愚直な一歩一歩のクオリティ
インターネットが一般化されてから今も、ブラウザを開けばヤフーの画面が(最初に開く)ホームページに設定したままだ。初めは検索エンジンとしての使用が主であったが、速報性のある情報源としての使い方が増えている。
ヤフー株式会社代表取締役社長・宮坂学さんは、「新しい書き手を発掘していきたい」と語っていたことを思い出す。1年ほど前のインタビュー記事だったので、すでに実行されていることなのかどうかはわからないが。
ニュース部門で独自コンテンツを増やしているヤフーは、記事の一覧見出しが重要になることを把握して、その文字数を13文字(正確には13.5文字)にしている。その数は長すぎず短すぎなくて丁度良いのだという。
テクノロジーとニュースというのはものすごく結びついているようだ。
それは、すごく文系ビジネスでありながら、ものすごくテクノロジー産業なのだという。
それまでのヤフーはニュースの流通業者だった。
今ではどのニュースサイトもニュースが大量にあり速度も速い。
それなら独自の記事を載せて差別化するしかない、と『ヤフーニュース個人』を始めた。それは、選別されたライター陣の寄稿によるオンラインメディアなのだ。
情報を届けるものは、情報を単に流しているだけでは付加価値を高められない。
TBSの『調査情報』は沢木耕太郎さんを育て、『文芸春秋』が立花隆さんを育てた。
情報のプラットホームをもつ者は、そういう新しい才能を育てる責任があるのだ、と宮坂さんはいう。自らのテーマとして<総合月刊誌が果たした役割を今後誰が担うのか>と掲げた。
『文芸春秋』を毎月読んでいるという宮坂さんである。
<あれはなかなかクオリティーが高い。あそこに書いている重鎮はまだネットには出てこないし、ネットがああした執筆者に匹敵する重鎮を育てたかというと、何も育てていない>と。
<単に規模が大きくなり、ネットニュースの量が増えただけである。重鎮やジャーナリズムのスターにもネットで書いてもらえるよう、自分たちの「格」も上げていきたい>との気概である。
消費するだけではダメ。自分たちで次の新しい書き手を発掘していきたい。
そのためには、どこかで課金に挑戦しないといけない、と。
骨太で読み応えのある記事とは、ページビューを稼げて広告がつく記事とは違うのだ。
そのためにも、読み応えのある記事には別の還元法を考えないといけない。課金をうまくできないと、本当に優れた書き手が集まるのか、との疑問もある。
「いままで僕らは“新聞配達少年です!”」とも言った。
記事の中身について、それまで手を出してこなかったが、徐々に編集の業務委託をするぐらいにはきたかな、と・・・。
伊能忠敬は測量の旅に出るとき、道具を使わず自らの歩幅で距離をはかる「歩測」を選んだ。そのことで、作家・井上ひさしさんは小説『四千万歩の男』で想像をかき立てた。
正確を期すため、道の水たまりも犬のフンもよけず、愚直に歩んだ一歩一歩なのである。その一歩の正確さこそがなによりのクオリティなのであろう。
デジタルという新メディアにあぐらをかかず、自身の歩幅のクオリティを試し続ける宮坂学さんにも、忠敬と同様な感覚があるような気がしてくる。