日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

豪商と庶民のちがいは宿泊費

 

昨日、麻疹(はしか)の記事が新聞に2件載っていた。大阪市阿倍野区あべのハルカス近鉄本店で、従業員が相次いではしかに感染。市保健所は14日、新たに客6人と従業員1人の感染が判明したと発表。従業員の感染は計10人で客と合わせた感染者が計16人。

1月から9階で開催していたバレンタインフェア会場の販売担当・従業員10人(10~40歳代)のうち8人が発症。客の男女6人(10~30歳代)は、1月26~27日に会場を訪れていたという。

次は、はしかに感染した40歳代の女性が、2月8~10日に新幹線で“新大阪~東京”間を往復した。その女性は発熱や発疹を訴えて、13日に感染が判明。府は、乗客に感染の恐れがあるとして、注意を呼びかけている。

 

 

自分が子どもの頃も、はしかやインフルエンザはあった。学級閉鎖もあったが、その体験の記憶はほとんどない。感染が広まることもあったが、新聞などで特定されて報じられることはなかったように思う。

今と昔の情報を比較すると、新たな発見があるかもしれない。その観点でいけばこの人の話は実におもしろい。歴史学者磯田道史さんである。

磯田さんが訪れた京都・寺町通の古本屋で、店の人が奥から汚れた怪しい箱を出してきた。大和高田(奈良県)の薬種商・喜右衛門という男が遺した古文書がぎっしり詰まっていたとのこと。

江戸後期の庶民の旅費は1日あたり400文とされる。当時の1文は米価換算なら現在の約10円だが、労賃換算では同50円になるそうな。旅費は1日2万円で、江戸と京大坂は往復で約40日かかれば、現在の約80万円の旅費がかかることになる。それでも庶民の倹約旅行の場合だという。

豪商は1日約700文で旅をしていた。庶民との違いは宿泊費で「酒宴や女郎遊びに興じるなどの楽しみを多く享受していたため、金額の相違が生じたものと推測」されている。

 

 

今回みつかった喜右衛門の道中記には、道中の「女郎」に関する価格と出費を詳述していたという。磯田さんいわく<私は、江戸後期の売買春の費用的実態がわかると思ったから、“箱ごと全部”この史料を譲ってもらい分析をはじめた>とのこと。

さて、“いつをもって成人とみなすか”の議論は江戸の昔からあったようだ。儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)が徳川吉宗の内命を受けて著した書物『太平策』のなかに、元服を早める当時の風潮を嘆いたくだりがある。

<修養の足りない者が大人の扱いを受けている様子はあたかも「匕首(あいくち)に鍔(つば)を打ちたるよう」>。つまり、小刀に不釣り合いな鍔をつけたよう・・・だと。

大人とは何だろう。ある辞書では、「自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけて来た意味で言う」とあった。

<人間ができるまで十七年か七十年かは人によりけり>。歌人・小池光さんの一首だ。道理で、私は大人になった気がしていないワケである。