日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

存在を楽しく許すは あの映画

 

落語のいいところは、損得と関係なしに“その存在を楽しく許している”ということらしい。そこには、演者とお客さんで共感が持てる“笑い”が介在している。

ヒットシリーズ映画『男はつらいよ』には、「落語のエッセンスをふんだんに感じる」と称されることがよくある。

山田洋次監督によれば、<渥美清さんとの対話から寅さんが生まれた>とのこと。

まずは、テレビドラマでスタートして評判になった。山田監督は忙しくなるとの思いで寅さんを殺した。そうしたら、(視聴者から)非難が殺到したため映画で復活させた。

 

 

最初は渥美清さんとうまくいかなかった。渥美さんは記憶力がよく、撮影のときはすべてを暗記して台本を持ってこない。アドリブの多いところが趣旨に合わなかった。

渥美さんを撮り直させたシーンは、さくらが兄に結婚すると打ち明けるときのリアクションだったという。渥美さんは、じっとできずいろんなことをしたくなる。うなずくだけで表現して欲しかった。3、4秒じっとしてからうなずいてくれ・・・と。

第1作のヒットで続編を作るとき、渥美さんはがらっと変わった。頭のいい人である。山田監督との仕事をわかったのだ。

9作目のとき、山田監督は辞めどきだと思った。初代おいちゃん・森川信さんが亡くなった。あんな名優は他にいない。渥美さんに相談してみると、渥美さんはノッているときで、やってみましょうとのことだった。

 

 

渥美清さんと倍賞千恵子さんは、演技のうまさだけでなく相手の役者をうまくさせる力があるという。山田監督いわく、<渥美さんの目を見ていると、みんないい芝居ができる>のだとも。

山田監督は、今でも『男はつらいよ』の構成のアイデアが浮かんでくるらしい。しかし、渥美さんがいないから困る。

山田洋次さんは全48作の原作・脚本を担当して、第3作と第4作以外の46作を監督した。第5作で再び監督して、シリーズを完結させる予定だったが、あまりのヒットに続編の製作が決定し続けた。

映画シリーズ全48作の配給収入は464億3千万円。観客動員数は7957万3千人。ビデオソフト(1996年7月末までに)は、セル用とレンタル用の合計で85万本が流通したという。(参照:Wikipedia)

ちなみに、現在はネットフリックスなどのネット配信でも、全作の鑑賞ができる。

 

反則技の影には記録的ドラマ

 

自分で食べるものは自分で作る。簡単な料理に凝った時期がある。そのとき、食材を床に落とした。捨てようかと思ったがもったいないので拾って調理した。恥ずかしいことであると思ったが、奥さんに言った。

<大丈夫よ、それは「3秒ルール」といって、みんなやっていることだから>。彼女はケロッと答えた。そんなルールがいつのまに? と感心したが、数十年にわたり妻の手料理を食べてきた私としては、数多く“落とした食材”を口にしてきた、ともいえる。

食品の落下に関して、“5秒ルール"もよく使われるらしい。それは日本だけでなく世界的規模で認知されているルールで、“3秒ルール"、“10秒ルール"、“15秒ルール"と地域によってばらつきがあるとか。

また、“3秒ルール"とはバスケットボールの用語にもあるという。ペイントエリアと呼ばれる制限区域で、オフェンス側のプレイヤーは3秒を超えてとどまることは出来ない、というもの。

 

 

プロレスの反則技が5カウント以内に中止すれば許される。反則が売り物でもあるプロレスは、5カウント以内の技のひとつが反則ともいえる。

その昔、北アメリカのプロレスでは王者がタイトルマッチで反則負けとなっても、王座を失わないというルールがあった。

王者が劣勢になったとき、故意の反則行為によって王座防衛を続け、名レスラーとしての地位を築いた例もある。

さて、こちらの反則行為も驚きであった。プロ野球、2014年の日本シリーズでそれが起きた。

福岡ソフトバンクホークス対阪神タイガースで、ホークスが勝敗を3勝1敗としていた。勝てば日本一になる第5戦で、8回裏にホークスが1点を先制し、タイガースが追い詰められ最終回を迎えた。

