、ひものほどける場面を高速撮影して、仕組みが紐解けたようだ。

歩くときに地面を繰り返し踏むときの衝撃が、靴ひもの結び目を緩めて、足の振り子運動にともない、ひもの端がむちを打つように動く。それが繰り返されてひもの滑りが引き起こされ、最終的に結び目がほどけてしまうとのこと。ほどけるときは、前触れもなく数秒間で起こるそうだ。

ネット検索などで、ほどけにくい結び方を紹介されているが、あくまでも通常に結んだときでのお話である。

身近なことほど、意外に感じることはよくある。たとえば、(たまに噛む)ガムの起源を調べてみると、3~4世紀に今のメキシコやグアテマラなどで栄えた、とある。ガムは古代マヤ文明の習慣から始まったのだ。

 

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19世紀、ガムはメキシコと米国の戦争を契機に米国へ伝わり、製品化された。マヤ族には巨木の樹液を煮込んで固めたもの(チクル)を噛む習慣があり、その戦争で活躍した将軍が、チクルに唾液の分泌を促し、口中を浄化する作用があることに気付き、米国で発売。甘味料を加えて改良したところ大ヒットした。

日本では1916年(大正5年)に輸入されたが、評判はさっぱりであったらしい。歩きながら人前で物を食べるのは行儀が悪いということで、日本人には浸透しなかった。

ところが第2次大戦後に、進駐してきた米兵がガムを噛む姿が子どもたちにウケて、一気に広まった。

近年は、スマートフォンなどの普及で、空き時間にガムを口にする人が減ったとの説もあるとか。

 

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理論派・野村克也さんのお話は説得力がありおもしろい。選手としての実績がすばらしい。1965年、戦後初の三冠王を獲得。9度の本塁打王と7度の打点王。日本通算成績でも、試合数(3017)、安打数(2901)、本塁打(657)、打点(1988)など。

当時の捕手はバッティングを期待されず、8番目のバッターという位置付けであった。野村捕手は二刀流でとてつもない打撃成績を残した選手なのだ。

野村さんの後、田淵さん、古田さん、城島さん、阿部さんと強打者は登場しているが、野村さんこそが(土台を作った)最初の“打てる捕手”だといえる。

野村さんの語る「捕手の打撃力」はわかりやすくて興味深い。

最近、打てる捕手が減少した理由として、<キャッチャーボックスに座るとキャッチャーをやっていて、バッターボックスに入っているとバッターになっている>とのこと。

<バッターボックスでもキャッチャーをやれ。お前なら何を考えるのか。読んで打つのはキャッチャーが一番いいはず>。

捕手目線を打撃にも生かすべきなのに、全然読まないで来た球を打ってしまう。そのことがもったいない・・・のだと。

数々の記録を残した野村さんが実践してきた言葉だけに、その中身は重い。

 

連休明けAIは憂鬱になる?

 

日曜日の終わりが近づくと、翌日のことを考えて憂鬱になる。学生や勤め人の誰もが覚えのある心の動きだろう。“ブルーマンデー”や“サザエさん症候群”なる言葉もあったが、今はどう表現されているのか。

昨日の日曜日も大型連休の最終日と重なった。高速道路で渋滞のニュースは、上りと下りで雰囲気が一変する。朝の下り線が行楽に向かう高揚感であるのならば、夜の上り線を埋め尽くすテールランプには悲壮感が溢れる。

いろいろな分野で用途が広がってきた人工知能(AI)も、連休明けは憂鬱になるのだろうか。人間の脳に近い高度な処理ができるようになっても、その感情はよくわからない。ただ、AIスピーカーとの会話では“喜怒哀楽”があるような気がしてならない。

AIを人間社会に有効活用することで、人間の「幸福感」を高められることができるかもしれない・・・と、どこかの新聞記事にあったのを思い出す。

 

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10年以上、日立製作所では(企業など)組織の、仕事効率を示す生産性を高めて、働く人々の幸福感も向上させる方策の研究をしている、という。

