日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

賞味期限に違いはあるけれど

 

私には、“どうでもいいような話”にときめいてしまう癖がある。

缶詰の賞味期限は2年から3年。そもそも賞味期限はメーカーが決めた「おいしく食べられる目安」だという。保管状態が良ければ半永久的に持つとの説もある。

かつて、日本缶詰協会で十年くらい前の缶詰の試食テストを行った。細菌などの微生物は検出されず、(味はともかく)食べて健康に害はなかった。ただ、古い食品ゆえに“食べる”、“捨てる”かの五感を磨く必要はあるだろう。

日本で2008年に発覚した中国製ギョーザ中毒事件で、メーカー側がギョーザ1パックの回収に要した費用は約1万円だったという。その年の3月末時点で回収した関連商品は約51万パック。返金、テレビや新聞での告知、運送、保管で約56億円を投じた。

ギョーザの小売価格(当時)は1パック200~400円。少ない粗利の50~100倍もかかった計算になる。

 

 

週刊誌、月刊誌など、雑誌の賞味期限は缶詰に比べてとても短い。2018年の紙の出版物(書籍・雑誌合計)の推定販売金額は、前年比5.7%減の1兆2,921億円で14年連続のマイナスだ。

書籍が同2.3%減の6991億円で、雑誌は同9.4%減の5930億円。雑誌離れが進み、特にコンビニでの売り上げが落ち込んだ。

1970年代末から90年代にかけ、コンビニ経由での出版物販売額は、出版市場全体の拡大とともに5000億円近くまで伸びた。それも2016年は1859億円で、10年前の43%に縮小。要因として、スマートフォンの普及やインターネット書店の台頭も見逃せない。

港区女子」や「港区おじさん」は、ある高級グルメ誌が広めた新語だという。夜ごと髪も服もピシッときめ、麻布や六本木など東京・港区で酒を飲んだり食事をする。物語ふうの記事に憧れを膨らませる人も多く、出版不況をよそに愛読者をつかんでいる。

 

 

2015年の港区民の平均所得は1023万円で、最下位の区の3.06倍だった。その差は40年間でほぼ2倍に広がった。再開発による不動産収入の増加と、新しい職業の台頭があるらしい。

デザイナー、ライター、写真家、ITエンジニアなどと、1人で掛け持ちするような働き方が広がっているとのこと。本業と副業ではなく、複数の仕事のプロの「自由複業者」が街の活気を支えている。

この話も活気がある。家族に内緒で結構な額の“へそくり”を、シニアはため込んでいるとか。18年1月に行った(シニア女性向け雑誌の)インターネット調査では、60~79歳の既婚男女437人が回答。

全体の54%がへそくりをしているとの回答で、その平均額は436万円。女性が514万円、男性は330万円であった。夫婦仲による視点では、仲が良い夫婦の妻のへそくり額は平均479万円で、不仲な夫婦の妻は898万円だった。

やはり女性の力は偉大である。お金に飢えてる我が身からは、想像もできない金額でうらやましいかぎり。

 

今の景気は良いのか悪いのか

 

最初のバイトは1日900円だった。大卒の初任給が3、4万円の頃だったと思う。横浜駅隣の、平沼橋にある大きな球状のガスタンクの下での肉体労働であった。真夏の暑さで水をがぶ飲みしたのを憶えている。

本来、千円のはずが派遣会社が百円だけ鞘抜いていた。学生どうしの情報で、高給を望むなら陸から船への積み込みの荷役を行う沖仲仕や、ベトナム戦争で戦死した遺体を洗う仕事もあったらしいが、そこまでの勇気はなかった。その後、いくつものアルバイトをしたが、いい体験で楽しかった。

就職、結婚となり生活がかかってくると、楽しんでばかりではいられない。家賃や家のローン、クルマのローンも大きな支出である。子どもたちの幼稚園や学費も必要になる。

丸一日、たっぷりと仕事漬けである。そのあおりでさんざん飲み歩いたが、その酒代も捻出せねばならなかった。

 

 