9回表、ホークスのクローザーの投手が1アウトを取るも満塁にしてしまった。次に迎えるバッターは西岡剛選手である。

 

 

打者・西岡選手のカウントは3ボール1ストライクとなった。そして、運命の5球目が投じられた。西岡選手の打撃はファーストゴロであった。ファーストからホームへのフォースアウト、そして、ファーストへのダブルプレーという場面である。

ホームはアウトになり2アウト。そして、ファーストへ送球したボールは・・・西岡選手の背中に直撃した。だれもが送球ミスでセーフになったと思った。

ところが球審の白井審判は、西岡選手の守備妨害との判定を下した。<バッターランナーがファールラインの内側を走っていたため送球が当たり、ファーストの捕球を妨害した>とのジャッジである。

西岡選手はアウトとなり、3アウト。その瞬間にホークスの勝利で試合終了となり、福岡ソフトバンクホークスの日本一が決定した。1950年から続く日本シリーズの歴史の上でも、守備妨害による試合終了は初めての出来事だ。

後日談で、西岡選手はそれを意図的に行ったことを認めた。「打った瞬間にダブルプレーを意識したため、なんとか逃れる術としてしかけた」とのことである。

 

耳に優しきグローバル経済?

 

この時期にお決まりの記事が出る。総務省が今年1月1日現在の日本の人口を発表。日本人は1億2477万6364人となり、10年連続の減少だという。

その減少幅は1968年の調査開始以降で最大。1億2500万人を下回ったのは、1996年以来で23年ぶり。昨年1年間の出生者数から死亡者数を引いた「自然増減数」はマイナス44万2564人で、12年連続の自然減少である。

その数に関して、昨日のコラム記事(東京新聞・筆洗)の一節に、思わずうなずいてしまった。<同じ43万人規模の東京都町田市や愛知県豊田市が、1年間で突然消えたと空想すれば闇の深さに震える>と。

財務省が2019年2月に発表した「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」によると、18年12月末時点の“国の借金”は1100兆円を超え、過去最大を更新。国債発行等で、借金を借金で返す自転車操業は、停まれば国が破綻。そして、年金や生活保護で生きている人たちが路頭に迷うことになる。

 

 

少子高齢化も、日本は死にもの狂いで対策をしなければならなかったが、政治家も官僚もまったく手を打たなかった。国民も少子高齢化に関心が薄く、不安な時代では自分が生きていくのに精一杯。仕事が見つからない。見つかっても保証のない派遣社員のような仕事だけ。子ども以前に、結婚すらできない。

かつて、日本人は高賃金で、給料が下がることを知らない人もいた。2000年に入って、グローバル経済のあおりが日本に回り始めた。格差が問題になり、若者の失業が深刻になったのだ。

グローバル経済とは、コストの安い国や場所で低価格商品を大量に作って世界にばら撒く経済といわれる。モノの値段はどんどん安くなり、安いものが買える人々は幸せになるはずだった。

しかし、企業が安い賃金の国へ移動していくため、先進国が空洞化した。それで先進国の仕事が激減して、賃金を下げられ失業者も増えた。

 

 

<安いものが大量に出回り、自分たちの賃金も安く合わせられるシステム>。人々はグローバル経済の本質を知った。それが少子化を生み出し、子どもはどんどん減る。日本人がどんどん消失するということになるのだ。

12年以降から団塊の世代が引退し、年金生活に入った。悠々と年金生活を楽しめればいいが、借金の膨らむ国は“ない袖を振れない”。日本という国がどんどんもろくなり、破綻へ迎えば、若者は海外へ“出稼ぎ”ということもある。貧しい国の若者たちはそうやって生きている。

日本で仕事が見つからない高齢者は、海外でも職を見つけにくい。命綱の年金も激減。そうなれば、老衰による死因ではなく、“餓えによる大量死”も考えられる。

この先、団塊の世代も巻き込まれるが、その子どもたちに助ける手段や金があるかどうか。団塊の世代は自分たちの子どもに“個人主義”を教えた。そして、その個人主義により、子どもたちは親の面倒を見ないこともあるだろう。