まず、名札型のセンサーを、企業の従業員たちが首から下げて、仕事中の体の動きを計測するのだ。

生産性が高いときの微妙な体の動きの特徴をつかみ、従業員どうしが対面した際、誰と誰がいつ、どれくらいの長さの会話をしたか。そして、会話をしている時の体の動かし方を測るらしい。

話が盛り上がっているときの“体の動き”が、従業員に多く表れる組織は、生産性が向上し、人間関係も円滑になりやすい。そのため、本人も幸せだと感じることができるとのこと。

 

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しかしAIは、設定された目的に向けてのデータを処理しているだけであり、AIにも限界がある。測定の積み重ねで、組織内の誰と誰が近い関係にあるかといった人間関係や、組織が活性化されている度合いなどのデータから、相談を受け、データを踏まえて助言をするのは、あくまでも人間の仕事である。<考えることこそが人間の仕事>なのだ。

AIは数値化できる問題を解決できるが、“あいまいな問題”は解けない。逆に、人間が直面するのはあいまいな問題ばかりだろう。

手塚治虫さんは子どもたちを「未来人」と呼んだという。子どもはわれわれ大人よりも少し進歩しているはずだから、彼らの夢を大事にしなければ、とも語った。

どんな大人も昔は子どもであり、今の子どもたちの未来が明るくなるかどうかは、“元子ども”たちの振る舞いにかかっている。子どもたちの世代になり、AIに弾き出されたデータで恥をかかないためにも、今現在の振る舞いには十分注意していきたいものだ。(ふむ)

 

容器変われど旅の供はこれ?

 

俳句の世界で、5月は初夏らしい。旧暦の5月が新暦で6月から7月に当たるとのこと。五月雨(さみだれ)とは、梅雨の別名なのである。

まだまだゴールデンウィーク。今も旅の道中を満喫されている方は多かろう。

その昔、松尾芭蕉の紀行文『おくのほそ道』にならい、東北を歩いて回る文学者たちもいたという。しかし、俳人高浜虚子さんはちがっていた100年ほど前の楽しげな一文にある。

<何ヶ月もかけずとも1週間で回ってみよう。せっかく便利な汽車があるのだから。そして、所々で見物をしながら行けばよい>との考えだ。

 

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車窓から外を見ていた虚子さん。汽車に乗っていることを忘れ、<まるで活動写真のように目の前に展開されて行くこの奥の細道を厭(あ)かず眺めた>そうだ。そして、絵巻物のような風景を座ったまま楽しめるのは「文明的の安逸旅行」だと記した。

車窓の近くには、きっと駅弁とあの懐かしい器に入ったお茶もお供をしていたことだろう。私自身、駅弁もうれしかったが、“やきもの”の器のお茶に感動した記憶がある。

あの器は、“汽車茶瓶”や“汽車土瓶”と呼ばれて、昭和30年代頃まで駅内で販売されていたという。今ではペットボトルのお茶が一般的であるが、ペットボトル入り飲料の歴史は思いのほか浅い。

米国で1974年から使われるようになり、その約3年後に日本で“しょうゆの容器”に採用されたのが始まりだという。

 

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当時、しょうゆの容器として主流だったのはガラス瓶だった。瓶は重いうえに回収が必要で、運送費が負担になっていた。そこで目をつけたのがペットボトルである。軽くて使い捨てができることが利点であった。切り替えたことにより、ペットボトルのしゅうゆが店頭に並び主流になっていくのである。

食品衛生法が改正されて、清涼飲料にも使えるようになったのは、1982年のことだという。2000年には缶の生産量を上回ったが、今やなくてはならないペットボトルの時代は、お茶のやきもの、瓶、缶に比べて、まだ はるかに短い。

エッセイスト・酒井順子さんは『東海道中膝栗毛』の気持ちで、東京から京都までローカル線や船などを使い、3日をかけて旅しているらしい。

『女流阿房(あほう)列車』では、速さを捨てたことで<私の中の時間と空間の軸を溶かす効果が、あったようです>と書いている。今ではすっかり贅沢品となっている“ゆっくり”をたっぷりと堪能されたらしい。

