だれにでもある残された時間
<最後の真夏日(30度以上)から気温が一桁になった間>が、秋の期間の断定基準だという。12月までに一週間を切った今、すでに冬を迎えた地域もあれば、まだ秋の所もあるようだ。
余白ならぬ“要白(ようはく)”という言葉の意味は、絵画やデザイン、写真の世界で用いられる空間のこと。“空間"だけでなく、「時間」に置きかえると、秋も決して余白ではなく要白のはずである。
人間には余生という言葉が使われることがある。しかし、生きることに余りはぜったいにない。人生を螺旋階段に喩えれば、1日、1週間、1ヶ月、1年と それぞれのサイクルで、上から見れば同じ円をまわるが、横から見るとゆっくり昇っている。
人はそれぞれの時代に生きる先輩から後輩へと、順番にバトンリレーしているように感じてならない。まして、同時代に生きて同じ時間を共有できるということは、奇跡に近い偶然なのであろう。
AI(人工知能)にも得手不得手があるらしい。自身が知らなかったことには、当意即妙に反応するような“直観”を持たない。どの問題がなぜ重要かを見分け、(人間が機械に教え込んだ)既成の価値基準に従う以外に方法はないとのこと。
人は、考えすぎず、無思慮になるのでもなく、シンプルに一歩踏み出すことで、人生が好転するらしい。
『行動的な1日をつくる「禅的習慣」』というものを(自分のメモ帳から)見つけた。
それによると...
1.肝心なのはスピードではなく「スタート」
2.大事なことは「頭」ではなく「身体」で覚える
3.「やめる」のも(決断したら)「すぐに」やる
4.「ルーティン」が、ちょっとした体調の変化も教えてくれる
5.人間のバイオリズムに反することを習慣にしない
6.もっと「直感」を信じて行動を起こす
以前、俳優・榎木孝明さんが「残された時間の使い方」をテーマにコラムを書かれた。
榎木さんは人と会う度、初対面であっても、年配の方に対しては「あと何年間、生きられると思いますか?」、「あと何年間、自分の頭でしっかりと判断できると思いますか?」などと、聞くそうだ。
年配者に対して、長生きをして下さいと言う優しさは持ち合わせるが、単なる優しさよりも、真摯な気持ちで限られた生の話をすることも大切だ、と記された。
地球に人間として生まれた以上、生老病死は宿命である。この世に生きられる寿命からは、(自分が年を取るなどと思いもしていない若者たちも含め)誰も逃れられない。
“残された時間は少ない”ことを意識して創作活動を続けるのは、映画監督・宮崎駿さんである。
スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんが「絵コンテ描いて死んだら、映画は大ヒット」とジョーク交じりのエールを送れば、「何もやってないで死ぬより、やってる最中に死んだほうがまし」と、宮崎さん。
宮崎さんいわく<世界は美しいという映画を作りたい>とのこと。
それが宮崎さんに残された時間の一つの使い方であることは、間違いなさそうだ。