子どもたちが巣立ち、家のローンも完済。いい歳になってはいるが、若い頃より今がワクワクする。さすがに定職には就けぬが、アルバイト程度の仕事を3つしている。どれも(地元の)市の仕事絡みで、感謝の言葉をかけていただくこともよくある。

フィルムによるアナログ写真の仕事は長かったが、営業だけでなくクレーム対応も多くこなした。貴重な写真のフィルムを傷つけたり紛失したら、お客さんがカンカンに怒るのは当然のことだ。

アナログ写真の終焉後、過酷な仕事もした。コンピュータの前に座りながら、クレームの電話が鳴り止まない。その処理で本来の仕事が追いつかない。早朝から夜中まで事務所に缶詰状態であった。

クルマ通勤の往復では、眠気覚ましに X JAPANやB'zの曲を大音量でかけ、大声で歌った。そんなことを繰り返すと気分がハイになったりもする。疲れ切っているはずなのに不思議であった。ふと思った。案外、過労死ってこういう状況で起きるのではないか、と。

 

 

今、小さな子どもを連れたご家族を見ると、楽しい時期でもあるだろうが「生活を維持するのがたいへんなのでは?」 と、いらぬ心配をしてしまう。バラツキもあるだろうが、求人広告などの賃金を見ると渋い。

企業収益は史上最高に近い水準で、失業率もバブル期並みの低水準。こんな記事を見ても、どこの国の話? という感覚だ。

一昨年あたりには、“いざなぎ景気”を超える戦後2番目の景気拡大、などと浮かれていた。また、経済成長率は低いが、労働力不足でこれ以上成長できないとのご意見もある。

労働力不足となっているのは少子高齢化が原因らしい。とはいえ、宅配などの仕事で高齢者の方をよく見かける。うちで利用している生協の宅配では、半数が(学費のかかる子どもをかかえる)女性たちで、元気にがんばっている。

どうも報じられることと実態にずれがあるような気がしてならない。しかし、これだけはいえるだろう。<自分の給料が上がらないと、景気回復は実感できない>。

 

身近に革命を引起すインフラ

 

ゴールドラッシュの発端は1848年、カリフォルニアの大農園主の元に川底で拾った金の粒が持ち込まれたことだった。アメリカ史研究者・猿谷要さんの著書『アメリカ500年の物語』にある。

大農園主は100人以上の使用人にそのことを伝え、新しい製粉所が完成する6週間後まで秘密を守るよう命じた。ところが、使用人たちはすべて川をめざして走り出し、農園は崩壊して農園主の運命は悲惨なことになる。

われ先にと人を駆り立てる“金”の魔力のようだ。川底の“金”を拾うことには雇い主と使用人は関係なく平等である。大量の金採掘で世界の通貨事情を一変させた。

その川の話でインターネットを連想してしまう。インターネットには、“金”ならずあらゆる“(清濁併せ呑む)情報”が眠っている。

 

 

1956年、パナソニック創業者・松下幸之助さんは年初の経営方針発表で、この先5年で売り上げを4倍にしようという計画を表明した。具体的な数字やキーワードを使うことで社員を引き込む。

“無理難題”と社員は半信半疑であるが、「この計画は大衆の要望を数字に表したにすぎない。必ず実現できる」と松下さんは鼓舞する。そして4年で目標を達成した。

1960年には仕事の能率アップのため、完全週休2日制をめざすと宣言。集団を引っ張る力の源泉は、明確な旗印を掲げることなのだろう。

インターネットが一般化されたとき、写真や動画などでネットカタログみたいに感じた。それ以前のパソコン通信では、テキストが主だったからだ。

この新しいネット利用で大儲けする人は必ず出てくるだろうと確信した。とはいえ、儲かるチャンスなのに自分ではなにをしたらいいのかわからなかった。

もし、その時代に松下さんが生きていて、インターネットでなにかを発信しようとしたら、なにをやっていたのだろうか。アマゾン、グーグル、フェイスブック等とは一線を画した、奇抜なビジネスが展開していたかもしれない。

 

 