その際のお供は、やはり駅弁とペットボトル入りのお茶だったのであろうか。

 

お茶目な名人の居眠りに客は

 

夏のような春が続く。この時期も愛飲される方は多かろう。ペットボトル入りのお茶だ。ラベルには「品名・緑茶(清涼飲料水)」とある。寒い時期に温めて飲むが“清涼”とはこれいかに。食品衛生法のくくりでこういう表示になるらしいが。

発酵させずに飲む日本茶に、大量のビタミンCを含むことが発表されたのは、1920年代のこと。“原材料名”の欄に「緑茶(国産)、ビタミンC」とあるが、酸化防止剤をビタミンCと表記してもいい・・からなのだと。二重のビタミンCでは、体に良いのか悪いのか、わかりにくい。

春といえば、睡眠が心地よい。劇作家・宇野信夫さんが無名の頃、自宅へ古今亭志ん生(5代目)さんがよく遊びに来た。柳家甚語楼と名乗っていた時期という。

差し向かいで話していると、志ん生さんが居眠りをした。すると急に起きて、「ジャリ(子供)が朝早くから目をさまして胸の上を歩きやァがるから、目に借りが出来ちまって…」と言った。

 

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睡眠で目に楽をさせるところを、そうできずに借りをつくってしまった、ということだ。さすがに言葉の達人・志ん生さん。たちまち情景が浮かぶ。

春も深まり、眠気を催す時期を「目借時(めかりどき)」という。春の季語である。陽気のせいで、ついうとうとしてしまう。理由は、蛙が人の目を借りるためなのだ、との俗説である。

古今亭志ん生さんは、寄席で伝説の“失態"があるらしい。寄席へ出演中に居眠りしたのだ。(結城昌治さん『志ん生一代(下)』より)。

戦時中に満州(現在の中国東北部)へ渡っていた古今亭志ん生さんが、東京・日本橋の寄席・人形町末広に帰国後初めて出演ときのこと。1947年7月21日だという。

大の酒好きだった志ん生さんは、この日も朝から飲んでいて、昼席後は贔屓に呼ばれてまた飲む。夜席のトリに上がるときにはそうとう酔っていた。

 

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このときの演目は『ずっこけ』。酔っ払いの噺とあって無事に務めた。伝説に残る“失態"をしでかしたのは、このあとの大喜利での席らしい。客席から帽子などの小道具を借り、落語家たちがそれらの品をシャレに織り込んで噺をつなげていく。そして、最後の演者がサゲをつけるというお題噺である。

志ん生さんへ番が回ってきたところで、噺が止まってしまった。下を向いたきり顔を上げないのだ。皆は、どうしゃべるか考えているのだろうと思っていたが、軽いいびきが聞こえ始めた。どうやら志ん生さんは、坐ったまま眠ってしまったようだ。

やがて、客にも気づかれ笑い声が起きた。共演していた桂文楽(8代目)さんが、「志ん生満州の疲れがとれておりません。なにとぞご勘弁のほどを・・・」と頭を下げた。

客は文句も言わず、「ゆっくり寝かしてやれよ」という声がいくつもかかったそうな。

それではお後がよろしいようで・・・。<(_ _)>"ハハーッ

 

憧れずに歩けない時代もある

 

20年前(1998年)には3232あった市町村が、2016年10月の時点で1718にまで減ったという。規模の拡大で市は増えたが、町は1994から744になり、村は568から183になった。

さて、50~60年前の市町村の数はどうだったのか、ネット検索をしてみたが答えは見つからなかった。それでも、懐かしい記憶が蘇った。日本テレビ系で『ディズニーランド』という番組が始まったのは1958年だったのだ。

私が知っているのは数年後であるが、アニメあり、ドラマ仕立てあり、野生動物の実写ありの多彩な映像ですごく楽しめた。そして、プロレス中継と交互に放映される隔週の番組でもあった。おそらく、金曜日のゴールデンタイムだったような気がする。