 

風や雲と語るのが一番なのか

 

こういう話が好きである。<どういう局面で長考するのか>との問いで、昭和の名人・大山康晴さんは即座に答えたという。「うまくいきすぎている時だ。落とし穴はないのか、と」。棋士はときに手番の一手を指さず、深い瞑想に沈む。

ノートに書いたことは消しゴムで消してはいけない。“山びこ学校”の無着成恭(むちゃくせいきょう)さんは子どもたちにそう教えたらしい。そして、「消さずに赤鉛筆でバツをつけなさい」と。

消しゴムで消してしまうと、はじめに自分はどういう考え方をしたのか。どういう間違いをしたかが分からなくなる。消しゴムで消す人は同じ間違いを何度でも繰り返す・・・とも。

具体的でとてもわかりやすい教えである。

 

 

こちらは具体的ではいけないらしい。昔にあって今はない気象用語の“梅雨入り宣言と梅雨明け宣言”である。気象庁が発表の方法を見直して今年で25年目だという。

ときに、梅雨前線はプロの予報官をだますような動きをするため、代わりに登場したのが「梅雨入りしたとみられる」などの推測調の表現である。宣言を取り消すなどの混乱を避けるための処置らしい。変更当時は曖昧で評判もよくなかったようだが、今はそれほど気にならない。

それにしても、最近の天気予報はあてにならない。昨日も地元では21時くらいから雨だと言っていたが、14時あたりから降り始めた。こちらも予報を信じて外での用事を予定したがキャンセルになってしまった。

直近の気候変化なら雨雲レーダーが正確で役に立つが、前日や早朝の天気予報にはよく裏切られる。

昔の人は南の風と会話をしたという。もちろん、天気予報などない時代だろう。黒い雲が雨を落とす黒南風(くろはえ)や強く吹きすさぶ荒南風(あらはえ)。そして、ほんのり空を白くする白南風(しらはえ)が順に訪れ、梅雨が終わるらしい。

 

 

長雨で川を渡ることがかなわず仕方なく、安宿に長逗留する浪人者の夫婦。山本周五郎さんの『雨あがる』は、そこでの貧しき人々の交流を描いている。映画化された作品も秀作で何度も観たくなる。

優しい心を持つ浪人は腕があるのに仕官がかなわない。降りやまぬ雨が、この浪人の人生とオーバーラップする。

長雨で心がすさむ同宿者たちに宴(うたげ)を開いて癒やしたい。浪人は道場へ向かい賭け試合に勝つ。その矢先に、運が向き始め仕官が決まりかかることになるが、せっかくの話も立ち消えとなった。賭け試合が問題となったからだ。

ついに雨があがり、夫婦は再び旅に出る。ぬか喜びだった士官を思えば、雨がまだまだ心に降り続いているだろう。なのに、希望を捨てず前を向く夫婦の表情は清々しい。

この作品のみならず、“雨という枷”がもたらすドラマは多いような気がしてくる。

 

席取り合戦の予約札みたいに

 

<御殿も、薔薇も、おひめさまも、手の届くところすべてのものが金になった>。金子みすゞさんの詩『金のお好きな王さま』にあった。その王さまは金が好きなようだ。

校長や教頭が自分の子どもたちを教員採用試験に合格させるべく、県教委の幹部に現金を渡したり、管理職の任用試験で商品券がモノを言ったり・・・と。2008年6月、大分県教育委員会にて汚職事件が発覚した。

<裏口を 死語にさせない 文科省> (世 喜さん)。当時の時事川柳にあった。

県の教員採用試験をめぐり、贈収賄の疑いで県幹部ら4名が逮捕。その後、9月初めまでに、起訴7名、停職などの懲戒処分11名にまで拡大する。

8月には県教育委員会が、不正により合格した教員21名の採用取消しの方針を決めたという。

 