インターネットは、社会に革命をもたらすインフラだと思う。ただ、革命の恩恵を受けることは利用者の発想力や創造力にかかっている。

インターネットの「サイト」という言葉も、場所や位置を意味する英語であるが、語源となるラテン語の「situs」には別の意味もあるらしい。それは、“汚れ・放任・腐敗”などだ。

ネットには、大きな闇サイトの世界が広がっていることもある。目に見えない場所で、悪事が進行していても、避けて通ることや察知することも容易ではない。

インターネットは、苦しいときの“神頼み”であり、LINEの機能も便利である。私はパソコンとインターネットが大好きである。ネットを悪用した犯罪が起きても、ネットがダメという判断はおかしいはず。

「これは怪しいぞ」という直感が薄れている(人間の)アナログ感覚の退化にも、問題があるだろう。デジタルの中にいると、逆にアナログ感覚の必要性を強く感じてくる。

 

身元判明のためにQRコード

 

長年、私は“気になる記事”をスクラップしている。昨夏、「火葬した夫が帰ってきた」との記事を見つけた。

一昨年6月下旬、江戸川で意識不明の男性が見つかり、搬送先の病院で死亡したとのこと。その3日前に千葉県警松戸署へ行方不明届が出ていた。警視庁亀有署は千葉県松戸市の40代男性と判断して、家族を呼んだ。妻ら親族3人が遺体の顔をみて本人に間違いない、と話したことが根拠となり家族に引き渡したのだ。

ところが昨年の6月6日に、40代男性の妻から「夫が帰ってきた」との届けが出たのである。その後の捜査で、採取していた遺体の指紋などから、遺体が誤って引き取られた直後に行方不明届を提出されていた30代男性と判明したらしい。

警視庁は双方の家族に経緯を説明し、遺骨を引き渡す手続きを行ったそうな。

 

 

昨年の統計で恐縮だが、2017年で警察に届け出があった認知症の行方不明者は1万5863人。統計を取り始めた2012年以降、5年連続の増加だという。2025年には認知症の高齢者が700万人に増えるとの推計である。

2017年に届け出があった行方不明の認知症の人の年代は、80歳以上8220人、70代6193人、60代1336人などで、70代以上が9割を占めた。

ちなみに同年の年代別行方不明者では、20代が1万7052人、10代が1万6412人、30代が1万615人、80歳以上が1万476人となる。

各年代の原因として多いのは、20代と30代が“仕事関係”、10代は“家庭関係”、80歳以上は“認知症”とのことである。

行方不明になった認知症の人で、所在がわかった総数は(16年以前の届け出分から2017年までで)1万5761人。470人は死亡していた。

認知症の対応では、どうやって早期に発見し、事故から守るかが課題になる。地域住民の力と先端技術などを活用したいくつかの取り組みが各地で広がっているという。

 

 

埼玉県入間市は16年11月から、徘徊のおそれがある人に、身元確認ができるQRコードを印字したシールを無料で配っているとのこと。

1センチ四方で指の爪に貼れ、スマートフォンでQRコードを読み取ると、各自で決められた登録番号と入間市役所の電話番号が画面に表示される仕組みだという。それはネイルシールのような素材を使ったもので、入浴などで水にぬれても2週間程度ははがれない。

同市は10年以上前からGPS(全地球測位システム)端末を有料で貸し出したりしたが、充電が必要など不便な点もあり高齢者らが持って出かけるとは限らなかった。

QRコードのシールは家族からも好評のようだ。認知症などで高齢者が徘徊した場合、保護されても身元がわからず、家族と連絡が取れるまで時間がかかってしまう。そういった問題を解消するためにも、QRコードが期待されているとのことである。

 

必要のないものが必要な時代

 

段ボールはシルクハットの内側が汗で蒸れないように、通気性を保つ裏地材として開発されたらしい。その発祥は1856年の英国だ。後に米国で、瓶などの緩衝材、包装材として普及することになる。

もし、今のような使われ方をしていなければ、シルクハットのない我が家では段ボールと出会う縁がなかったことだろう。

日本では1909年に中国大陸の放浪から帰国した井上貞治郎さんが、国産化に成功して、電球の包装材などに使われるようになった。“段ボール”という名称は、波形の段の付いたボール紙にちなんで井上さんが命名した。井上さんの設立した会社は業界最大手になった。