目くるめく映像にうっとりした翌週には、外国人レスラーをなぎ倒す力道山の空手チョップを観て、手に汗を握った。

 

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テレビ創生期の番組は“アメリカの憧れ”なしには歩けない。でも、他国に憧れるだけではみじめ。ディズニーにうっとりしつつ、翌週は力道山で胸を張った。隔週放映は番組編成上の偶然だろうが、日本人の(振り子のように)揺れる心を映してもいた。

1953年1月、映画監督・小津安二郎さんは新聞で、“人工降雨”という見出しに目を留めた。観る人が涙を流すドラマも、人工的に涙を降らせる装置なのだ、と感じた。「メロドラマというルビはどうか」と、脳裏に浮かんだ。ギリシャ語のメロス(旋律)に、ドラマが結びついた言葉である。

メロドラマとは<愛し合いながら、なかなか結ばれない男女の姿を感傷的に描いた…>ドラマなのだ。松竹大船撮影所で製作される作品にうってつけのネーミングになった。

2004年に日本で放送され、大ブームになった韓国ドラマ『冬のソナタ』は、旋律と筋立てで泣かせるメロドラマの典型。当時の日本も幼児虐待、集団自殺オレオレ詐欺が蔓延り、心の渇く出来事ばかりであった。降雨装置が必要な時代だったのか。

 

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邦画の全盛期は1950年、黒沢明監督の『羅生門』から始まる。「キネマ旬報」年間ベスト・テンで、54年の1、2位は木下恵介監督の『二十四の瞳』と『女の園』。黒沢監督の『七人の侍』はようやく3位に顔を出す。いかに豊作であったかがわかる。

映画の黄金時代はプロ野球の球団興亡史にも現れる。昭和20年代から30年代にかけては松竹ロビンス大映スターズ東映フライヤーズと、映画会社の保有する球団が覇を競った。球団とは、その時代時代に“旬”の業態を映しだす鏡でもある。

のちに、インターネット企業「楽天」のパ・リーグへの新規参入、福岡ダイエーホークスの買収で「ソフトバンク」。2012年には「DeNA」の球団も誕生した。ともにIT関連の企業である。

思えば、力道山のプロレスのスポンサーは三菱電機で、アニメ『ポパイ』のCMは不二家だった。テレビのスポンサーを見ても、業界の栄枯盛衰がよくわかる。

 

視覚もさることながら聴覚も

 

視覚から得られる情報量の割合は約87%だという説がある。次は聴覚が7%、触覚3%、嗅覚2%、味覚1%の順らしい。とはいえ、音の記憶も侮れない。

私は長時間のパソコン作業中、同時にテレビドラマや映画をたくさん視聴している。テレビ画面への視覚が疎かになる分、聴覚がとても大事になってくる。洋画も日本語の吹き替えが断然有利になる。

作曲家・曽根幸明さんの代表作『夢は夜ひらく』が誕生したのは、1951年だという。戦後のどさくさで愚連隊になった曽根さん。数か月収容された少年鑑別所の中でその原曲が生まれた。

<いやな看守ににらまれて 朝も早よからふきそうじ 作業終わって夜がくりゃ 夢は夜ひらく>。

 

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後に歌手を何度も替え、名曲は歌い継がれた。<赤く咲くのはケシの花 白く咲くのは百合の花>。こういう歌い出しだったろうか、とてもわかりやすいメロディで「夢は夜ひらく」のフレーズが耳の記憶として強く残っている。

すっかりヒット曲と思い込んでいたが、この曲が日の目を見たのは、藤圭子さんによる『圭子の夢は夜ひらく』(1970年)のことだったという。世に知られるまでに19年もの歳月を要したことになる。<十五、十六、十七と>で始まるこの歌詞は、今でも“新バージョン”だという気がしてならない。

第一印象の場合、見た目の身振り手振りが55%で、話し方は38%。話の内容に関してはたったの7%しか伝わらないらしい。まず、受け手側は「好き嫌い」、「友達になるかならないか」などの、視覚判断につられる。