 

週末や休日のショッピングモールのフードコートは、“席取り合戦”の様相である。先に座ればなんとかなる。客同士の口論や荷物の盗難被害もあるとか。

カフェチェーンなどでは“予約(reserve)札”を活用しているところもあるらしい。プラスチック製の座席予約札が置いてあり、先に席を取るように勧めている。そして、利用後には元に戻す仕組みである。

汚職事件の金品も、当事者たちにとっては席に座るための予約札みたいなものなのだろうか。

金品に神経の麻痺した教育者たちが、もし生徒の父母から「うちの子の成績を何とぞよろしく」と現金を差し出されたら、ニヤリとして「おぬしもワルよのう」と答えそうだ。

 

 

<けれども、けれども、そのときに、空はやっぱり青でした>。上述の、みすゞさんの詩の結びである。王さまでも勝手気ままに変えられないものがあるだろう。

“自然との共存”といえばきれいに響くが、山や海が近く川も多いとなれば、自然がひとたび牙をむくと、その力をまともに浴びることになる。

先日の九州豪雨でも、テレビなどで百数十万人の方へ避難勧告をしていたが、避難先や移動手段などが気になってならなかった。言うのはたやすいが、安全に移動できる対策はどうであったのか。

特別警報の“数十年に一度の大雨や災害”という表現を、毎年のように耳にするようになっている。高温化の影響は大きいと思われるが、“異常”や“記録的”な気候変動がもはや普通に起きている。

地球の生命に比べ人の寿命は短い。自分の身内でも祖父母、父母、自分と子、孫あたりまでしか知らない。その範囲だけで豊かになることを念じて生きているにすぎないともいえる。

系図の先に待つ子孫を“無縁の存在”として視野の外に置いてきたツケが、今の地球環境へどのような悪影響を与えているだろうか。とても気になるところである。

 

意識や表現もアレンジしだい

 

物陰から“ぬっと”現れる。物陰から“ぬうっと”現れる。その「ぬっ」と「ぬうっ」には違いがあるという。以前に読んだ新聞のコラムにあった。

不意に現れ出るさまを「ぬっ」といい、のろい動作で薄気味悪く、不意に現れるさまが「ぬうっ」なのらしい。たった一文字で動作に大きなちがいがあるという。

昨年、生活情報に関する研究所が首都近郊の夫婦を対象にした調査を行った。今の関係は“亭主関白”、“カカア天下”、それとも“友達夫婦”なのか? というものだ。

30年前の調査では“亭主関白”と“友達”が拮抗したようだが、今は過半数が“友達”を選んだとのこと。もはや“亭主関白”は絶滅危惧種になり、“ちゃぶ台返し”などもっての外のようである。

 

 

夫婦の意識は変わっても、夫の行動が追いついていないこともあるらしい。その調査で「夫も家事を分担すべき」と答えた夫は82%だが、妻からの視線では実際に「食事のしたくをすることがよくある」夫は14%だったそうな。

編曲家・萩田光雄さんの編曲家デビューは1973年で高木麻早さんの『ひとりぼっちの部屋』だというから、まだまだ“亭主関白”が闊歩していた時代だったのかもしれない。

萩田さんは、歌謡曲の黄金期を支えたものすごい人である。

1975年に布施明さんの『シクラメンのかほり』と、翌76年には梓みちよさんの『メランコリー』で、日本レコード大賞編曲賞を2年連続で受賞した。

シクラメンのかほり』の作詞と作曲は小椋佳さん。『メランコリー』の作曲が吉田拓郎さん。それぞれのセルフカバーで、ご本人たちが歌うオリジナル曲と比較すると、萩田さんのすご技がよくわかる。

木綿のハンカチーフ』、『待つわ』、『プレイバックPart2』、『少女A』、『想い出がいっぱい』・・・などと、荻野さんが編曲をしたヒット曲は多い。

 

 

