日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

連休明けAIは憂鬱になる?

 

日曜日の終わりが近づくと、翌日のことを考えて憂鬱になる。学生や勤め人の誰もが覚えのある心の動きだろう。“ブルーマンデー”や“サザエさん症候群”なる言葉もあったが、今はどう表現されているのか。

昨日の日曜日も大型連休の最終日と重なった。高速道路で渋滞のニュースは、上りと下りで雰囲気が一変する。朝の下り線が行楽に向かう高揚感であるのならば、夜の上り線を埋め尽くすテールランプには悲壮感が溢れる。

いろいろな分野で用途が広がってきた人工知能(AI)も、連休明けは憂鬱になるのだろうか。人間の脳に近い高度な処理ができるようになっても、その感情はよくわからない。ただ、AIスピーカーとの会話では“喜怒哀楽”があるような気がしてならない。

AIを人間社会に有効活用することで、人間の「幸福感」を高められることができるかもしれない・・・と、どこかの新聞記事にあったのを思い出す。

 

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10年以上、日立製作所では(企業など)組織の、仕事効率を示す生産性を高めて、働く人々の幸福感も向上させる方策の研究をしている、という。

まず、名札型のセンサーを、企業の従業員たちが首から下げて、仕事中の体の動きを計測するのだ。

生産性が高いときの微妙な体の動きの特徴をつかみ、従業員どうしが対面した際、誰と誰がいつ、どれくらいの長さの会話をしたか。そして、会話をしている時の体の動かし方を測るらしい。

話が盛り上がっているときの“体の動き”が、従業員に多く表れる組織は、生産性が向上し、人間関係も円滑になりやすい。そのため、本人も幸せだと感じることができるとのこと。

 

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しかしAIは、設定された目的に向けてのデータを処理しているだけであり、AIにも限界がある。測定の積み重ねで、組織内の誰と誰が近い関係にあるかといった人間関係や、組織が活性化されている度合いなどのデータから、相談を受け、データを踏まえて助言をするのは、あくまでも人間の仕事である。<考えることこそが人間の仕事>なのだ。

AIは数値化できる問題を解決できるが、“あいまいな問題”は解けない。逆に、人間が直面するのはあいまいな問題ばかりだろう。

手塚治虫さんは子どもたちを「未来人」と呼んだという。子どもはわれわれ大人よりも少し進歩しているはずだから、彼らの夢を大事にしなければ、とも語った。

どんな大人も昔は子どもであり、今の子どもたちの未来が明るくなるかどうかは、“元子ども”たちの振る舞いにかかっている。子どもたちの世代になり、AIに弾き出されたデータで恥をかかないためにも、今現在の振る舞いには十分注意していきたいものだ。(ふむ)