日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

容器変われど旅の供はこれ?

 

俳句の世界で、5月は初夏らしい。旧暦の5月が新暦で6月から7月に当たるとのこと。五月雨(さみだれ)とは、梅雨の別名なのである。

まだまだゴールデンウィーク。今も旅の道中を満喫されている方は多かろう。

その昔、松尾芭蕉の紀行文『おくのほそ道』にならい、東北を歩いて回る文学者たちもいたという。しかし、俳人高浜虚子さんはちがっていた100年ほど前の楽しげな一文にある。

<何ヶ月もかけずとも1週間で回ってみよう。せっかく便利な汽車があるのだから。そして、所々で見物をしながら行けばよい>との考えだ。

 

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車窓から外を見ていた虚子さん。汽車に乗っていることを忘れ、<まるで活動写真のように目の前に展開されて行くこの奥の細道を厭(あ)かず眺めた>そうだ。そして、絵巻物のような風景を座ったまま楽しめるのは「文明的の安逸旅行」だと記した。

車窓の近くには、きっと駅弁とあの懐かしい器に入ったお茶もお供をしていたことだろう。私自身、駅弁もうれしかったが、“やきもの”の器のお茶に感動した記憶がある。

あの器は、“汽車茶瓶”や“汽車土瓶”と呼ばれて、昭和30年代頃まで駅内で販売されていたという。今ではペットボトルのお茶が一般的であるが、ペットボトル入り飲料の歴史は思いのほか浅い。

米国で1974年から使われるようになり、その約3年後に日本で“しょうゆの容器”に採用されたのが始まりだという。

 

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当時、しょうゆの容器として主流だったのはガラス瓶だった。瓶は重いうえに回収が必要で、運送費が負担になっていた。そこで目をつけたのがペットボトルである。軽くて使い捨てができることが利点であった。切り替えたことにより、ペットボトルのしゅうゆが店頭に並び主流になっていくのである。

食品衛生法が改正されて、清涼飲料にも使えるようになったのは、1982年のことだという。2000年には缶の生産量を上回ったが、今やなくてはならないペットボトルの時代は、お茶のやきもの、瓶、缶に比べて、まだ はるかに短い。

エッセイスト・酒井順子さんは『東海道中膝栗毛』の気持ちで、東京から京都までローカル線や船などを使い、3日をかけて旅しているらしい。

『女流阿房(あほう)列車』では、速さを捨てたことで<私の中の時間と空間の軸を溶かす効果が、あったようです>と書いている。今ではすっかり贅沢品となっている“ゆっくり”をたっぷりと堪能されたらしい。

その際のお供は、やはり駅弁とペットボトル入りのお茶だったのであろうか。