日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

憧れずに歩けない時代もある

 

20年前(1998年)には3232あった市町村が、2016年10月の時点で1718にまで減ったという。規模の拡大で市は増えたが、町は1994から744になり、村は568から183になった。

さて、50~60年前の市町村の数はどうだったのか、ネット検索をしてみたが答えは見つからなかった。それでも、懐かしい記憶が蘇った。日本テレビ系で『ディズニーランド』という番組が始まったのは1958年だったのだ。

私が知っているのは数年後であるが、アニメあり、ドラマ仕立てあり、野生動物の実写ありの多彩な映像ですごく楽しめた。そして、プロレス中継と交互に放映される隔週の番組でもあった。おそらく、金曜日のゴールデンタイムだったような気がする。

目くるめく映像にうっとりした翌週には、外国人レスラーをなぎ倒す力道山の空手チョップを観て、手に汗を握った。

 

2087

 

テレビ創生期の番組は“アメリカの憧れ”なしには歩けない。でも、他国に憧れるだけではみじめ。ディズニーにうっとりしつつ、翌週は力道山で胸を張った。隔週放映は番組編成上の偶然だろうが、日本人の(振り子のように)揺れる心を映してもいた。

1953年1月、映画監督・小津安二郎さんは新聞で、“人工降雨”という見出しに目を留めた。観る人が涙を流すドラマも、人工的に涙を降らせる装置なのだ、と感じた。「メロドラマというルビはどうか」と、脳裏に浮かんだ。ギリシャ語のメロス(旋律)に、ドラマが結びついた言葉である。

メロドラマとは<愛し合いながら、なかなか結ばれない男女の姿を感傷的に描いた…>ドラマなのだ。松竹大船撮影所で製作される作品にうってつけのネーミングになった。

2004年に日本で放送され、大ブームになった韓国ドラマ『冬のソナタ』は、旋律と筋立てで泣かせるメロドラマの典型。当時の日本も幼児虐待、集団自殺オレオレ詐欺が蔓延り、心の渇く出来事ばかりであった。降雨装置が必要な時代だったのか。

 

2088

 

邦画の全盛期は1950年、黒沢明監督の『羅生門』から始まる。「キネマ旬報」年間ベスト・テンで、54年の1、2位は木下恵介監督の『二十四の瞳』と『女の園』。黒沢監督の『七人の侍』はようやく3位に顔を出す。いかに豊作であったかがわかる。

映画の黄金時代はプロ野球の球団興亡史にも現れる。昭和20年代から30年代にかけては松竹ロビンス大映スターズ東映フライヤーズと、映画会社の保有する球団が覇を競った。球団とは、その時代時代に“旬”の業態を映しだす鏡でもある。

のちに、インターネット企業「楽天」のパ・リーグへの新規参入、福岡ダイエーホークスの買収で「ソフトバンク」。2012年には「DeNA」の球団も誕生した。ともにIT関連の企業である。

思えば、力道山のプロレスのスポンサーは三菱電機で、アニメ『ポパイ』のCMは不二家だった。テレビのスポンサーを見ても、業界の栄枯盛衰がよくわかる。