ほぼ必勝と言える精度の答え
「ドラえもん」で予言された道具が現実になり、使われているものは多いという。“糸なし糸電話”は(大ヒットの)携帯電話になり、スマホになると使い道がどんどん広がった。その機能には、“動画撮影アプリ”や“イージー特撮ビデオ”なども組み込まれた。
「正しい道を教える道具」なるものはどうなのだろう。
のび太くんの頼みで、ドラえもんが取り出した“コースチェッカー”は、分かれ道で使うと、それぞれの未来が最大15分間予想できるというものだ。
「右も左も災難に遭う」と言いながら頭を抱えるのび太くんに、ドラえもんは叱った。
「障害があったらのりこえればいい! 歩きやすい安全な道を選ぶってことじゃない」。
「人間というものは小さな猛禽同然のことをするものである」。
思想家・マキャベリ氏は『政略論』で指摘している。
人は<眼前の獲物に夢中で、頭上から狙われていることに気づかない小鳥のようなもの>なのらしい。
江ノ島や鎌倉のトンビを連想してしまう。いともかんたんに人の食物を盗み去り、人は空を飛んで取り返せない。
鍋島藩士・山本常朝さんは若いころ、「残念記」という日記帳をつくり、日々の過ちを書き留めていたらしい。<一日の事を寝てから案じて見れば、言ひそこなひ、仕そこなひ無き日はなし>と語り、過ちがあまりにも多すぎて、最後は投げ出してしまった。
<いやな奴への復讐、忘るべからず>。<長屋に落ちても俺は殿様だ>。
こちらは喜劇役者・古川ロッパさんである。
人気が落ちた晩年、手のひらを返して冷淡な友人知己に、ひとりペンを握って怒り続けた。ときに日記は「憤懣(ふんまん)記」にもなるようだ。
悲しみも怒りも、“時間”という医師により、(あとで読み返せば少しでも)小ぶりになるかもしれない。“絶望”という言葉が軽く語られがちなこの時代も、日記の効用は見直されていいようだ。
さて、「ドラえもん」のアイテムのようなおもしろい話がある。
アメ玉やコインでも、ガラス瓶いっぱいに詰め込み、一番近い数を言い当てた人が賞品として受け取れるとする。誰が当てるかは時の運だが、確実に正解へ近づく方法ならあるという。
それぞれの参加者が周囲に惑わされず、一人で答えを考え、答えを持ち寄って平均する。個々の答えのばらつきにかかわらず、その答えはほぼ必勝と言える精度にまでなるとのこと。物理学者、レン・フィッシャー氏の論である。
正解のある問題で、(ガラス瓶で言えば)重さや見た目といった相応の情報がもたらされる場合に限るが、個々人の考えを集めた「集団の選択」に間違いはないそうだ。
この論の応用で、なにかで迷いが生じたら、周囲の人たちから直感的な意見を伺い、それらすべての意見を集計して平均化してみるのも“手”なのではないだろうか。まるで、“希望の予測”ができる道具みたいだ。