70年代~80年代を中心に4000曲以上を手がけた日本を代表する編曲家の荻野さんは、まさに「ヒット曲の料理人」である。

私は若い時から編曲者に興味を持った。たとえば、作詞:岩谷時子さん、作曲:弾厚作加山雄三)さんの名コンビがヒット曲を連発したときには、森岡賢一郎さんが見事な編曲をこなしていた。

編曲の定義は広くて、どこまでが作曲でどこからが編曲なのかも気になるところだ。極論では歌のメロディーを作れば作曲となり、その他はすべて編曲家が担うケースもあるという。印象的なイントロも、編曲家の“作曲”であることが多いといわれる。

萩田さんは、歌謡曲の名作曲家・筒美京平さんとも仕事をしている。作曲家と編曲家との名コンビぶりや相性も探ってみると、ヒット曲のエッセンスが垣間見られて楽しめる。

 

 

今週のお題「わたしの好きな歌」

子どものときからあのまんま

 

位置商標というのがあるらしい。特定の場所に配置された図形や色で商品が識別できる場合に認められるものだという。

特許庁によると、国内での位置商標は約50件が登録されている。その中に日清食品ホールディングスの主力商品である「カップヌードル」も含まれている。

2018年に、カップヌードルの容器側面に描かれる上部と下部の(バーコードのような)帯状のデザインが、特許庁から位置商標として登録された。ロゴやブランド名がなくても、図形の配置とデザインだけでカップヌードルと広く認識されるからとの認定らしい。

そのデザインは、開発者で同社の創業者・安藤百福さんが、デパートで見かけた洋皿の模様をモチーフにして発案。今も同じデザインで、カレーやシーフード味などすべてのカップヌードルシリーズで使われていて、1971年の発売からずっと変わらない。

 

 

おばあさんを久しぶりに見かけた男が、こんなことを言う。「あそこにおばあさんがいるでしょう。あのおばあさん、あたしが子どもの時から、あのまんま、あのおばあさんなんだよ」。落語『付き馬』にて、浅草寺の境内で鳩の餌を売るおばあさんへの一節だ。

子どもの時から見覚えがある人の中にはどういうわけか、あまり変わらず、年さえ取らない気のする人がいる。また、年をとる経過はわかっても、中身はずっとそのままに感ずる人もいる。私にとって落語家の桂歌丸さんはそうだった。子どもの頃からのファンである。

1966年に始まった『笑点』の大喜利も、70年代に演芸番組をキャラクターショーに変えたといわれる大ブームが起きた。

30歳代で髪の薄い歌丸さんと、“キザ”が売り物の四代目三遊亭小円遊さん(39年前に急死)の大バトルである。この2人の罵倒のかけ合いは番組の看板として定着していくことになった。

 

 

大人気の罵倒合戦はテレビの技術革新とまで言われた。実際の2人は歌丸さんが1年先輩ということで、小円遊さんに古典落語の稽古をつけたりと、とても仲良しだった。

ただ当時は純粋な視聴者が多く、2人が一緒にいるところを見られると「仲が悪いはずなのに」と不思議がられるため、旅先などでも離れて歩くようにしたらしい。

日本が高度経済成長の坂道を一気に駆け上がった時代に生まれた『笑点』。今も視聴率ランキングに顔を出す人気番組である。

その初期からの大喜利メンバーの歌丸さんは、体調が悪いときでもキャラクターショーのネタに変えたかのように、ひょうひょうと私たちを楽しませてくれた。私が子どもの頃から、あのまんま、あの歌丸さんなんだよ・・・と。

 

たんたんとすぎる毎日がいい

 

この梅雨は例年になく雨が続く。たった一年前のことも記憶から遠ざかるが、昨年の今頃に東京あたりでは早々に梅雨明けをしていて、盛夏のような天気が続いていたようだ。

海の誕生は3月1日だという。地球の歴史(46億年)を1年のカレンダーに換算した場合の話であるが。ちなみに、人間が四大文明を築いたのは、大みそかの午後11時59分。

