日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

おもしろい要素を見つければ

 

<人生ってアップで観ると悲劇であるが、ロングで観れば喜劇である>。先日、テレビで脚本家の倉本聰さんが言っていた。おもしろいということは、お笑いやおふざけということではなく、好奇心なのだと思っている。

かつて、お世話になった方の口癖は「なにかいいことない?」だった。興味を持ってその口癖のわけを訊いたら、“意図的に使い始め”たとのことだった。

いろいろな人へ挨拶代りに使うと、「そんなことはないよ」、「実はね・・」などと応えが返ってくるので、和やかな雰囲気になれる・・・ということだった。

観ていておもしろいと感じるものは、(人それぞれの好みにもよるが)わかりやすいことが大切なのではないか。おもしろい映画やドラマ、バラエティでも、構成がとてもわかりやすい。

 

 

各テレビ局の昼番組で、名ドラマの再放送が多い。気になるものは録画しておいて、夜中に観ている。とくに衛星放送やローカル局でお宝を発見することもある。

現在放送中のメインドラマより、過去の再放送の方がおもしろい。創り手の発想がとても豊かなのである。小説でもブログでも、読んだり書いたりすることの基本は“おもしろい読み物”の探求とも言えそうだ。

自分で書くときは、興味を感じたバラバラの断片を書き連ねる。そのとき、起承転結やつなげることなどまったく考えていない。あとはいかにわかりやすく組めるか・・・だけである。

書き下手な私は、骨組みである構成がしっかりしていないと、ガタガタになる。そのためにアイデアプロセッサを使っている。バラバラな“情報やアイデアの断片”をそこに放り込んで、あれこれと組み替えてみるのである。

 

 

たった一年であったが、シナリオの勉強をした。そのことがあらゆる実務(仕事)や表現に役立った。シナリオは具体的でわかりやすい文が優先となるため、形容詞や美文がジャマになる。文章にしようなどと思わない方がいいのだ。

秋元康さんは、<おもしろい企画を作るために特別なことは必要ない>と言っていた。生活の中で記憶の“リュックサック”の中へ、思いつきをドンドン入れて組み合わせていくだけ・・・なのだと。

おもしろいことや企画の案は、日常の中にあるようだ。特別なことをしてしまうと、逆に見えなくなってしまうこともある。構成がわかりやすくなりバラバラだった異種の断片が、おもしろいようにつながればしめたもの。とはいえ、なかなか思うようにいかないのが常であるが。

今までも、これからもそうであるが、かなり真剣に思い込んでいることがある。それは、自分にとって<イヤなことの中から「おもしろい」の要素を見つけ出す>ことである。そういう状況にいるとき、自分はどういうリアクションをとるのか。そこに強い興味がある。