日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

知っているようで知らない話

 

“鎌倉の大仏さまはハンサム”と褒めたのは、歌人与謝野晶子さんだという。
<かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな>。

ところが、鎌倉の大仏は晶子さんの実感した釈迦ではなく阿弥陀仏で、彼女も後年自分の誤りに気づいたそうだ。でも、歌を作りかえようとは思わなかったとか。

黙して座す大仏さまは、青空と山の緑を背にして、天気のいい日によく映える。
ただ、好んで露座しているのではないらしい。

元は巨大な大仏殿の中にいたが、15世紀末の“明応の大地震”による津波で、建物が流されたためだという。たしかに、大仏さまの座す位置と海はすぐ近くである。大津波の前ではなす術がなかったのであろう。

 

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日ごろ何気なく使っている言葉ほど、由来や語源を突きつめて考えることがないのかもしれない。<これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない>。昭和の初め、夫とともに来日した米国人女性アン・モローさんは「さよなら」に感銘を受けたという。飛行家チャールズ・リンドバーグさんの夫人である。

日本語を新鮮な気持ちで聴く外国からの客人に告げられて、初めて気がつくことがある。
“左様ならば”、“そういうことであるならば”、“ほんとうは別れたくないけれど”・・・。
とても余韻の残る言葉である。

この話で、坂本九さんが歌った『さよなら東京』という曲が浮かんでくる。
1964年の第18回夏季オリンピック東京大会で、“東京をテーマにした曲”の一つである。閉会式で世界の選手たちが「さよなら」の余韻に酔いしれていた。

 

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関東大震災東京大空襲に見舞われた東京は、多くの人命が奪われるとともに、懐かしい街並みや風景も失われてきたという。

<高度成長の起点となった1960年を境に、歌謡曲史における東京の視覚的イメージが微妙に変質する>。文芸評論家・磯田光一さんは『思想としての東京』に記した。

その直後、巨大ビルで東京という都市が個性を失い、銀座や有楽町が歌うに値する聖なる場所ではなくなり、東京の風景を具体的に描写した歌謡曲が減っていく。

1964年の五輪開催に向けた大改造の時期に、都市の様子が大きく変わったことは間違いないという。

そして再び東京が2020年の五輪に向けて動き始めた。今の青年層が老年になるころは、<古典的な意味での風景を失った都市>でも郷愁を伴って故郷としての意味を持つようになるはず。できるものなら、多くの世代が共感する変化を見てみたい。

 

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1980年代末のテレビドラマで、主人公のOLがワープロで日記を書く場面が、トレンディーだと話題を呼んだことがあるらしい。昔の記事にあった。

そして、10年前のトレンドはブログだったという。真新しいメディアということで、開設者は、推計で延べ約600万人に上ったそうだ。現在のブログ人口はどれくらいかわからないが、急増中だったことがうかがえる。

旧来のホームページより更新や読者の書き込みが容易なため、最新情報を刻々と掲載できる、との説明もあった。

当時、日立製作所は、三つの研究所に所属する約1500人の社員に対して、いつでもブログを書き始められる環境を整えたという。社員間で情報の共有を進めて行くのが狙いであり、秘密情報の取り扱いなどに関する運用指針も設けた、とある。

2006年2月28日には、総務省がブログの普及促進を目的とした「日本ブログ協会」という団体まで設立した。2007年3月末まで活動予定とされていたが、活動らしい活動が公表されないまま期日を迎え終焉となったそうだ。

その後、SNSと呼ばれるTwitter、Facebookなどの台頭で、ブログの影が薄くなるという経緯だったと思うが、ブログに力を入れようとして空回りする部分がなぜかおもしろい。

 

 

今週のお題「好きな街」