壮大な仮説はおもしろい。地球に水と生命をもたらしてくれた恩人は小惑星らしい。数億年にわたり水を含む天体が地球に衝突を繰り返し、海が誕生したとか。地球のもたらした成長のおかげで我々は生きていられる。

学生時代に、給与の高さだけでなく(仕事を通して)自分が成長できるかどうかを考え、企業を選んだ方も多いだろう。いわゆる“働きがい”である。

 

 

<サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ>。高度成長期の真っただ中の大ヒット曲『ドント節』(クレージーキャッツ)である。底抜けに明るい植木等さんの歌声が懐かしい。

二日酔いでも寝ぼけていてもタイムレコーダーを<ガチャンと押せばどうにか格好がつく>もの・・・だと。

高度成長期は増え続く仕事と企業間の競争も激化。無理をしなければやっていられない。だったら居直って気楽な稼業ぐらいの気持ちでおやんなさいという歌である。

<明日も、なにもない日にしよう>。こちらは近年のポスターだ。東京メトロサントリーが「働く」をテーマに作ったコマーシャルだという。毎朝毎晩、大勢の人を乗せる鉄道のように、たんたんと(安全な)毎日が過ぎる方がいい仕事も多いだろう。

 

 

胎児と胎盤とを繋ぐ命綱は“ヘソの緒”である。その“ヘソ”も誕生後は日常生活で何ら役に立つことがないと思われている。それでもヘソは中心になくてはならないものらしい。“ヘソ曲がり”の私がいうのだからまちがいない。

そしてヘソは球技の世界ではただものではないという。<攻撃ではボールにヘソを向けない>とはサッカー。パスを受けるとき、攻める方向にヘソが向いていれば鮮やかな速攻につながるからだ。

野球のスイングの<ヘソで打つ>は、体が開かないようにするためであり、テニスでは相手選手への正対を崩さぬために<ボールはヘソで見よ>とのこと。今まで意識していなかったヘソも、意識してみると(ヘソは)司令塔のようにも思えてくる。

自分の体について知らないことは多い。1キログラムの体脂肪を減らすには7200キロカロリーを消費しなければ・・・。ダイエット本にあった。運動に換算すれば、マラソン数回分にもなるそうな。

<「いつか」でなく「今」始めよう>。<生まれ変わるなら生きているうちに>。あるジムの標語らしい。たんたんと毎日を過ごしていても、知らないことが見えてきたり、自分は生かされている、と感じることがよくある。

 

 

今週のお題「2019年上半期

思い立ったが吉日のアイデア

 

文化人類学者・川喜田二郎さんの著書である『発想法』(1967年)、『続・発想法』(1970年)を夢中で読んだことがある。とくに興味を持ったのがKJ法。

KJ法は、考案した川喜田さんのアルファベット頭文字からとった呼び名である。それはバラバラに存在している思いつきを整理して、筋道を組み立てるのに有効な手法であり、問題解決に結びつけていくための方法だという。

データをカードに記述し、カードをグループごとにまとめて、図解して論文等にまとめていく。現在ならカードを使わずとも、パソコンやスマホのアプリで同様なことができる。

イデアというのは頭の中に散らかった状態で生み出され、それをいかに保存・整理してひとつの考えにまとめていくかが課題となる。KJ 法はその整理と視覚化に役立つのである。

 

 

思いつきで頭の中に浮かぶさまざまな事象をカードに書き出し、並べてそれぞれの中で同じカテゴリーに属するものをグループ化する。それ以上はまとめられないというところまでグループ化して、それぞれのグループのカードに書かれている内容をつなぐと、いくつかのアイディアが浮き彫りになる。

小室哲哉さんが大ヒット曲を連発させた小室ブーム。あのときに初めて(音楽における)サンプリングという言葉を知った。そしてすぐに連想したのがKJ法である。

サンプリングは過去の曲や音源の一部を引用し、再構築して新たな楽曲を製作する表現技法だという。著作権の問題を回避できる範囲であるのなら、名曲の断片をつなぐいいとこ取りかもしれない。