国内で段ボールが普及したのは戦後で、朝鮮戦争の米軍などが物資を運んだ段ボール箱が、丈夫さや軽さで注目された。近年の国内生産は、面積換算で岩手県の広さに匹敵するほどらしい。災害用簡易ベッドも開発され、熊本地震で重宝されたという。

 

 

ちょうど一年前に、レシートが1枚10円にかわるアプリ「ONE」が公開された。17歳の起業家が“次世代の金券ショップ"を目指すということで、話題になった。買い物をした際のレシートを、必要としない人は多い。

価値はないかもしれないレシートも、誰かにはお金を払ってでも買う価値のあるものなのではないか。そのことでレシートに1枚10円の値がつく、という。CEOの山内奏人さんの世界観や目のつけ所がおもしろい。

アプリ「ONE」の会社はユーザーから「レシートという形をした決済データ」を買い取り、そのデータを手に入れたい企業に販売していくしくみなのである。

今は大まかな統計データではなく個々の消費傾向を把握し、それぞれに最適な提案をすることが求められる時代だという。

 

 

だからこそ<どんな人がどのタイミングで、どのような商品を買っているのか。その商品と一緒に買っているものは何か>といった購買データに価値があるのだ。

ユーザーはアプリからレシートの写真を撮影するだけで、いたってシンプルである。そして、買い物の金額や購入した商品数などは自由で、どんなレシートも1枚10円に変わる。

ユーザー1人あたりが1日に撮影できるレシートは5枚や10枚などと、時期によって限定されるようだ。利用料等はかからないが、出金時の手数料200円についてはユーザーの負担となるらしい。

その反響は・・・といえば、サービス開始翌日の時点で、ユーザー数は約10万人に到達。買い取りレシートは累計24万枚に達したそうな。そのまま増えれば資金がショートするため、サービスを一時停止したという。

今現在の活動状態はよくわからないが、“必要のないものが必要になる”という(時代に沿った)アイデアには、興味が尽きないのである。

 

話に具体力をもたらせる数字

 

今年の6月は雨が多いようだ。71年前の6月13日に太宰治さんが知人女性と、玉川上水(東京)へ身を投げた。

人間失格』など青春の純真さで心に残る作品を次々と発表。戦前から戦後の混乱期を駆け抜けた38歳の生涯であるが、日本文学史上に深い刻印を残した。

激しい雨で川も激流であったという。遺体が発見されたのは誕生日の19日だった。

太宰さんと同じ年に生まれたのが松本清張さんである。<私に面白い青春があるわけではなかった>と。

学歴もなく職を転々とした若き日々。文壇へのデビューは40歳を過ぎてからだ。社会派の推理小説砂の器』のみならず、古代や近現代史をめぐっても四方八方の活躍をした。

大地主の六男坊と、小さな努力を積み重ねた苦労人。同い歳で異質な2人は、今も読み継がれている。

 

 

社会の深刻な実情を、数字がくっきりと浮かび上がらせることがあるという。統計や数字を駆使する「データ・ジャーナリズム」の手法というのを、昨年のネット記事で知った。

2018年5月、CNNテレビは米国内の学校で繰り返される銃撃事件をめぐり、データを発表。(昨年の)1月から5月の時点で、発生状況は“週に1件以上”の異常なハイペースだった。

その死者数は計31人で同時期での(作戦行動中だった)米兵の死者数が計13人。紛争地帯などで危険と隣り合わせの兵士との比較でわかることは、絶対に安全でなければならない学校で、多くの命が失われているという異常さなのである。

銃規制強化等、トランプ大統領は対策に乗り出すと言いつつ、かけ声ばかりで行動が伴っていないとも報じたらしいが。

 

 

貿易で損をしているから輸入品に高い税金をかける。(他国からの報復で)貿易戦争になっても大勝利してみせる。そうすれば貿易赤字は減少して雇用も安定する。トランプ米大統領の胸の内にある“計画”らしいが、身勝手な米国第一主義の夢想ともいわれる。

