人の持ち時間と回らぬおカネ
生まれてすぐの赤ちゃんは、人の顔や表情を認識できるそうである。
50年前に、新生児は目が見えていない、と考えられたが、舌を出したり唇を突き出したりと、顔まねもできるという。
新生児の記憶にはまだ謎が多い。この世に生まれてすぐ、出会った笑顔が刻み込まれている可能性もゼロではないらしいのである。遠い記憶の中にさがしてみれば、懐かしい顔が浮かんでくるかもしれない。
昔の人の享年を調べ、夏目漱石さんは49歳で亡くなったなどと知ると、重ねるわが年齢が気恥ずかしくなる。昔の平均寿命は今よりずっと短い。“人生50年”とされた持ち時間の短さや、当時の社会事情もあることだろう。世間の風に早くから当たることを求められたようだ。
平均寿命がぐんと延びている現代では、物心ともに“親がかりの歳月”も延びているように感ずる。
1922年(大正11年)の秋、アインシュタイン博士が来日した。
遠来の客を迎えての高揚ぶりはすごかったようだ。博士にとっても日本は忘れられない国になったらしい。
一昨年、日本の印象などをしたためた直筆の草稿や手紙が、初めて報道陣に公開されている。その中の、ドイツ語で書かれた草稿には、日本の家屋や田畑を見ての感想が述べられている。
<まるで自然と人間が一つになったようだ。すべてが愛らしくおおらかで、自然が与えてくれたものと親密に結ばれている>。
いつの世も、新鮮なつまみを前にした居酒屋での一杯は格別であろう。
居酒屋は“人生の夜学”なのだとか。<飲む作法をはじめ、店主や相客との間の取り方、ほどのよい切り上げ方>などと、いくつもの事柄を知らないうちに勉強できる。
ひとりで飲むとき、気になるのはつまみの量だ。うっかり頼みすぎると手に負えなくなり、後悔する。ホッケの干物は1人で食べるには大きすぎるという印象があった。食べごたえがある上に安いため、居酒屋の定番メニューとされてきたのだ。
そのホッケが、水揚げ激減のため値上がりしている。マホッケの漁獲量は、この15年で5分の1近くにまで落ち込んだという。そして、高値になっただけではなく、その姿もかなり小さくなっているのだそうだ。
海から大きなホッケがいなくなってしまったのは、乱獲のせいだと指摘される。ホッケに限らず、マグロ、ウナギなども同様なのである。
日本の水産業は「乱獲、乱売、乱食」の悪循環に陥っている。漁師だけでなく、流通業者も消費者も、皆が協力し合って魚を減らしているという見解なのである。
庶民の感覚では、稀有の高級魚に手を出すよりも、安くて良い物を探す選択肢しかなくなる。たまに買い物をするが、スーパーなども価格の高い店はガラガラで、安売りのスーパーへと客がごった返している。
家庭用金庫の売れ行きが伸びているという。企業や個人が現金を手元に置く傾向が強まっている。いわゆる“タンス預金”である。
2月のマネーストック速報では、<世の中に出回っている現金>の月中平均残高が、前年同月比6.7%増の90兆3000億円で、2003年2月以来、13年ぶりの高い伸びなのだという。
マイナス金利政策の余波で、預金金利も軒並み低下したため、お金を銀行に預けても利息がほとんど得られない。そのため、現金を手元に置く“タンス預金”が増えている。
M3(金融機関以外の企業や個人が保有するお金の量)の月中平均残高は、前年同月比2.5%増の1237兆7000億円となる。
回ってこそのお金、流れることで世の中を潤し、おのが出費もやがては一滴の潤いとなりわが身に戻ってくる。お金が使われぬまま、銀行口座やタンスの中で眠りに落ち、世の中に流れていかない状態がデフレである。
年頭記者会見で<デフレではないという状況を作り出すことができたが、残念ながら道半ばだ。デフレ脱却というところまで来ていないのも事実>と語ったのが、この国の首相なのだとか。