さて、KJ法とセットのように紹介されるのがブレーンストーミングである。アイディアを生み出すための方法として興味深いのがそのルールだ。会議といえばダラダラと退屈なイメージであるが、その裏をかくような感覚なのである。

まずは、他人の意見を批判してはいけないということ。批判があると良いアイディアが埋もれてしまうからだ。

 

 

笑われはしないか、などと気にせず、思いついた考えをどんどん言う。そして、発言の順番がまわってきたら必ず何か言わなければいけない。“質より量”でできるだけ多くのアイディアを出すのだ。

他人の意見を聞いてメモをとる。そのメモを参考にしながら簡潔な発言を心がける。人と同じ意見はだめであるが、他人の意見に自分のアイディアを加えて新しい意見として述べるのはかまわない。発言内容は一度にいくつあってもよいのだ。

私自身、(仕事だけに限らず)KJ法とブレーンストーミングは長年使っている。居酒屋でミーティングして、いくつものアイデアが集まりその後の売上に貢献したこともある。

KJ法とブレーンストーミングは、考え方ひとつでかんたんに実行できるからいい。遊び感覚も織り交ぜると、より効果的だと思っている。

 

AIはちがう角度で具象化を

 

今、土日以外は毎日仕事をしているが職種は別々。時間は数時間か半日程度。出勤時間も6時台、7時台、11時台とまちまちで、一日で複数のこともある。期間限定で空き時間をぬって動き回る仕事もしている。

スケジュール管理は以前から、パソコン、スマホタブレットにそれぞれお気に入りソフト、アプリを利用。すべてGoogleカレンダーと同期で、どこからでも入力・確認ができる。とはいえ、今は複雑すぎてミスが起きないかハラハラする。

自室とリビングのカレンダーへは、日付の数字に○△▽□を色違いでマーキング。だが、グチャグチャで見にくい。

そこにすごい助っ人が登場。AIスピーカーである。一番助けられている機能はスケジュール管理かもしれない。AIスピーカーなら思い立つとき、話しかけるだけで応えてくれる。明かりを消した夜中に翌朝の確認をするのもかんたん。もちろん、起床時間のアラームもAIスピーカーまかせだ。

 

 

<明日の客数が分かれば・・・>など、サービス業や小売店、メーカーの望みをかなえる分野でもAI(人工知能)は活躍。タクシーの客数やビールの売れ行きなどを予測し、成果を出し始めた企業もある。

大手タクシー会社にて新人運転手の実例記事があった。AI導入前、その運転手の売り上げは1日平均5万円ほど。

地方出身の運転手の前職は食品関連。都内には土地勘のない地域が多く、お客さんがなかなか見つからない日もあった。先輩ドライバーから聞いた話を頼りに客を探すも、当てずっぽうである。

それがAIを使い、先輩ドライバーとの差が一気に縮まった。AIの予測を頼りに客を探したら、1日5000円以上の売り上げ増であった。

 

 

客数を予測するためにAIタクシーは様々なデータを駆使する。最も重要なのがエリア内の人数。人数と人の位置や動きをつかむには、携帯電話の基地局活用で、スマホの位置情報を取得するという。

過去のタクシーの運行実績データもつけ加え、乗車が多い位置や時間帯などの客数も読む。また、雨の日はタクシーに乗る人が増えるため、天気予報などの気象情報も取り入れる。

電車の運行情報も参考にする。電車が遅れるとタクシー乗り場に長蛇の列ができて、状況が変わるためだ。人がたくさんいるといっても乗車需要が多いとはいえない。野球場やコンサート会場の周りでは試合中、演奏中だと需要がない。それが終われば一気に人が外に流れ出る。

AIはこれらの情報を基に学習モデルを作り、30分後の客数を10分ごとに予測・更新するという。ついさっきまでお客さんがたくさんいたのに、少し経つと全くいないといった状況があるからだ。タクシーの需要は10分ずれるだけで変わるとのこと。

この実例をみても、AIは“人の考える域”を超えていない。しかし、“人の経験や感”という視点で、必要なデータを組み合わせているような気がしてならない。