ワシントン・ポスト紙も昨年の5月に、就任以降のトランプ氏による公式発言の「ファクトチェック(事実確認)」を続けていると報じた。

「米国史上最大の減税」や「国境の壁の建設が始まった」などの誇張や事実誤認などである。その数は3000回を突破したとのこと。一年後の今では、その記録がどこまで伸びていることやら。

野球ファンが多い米国は3000という数字が節目になるらしい。安打数の大台に到達した大リーガーは「3000本クラブ」と呼ばれ、イチローさんら32人を数えるだけだという。

トランプ氏の問題発言は、就任100日目まで1日平均4.5回だったのが、一年前の統計では6.5回と着実に“打率”は上がっている。次の大台も早いはずだ。

大リーグの4000安打以上を記録した選手は2人しかいないらしい。大統領の言葉の軽さを球界の偉業と比べるのは、やはり偉大な打者たちに申し訳ない話のようである。

 

人類の文化にはそれがある

 

まだパソコンが一般化する前の時代に、横浜駅近くの銀行を会場に借りた写真の展示会があった。得意先の手伝いで、地元の写真コンテストの入選作品の飾り付けを行ったが、閉店後の時間帯でも行員さんたちは無言で事務処理に追われていた。

今はデジタル処理なのだろうが、その昔に金額が合わぬ場合はそれなりの処理があったという。仮に、2万円の支払いを求めた客に誤って20万円を渡した、という行員の“桁違い”のミスでは、当然その日の集計で18万円の不足金が生じる。

その額を“9で割る”ことで手がかりがわかるらしい。この場合は2万円である。その額の伝票を追求することで不足金の原因が判明するとのこと。

コンピュータ処理以前は電卓で計算をしていたのだろうか。そして、もっと時代を遡れば算盤を弾いていたのであろう。

 

 

いつの世もお金にまつわる話は多い。もう10年以上前になるが、霞が関界隈では“タダ酒”の話で大騒ぎになっていた。

深夜に帰宅する官僚が公費で乗ったタクシーの運転手から、缶ビールやつまみ、そして現金まで受け取っていたという。運転手側としても、家が遠くて距離を稼げる客には、引き続き指名してもらいたいため、接待攻勢で競い合っていたようだ。

“のど”や“ふところ”を潤した官僚は、財務省など13機関の520人にのぼった。

程度の差はあるだろうが、業者提供の缶ビールをゴルフ接待に置き換えてみるとどうか。公費で手にする役得ということでは変わりがない。常識の感覚がずれた霞が関の持病では、“お疲れさまの1杯ぐらい”はどうってことはなかったのかもしれないが。

 

 

<安物買いの銭失い>と似通った感じで使われる<ただより高いものはない>。ただの物は返礼に苦労したり、無理な頼みごとをされることもある。発覚すればかえって高い代償を払うことにもなりかねない。

文化人類学において、贈答・交換が成立する原則の一つとみなされる概念を「互酬性(ごしゅうせい)」というらしい。有形無形にかかわらず、それが受取られたならばその返礼が期待される、というものである。

ほとんどの人類の文化にはそれがあるそうだ。“ただ”と思い、使うサービスでかけられる呪力では、個人の情報や嗜好も収集されてしまう。友人の情報、政治信条も、企業や外国政府に利用されかねない。

某市では、(管轄の)自治会の役員たちへ、予算から飲食を振る舞うことも恒例化しているようだ。“タダ酒”の文化も廃れることはなさそうだ。

 

時を経て形を変える和食の心

 

1990年に43.8%だったのが、一昨年(2017年)は27%に減ったらしい。朝食にご飯を食べる人の割合である。家庭の食事もこの20年で様子が変わり、和食が減少傾向にあるようだ。家族一緒に同じものを食べる食卓も減っている。

“現代家族論”の著作で知られる岩村暢子さんは、1998年から食卓の調査(食DRIVE)を継続的に実施している。主婦に1週間の食卓を写真と日記で記録してもらい、その内容を聞き取る。集めた写真は1万5000枚以上になるそうだ。

