容量不足も様変わりは極端に
2018年に国内で生まれた赤ちゃんは92万1千人。統計開始(1889年)から最少だった2017年より2万5千人少なく、3年連続で100万人を割り込む見通しだという。百万人を回復することはこの先、恐らくないのでは・・とも懸念される。
2025年になると、人口ピラミッドのピークを形成してきた団塊の世代は皆、75歳以上になる。今から介護施設や高齢者施設の不足が囁かれる。
日本の社会では、団塊の世代の成長に合わせて教室を増やし、雇用を創出し、住宅を確保し、都市空間を整備させてきた。その最終段階ともいえる局面が迫りつつある。
「人口重心」という言葉があるらしい。私たち一人一人の体重が同じと仮定した場合、日本全体でバランスを保てるようになる場所のことだという。
5年ごとの国勢調査のたびに発表される人口重心。2015年に総務省が算出したところでは、岐阜県関市の武儀(むぎ)東小学校から東南東へ約2.5キロの地点である。
1965年には長良川の西側、岐阜県美山町(現山県市)に人口重心があったそうで、東南東方向へ毎回数キロずつずれており、この50年間で長良川を渡り27キロも動いたことになるらしい。
そのベクトルが東京へ向かっているのはまちがいがなさそうだ。少子化の対策や東京一極集中の是正などを掲げ、政府が「まち・ひと・しごと創生総合戦略」である地方創生の5年計画を策定したのは2014年の末であった。
「2060年に1億人程度の人口を維持する」ことを目指すとともに、ここをしのげばその先に大きな器が必要になる世代は存在しない・・・ともいわれる。
社会は容量不足の恐怖から解放される、と考えることができそうだが、大きな器は持て余すものらしい。そのときは、広がりきった戦線を縮小し、いかにコンパクトな社会につくり直すかが課題になりそうだ。
どの人の人生も、時代の背景を抜きには語れない。作詞家・西條八十さんは若い頃、東京・兜町に入り浸ったことがあるという。実業家の父がなした財は道楽者の兄に使い尽くされた。
西條さんは詩で身を立てたかったが、暮らしのために家財を質入れして得た3千円で株を買った。その当時は第一次世界大戦による好景気で、含み益は30万円に膨らんだ。銀座の一等地が、1坪数百円という大正期の話であった。
<僕の野心はせめて50万円儲けて>と売り抜けをためらったために、終戦で暴落した。手元に残ったのはわずか30円であった。
西條さんはその30円で辞書を買った。そこから多くの詩や歌詞が生まれたことを思えば、何が幸いするかわからないのが世の常である。