まだ熱い夜はウイスキーでも
甘酒は夏の季語だという。点滴同様の栄養分を含むからだそうだ。
<江戸時代の必須アミノ酸強化飲料が甘酒であり、総合ビタミンドリンク剤であった>との説がある。暑い日に熱い甘酒を飲むことで、夏バテ防止につながるというのだ。
ウイスキーの宣伝で知られた開高健さんと山口瞳さんには、酒の名言が多い。
「名酒の名酒ぶりを知りたければ、日頃は安酒を飲んでいなければならない」と開高さん。
山口さんいわく「最初の一杯がいい。そして、最後の一杯も捨てがたい」のだと。
ともに“達人の域”が窺える。
そんな異才2人と組んで仕事をしたのは、画家の柳原良平さんである。
昭和30年代に一世を風靡した“アンクルトリス”のキャラクターは、若き柳原さん作だという。ずんぐりしたはげ頭のおじさんは子どもでも知っていた。
私もテレビで観ていて楽しくなり、子どもごころにウイスキーで酔いたくなった口だ。
誕生した昭和33年にはプロ野球の長嶋茂雄さんがデビューし、東京タワーが建った。
NHKのテレビ契約は100万件を超えて、高度成長のエンジンがうなりだした時期だ。
粋でとぼけた味の絵が宣伝コピーを引き立てた。
物質的な豊かさを追い始めた時代の気分をうまく映し出していた。
はげ頭ならぬ「丸坊主」や「丸裸」などと言うときの“丸”は、何かがさっぱりないことの意味に使われたりする。「丸腰」は、といえば事情が少し変わるようだ。
腰に刀などの武器が「さっぱりない」と解せないこともないが、武士が刀を外した腰が丸みを帯びて見えたから、という俗説もあるらしい。
高校球児たちの坊主は高野連の強制ではないそうだ。高野連の”日本学生野球憲章”のどこにも、坊主にしないといけないという文は書いてないという。
旧制高校に野球が広がったのは明治半ばである。その時代には野球用語をめぐる珍話がいろいろある。その中に、審判が走者に塁を与えるときに叫ぶ「テイク・ワンベース」。
当時の見物人にはこれが、「たくあんベース」と聞こえたようだ。それが少年たちの草野球に広がり、少年たちは間違いも気にせず、貪欲に野球を楽しみ学んだ。
“たくあん”は、当時の人たちの野球熱を今に伝える挿話としてうなずける。テレビで甲子園の賑わいを観るたび、その熱がずっと継続されていることを感じる。
今年もあと1時間足らずで、甲子園の決勝戦が始まる。
作新学院(栃木)と北海(南北海道)の雌雄を決する時が迫っているのだ。
1962年以来2回目、栃木勢としても54年ぶりの全国制覇を狙う作新学院と、北海道勢が初参加した1920年にも出場し、全国最多37回出場で初優勝を目指す北海が熱く対戦する。
両チームの戦いぶりを観てきたが、たがいのエースの投球数は限界を超えている。
死力を尽くす投げ合いが予測される。
残念ながら、リアルタイムのテレビ観戦ができないため、録画予約をした。
帰宅の際、ウイスキーを買って帰るつもりだ。少し前、久しぶりのジョニーウォーカーを懐かしく味わった。本日も、夜中の熱い観戦にはウイスキーが欠かせない気分になっている。