とくに1960年以降生まれの親世代までさかのぼる調査実績では、第二次世界大戦後の日本人の生活史が浮かぶという。当時に比べて、魚を焼いたり、だしをコンブやカツオ節などから取ったりする人も減っているとのこと。

今は、個々に自分の食べたいものを、自分のタイミングで好きな味に染めて食べることが一般化している。“素材・自然中心”から“自分・人間中心”という流れのようだ。

 

 

冬の料理と思われた鍋料理も、今は年間を通じて登場する。旬の素材の味を生かした味つけだけでなく、トマト味やキムチ味などと鍋つゆの味で食べるのである。食事時間も家族バラバラで、そのたびに加熱をし直す。

1960年以降の生まれの主婦は、その母親世代が戦後の食糧難の時代に育ったため、伝えるべき和食の原体験が乏しいという。

時代背景としても、油脂や肉、小麦、牛乳がふんだんに使われる欧米型食生活を国が推進する時に家庭を持ち、雑誌や料理学校などで洋風料理を学ぶ。

1960年代から70年代にかけて、インスタントやレトルト食品、外食や中食産業も発達した。家庭の食卓は大きく変わり、一からすべてを作らなくても日常の食事には困らず、多彩な食を味わうことが可能になってくる。

 

 

1970年に日本初のファミリーレストランチェーン「すかいらーく」が誕生して、コンビニエンスストアの「セブン・イレブン」第1号店が開店したのは74年。ファストフードも流行し、食の簡便化は進む。

育児も子どもの意思の尊重という考え方が広まり、食事の好き嫌いも個性との判断で無理強いをしなくなる。塾通いなどで、子どもは先に夕食を食べて出かけ、遅くに帰る父親は一人で食事をする。家庭内での料理体験が減る一方で、孤食・個食が一般化した。

そして洋風化だけでなく、味がしない白いご飯が苦手だったり、みそ汁はなくてもいいという子どもも増えるようになるのだ。

好きな物を食卓に出し、“お握りとカップ麺”や“スパゲティとパン”などの「主食重ね」を、私もやることがある。生まれ持った味覚は保守的・・と思ってきたが、今までにないおいしさや簡易さの出会いで、その味覚もかんたんに更新されてしまう。

とはいえ、昔ながらの素朴な和食に出会うと新鮮味があってとてもおいしくいただける。このアンバランスな部分がふしぎでおもしろい。

 

おもしろい要素を見つければ

 

<人生ってアップで観ると悲劇であるが、ロングで観れば喜劇である>。先日、テレビで脚本家の倉本聰さんが言っていた。おもしろいということは、お笑いやおふざけということではなく、好奇心なのだと思っている。

かつて、お世話になった方の口癖は「なにかいいことない?」だった。興味を持ってその口癖のわけを訊いたら、“意図的に使い始め”たとのことだった。

いろいろな人へ挨拶代りに使うと、「そんなことはないよ」、「実はね・・」などと応えが返ってくるので、和やかな雰囲気になれる・・・ということだった。

観ていておもしろいと感じるものは、(人それぞれの好みにもよるが)わかりやすいことが大切なのではないか。おもしろい映画やドラマ、バラエティでも、構成がとてもわかりやすい。

 

 

各テレビ局の昼番組で、名ドラマの再放送が多い。気になるものは録画しておいて、夜中に観ている。とくに衛星放送やローカル局でお宝を発見することもある。

現在放送中のメインドラマより、過去の再放送の方がおもしろい。創り手の発想がとても豊かなのである。小説でもブログでも、読んだり書いたりすることの基本は“おもしろい読み物”の探求とも言えそうだ。

自分で書くときは、興味を感じたバラバラの断片を書き連ねる。そのとき、起承転結やつなげることなどまったく考えていない。あとはいかにわかりやすく組めるか・・・だけである。

書き下手な私は、骨組みである構成がしっかりしていないと、ガタガタになる。そのためにアイデアプロセッサを使っている。バラバラな“情報やアイデアの断片”をそこに放り込んで、あれこれと組み替えてみるのである。

 