しかし、昨今の政治家相手では、情報判断の順番がちがってくるようだ。ちょうど一年前に今村雅弘復興相(当時)が更迭され辞任した。東日本大震災について「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」と語り、多くの非難や怒りを受けた。

 

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今村氏の失言から、テレビなど映像で身振り手振りを見た人の悪感情は、ますます拡大されたはずだ。

そのすぐあとにも稲田防衛省(当時)が(安倍氏2度目の首相に就いて)6人目の引責辞任へと続く、そのつど「任命責任内閣総理大臣たる私にある」と述べ、国民へのおわびは口にしても、具体的な行動には出ようとしない。この先、いったい何人の引責辞任者が現れるのだろうか。

食品科学では5つの“基本味”があるという。甘味、塩味、苦味、酸味、旨味だ。酸いも苦いもある世の中で、現政権は身内に甘い体質をさらして、甘さばかりが目立つ。

そういえば、“おんぶ”と“長靴”で辞めた政務官、女性問題で辞めた政務官もいた。この先もまだまだ継続中であるのなら、人材不足も末期的で国政をなめているとしか思えない。

 

スキャンダルと掛け何と解く

 

身寄りのない人が他界して所持していた現金。引き取り手がなく、自治体が保管している分を“遺留金”という。昨年4月に朝日新聞は調査で、政令指定都市と東京23区に尋ねた。その筆頭は大阪市の約7億2200万円であり、39自治体で計約11億4200万円になる。北九州市は5年で倍以上の約6350万円になるなど、膨らむ傾向にあるのだ。

高齢の単身者の増加が原因で、ひとり当たりの額は(多くても)数十万円に満たないという。一人暮らしの人が亡くなると、自治体は相続人となる遺族を捜す。しかし、連絡に応答がなかったり、受け取り拒否のケースも多い。

遺族が“相続放棄”の手続きを取らないと、自治体は手をつけづらい。自治体の申し立てで、家庭裁判所が弁護士らを「相続財産管理人」に選任。債務整理で残った分は国庫に入る。とはいえ、自治体が新たな公費負担を強いられるため、遺留金が少額の場合そのままなのである。

 

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10年以上出し入れがない預金口座については、NPOや自治会の公益活動に活用する。一昨年、「休眠預金活用法」なるものが成立している。財務相のあの方が、舌なめずりするように“休眠預金”のことを、テレビで語っていた姿を思い出す。

こちらは遺留金とはちがい、生きている本人への連絡が必要だろう。期限がきたので勝手に没収などとはされたくない。国税として1992年の地価税以来、27年ぶりの新税である出国税も、「国際観光旅客税」と銘打って2019年1月から出国時に導入される。それにしても、あの手この手とアイデアは尽きないようだ。

先日、こんな記事を見た。“空転国会”が続く間も、われわれの血税がタレ流されている・・のだと。国会の運営には莫大な費用がかかる。1回につき約2000万円といわれる額が、昨年から「モリカケ問題」でいったいどれだけの日数を費やしムダになったのか。

 

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2000万円というのは、あくまで実際にかかった費用とのこと。総理をはじめとした高給取り議員たちの給与を含めれば、膨大な額になるはず。

昨年度の衆参両院の予算より、「議員歳費」、「超過勤務手当」、「議員秘書手当」、「職員基本給」などが、約928億4000万円。それを、国会開会日数190日で割ると、1日当たりで4億8863万円。5億円近くもの税金が消失しているのである。

<スキャンダルは キャンドルだと私は思う>。詩人・吉野弘さんの詩『SCANDAL』である。“醜聞”と“美しい炎”とで、語感は似ていても非なるものを感じる。詩の続きといえば、<人間は このキャンドルの灯で、しばし 闇のおちこちを見せてもらうのだ>と。

芸能人のスキャンダルが問題にならないくらいに、政治での“お騒がせショー”が続く。

スキャンダル...もとい、キャンドルと掛けて支持率と解く。その答えは“熱でどんどん溶けていくモノ”である。