 

たった一年であったが、シナリオの勉強をした。そのことがあらゆる実務(仕事)や表現に役立った。シナリオは具体的でわかりやすい文が優先となるため、形容詞や美文がジャマになる。文章にしようなどと思わない方がいいのだ。

秋元康さんは、<おもしろい企画を作るために特別なことは必要ない>と言っていた。生活の中で記憶の“リュックサック”の中へ、思いつきをドンドン入れて組み合わせていくだけ・・・なのだと。

おもしろいことや企画の案は、日常の中にあるようだ。特別なことをしてしまうと、逆に見えなくなってしまうこともある。構成がわかりやすくなりバラバラだった異種の断片が、おもしろいようにつながればしめたもの。とはいえ、なかなか思うようにいかないのが常であるが。

今までも、これからもそうであるが、かなり真剣に思い込んでいることがある。それは、自分にとって<イヤなことの中から「おもしろい」の要素を見つけ出す>ことである。そういう状況にいるとき、自分はどういうリアクションをとるのか。そこに強い興味がある。

 

人間味を意識するは人工知能

 

昨年、北海道大学でAI(人工知能)の研究チームが、写真をもとに俳句を作る人工知能を開発したという。コンピューターが自ら学ぶ“深層学習”で、小林一茶さん、高浜虚子さん、正岡子規さんなど俳人の約5万句を学習。その名も「一茶くん」だとか。

ひとまとまりの俳句に合った風景写真も約3万枚学ばせた。そのことで、画像を入力すると瞬時に俳句を作ることが可能になった。

季語だけでなく、“や”、“かな”などの「切れ字」も使いこなす。<湖に うつる紅葉や 窓の前>は湖と紅葉の写真から生まれた。今のところ初心者よりは上手、というレベルらしいが約300万句を作ったそうな。

独創的な句が生まれることもあるらしい。<鳴き捨てし 身のひらひらと 木瓜(ぼけ)の花>などは人間味を感じさせる句である。

 

 

<命が、命の仕組みが透けて見えるのです。その命と私たち人間の命はつながっているのです>。ミジンコ研究家の顔をもつサックス奏者・坂田明さんが、初めて顕微鏡でのぞいたときの感動である。

工夫を重ねて飼育槽を作り、観察を続けてきたのは、微小な甲殻類のその“命”に触れたからだという。

普段は感じることが少ない命の重み。1913年(大正2年)の夏、志賀直哉さんは山手線の電車にはねられ、重傷を負った。死と隣り合う生を見つめたのは、養生に訪れた兵庫県城崎温泉であった。そこで名作『城の崎にて』を書いた。

作品の一節に<自分は死ぬ筈だつたのを助かつた、何かが自分を殺さなかつた・・・>とある。仏に、神に、“何か”にであれ、「生かされている」という自覚は、大病を経験した人だからこそ語れるのかもしれない。

 

 

<経験はそれだけでは経験にならない。他のもう一つの経験によって乗りこえられた時、初めて一つの経験になる>。ゲーテの言葉らしい。たとえば転職でも、それまでにたいへんだった仕事を多くこなしていると、後で活きることがたくさんある。

AIに負けない人間味といえば、アイデアもそのひとつだ。商品開発にしても経験に基づいて生まれ、それを活かす経験が必要になるのだろう。

梅雨の時期である。我が家にも何本かあるビニール傘は戦後の東京で生まれたという。江戸時代から続く傘問屋の9代目・須藤三男さんが開発したらしい。

1953年(昭和28年)に、雨漏りや色落ちが多かった木綿の傘にかぶせるビニールカバーを作ったことがきっかけだった。そのヒントは進駐軍のビニールのテーブルクロスとのこと。

一時は流行ったが、化繊の傘の登場で販売は激減した。58年にビニールを骨に直接張った傘を開発したが、売り上げはパッとしなかった。

ところが、64年の東京五輪で来日した米国の商人が買い付けた。<雨の多いニューヨークで売れる>との確信があったからである。米国で評判になることで、日本でも人気が出ることになった。経験の連鎖というところに人間味があって微笑ましい。