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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

後の先とはいったい何だろう

 

相撲通の作家・宮本徳蔵さんいわく、<69連勝の双葉山はどんな敵に対しても泰然自若として些少の動揺をも示さずに勝った>とのことである。相手の力士が自滅していくような印象すら受けたと記した。

その双葉山のDVDを見て研究した白鵬は、“角界の父”と慕う大鵬の優勝記録を昨年に塗り替えた。そして、双葉山の“泰然自若”を実践しようとしているただひとりの力士が白鵬なのである。

デビュー直後の序ノ口時代には負け越しを経験し泣いたという。横綱に昇進するような力士ならふつうはすんなり行くところなのに、自分はつまずいたからである。

土俵での稽古は主に“三番”、“申し合い”、“ぶつかり”があるそうだが、白鵬はぶつかり稽古を欠かさずに行った。ぶつかる役と受ける役で、一方が親の敵とばかりに体当たりする。そのまま俵まで相手をグイ、グイ、グイと押す。何番も、何番も、息が上がるまで行う。

 

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ぶつかり稽古に、双葉山の相撲の極意といわれる“後の先(ごのせん)”のヒントがあった。
白鵬は何年も、“後の先”の錬磨に費やしてきた。双葉山の相撲求道録は教則本ではなく、双葉山だけが極めた奥義であるため、継承者もいない。

経験則は聞けず、自分の戦略眼を頼りにDVDの白黒画像を凝視するしか、他に手立てはなかった。まず、わかりやすいところをまねた。ふたりは同じ右四つだが、白鵬は入門以来、双葉山とは逆の左足から踏み出していた。そして、右足の利点は、すぐに解読したという。

力士は昔のロボットのような進行動作で、右足を出したら右腕を出す。左足の時は左腕と。これが理にかない、右腕と右足を同時に出せば右の脇が閉まる。隙がないから、相手は差せない。それまでは“左前みつあり”の白鵬だったが、左上手より右を差すことを“先”と考えるようになった。

踏み出す足は右にしても課題は多かった。仕切り線の近くで立つか、離れるか。いつ、手を下ろすべきか、腰の入れ具合や顔の向きはどうするかなどと。

 

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相当の自信がなければ、“後の先”はできないという。最大の難関は“待ち時間”で、立ち遅れは、即、敗戦につながる。また、100分の数秒遅れで、土俵の外に弾き飛ばされる恐怖心もある。相手の動きを、どこまで引き付けて待てるかが課題であった。

その“後の先”が決行されたのは2009年春場所だという。2日目の北勝力戦。立ち合いで素早く右を差し、左上手もひき右のかいなを返すと…寄り進み土俵下に吹き飛ばした。成功なのかわからないまま、稀勢の里戦、日馬富士戦、朝青龍戦でも後の先で立った。全勝優勝はしたもののしっくりこなかったという。

それから本場所での“後の先”は封印し、稽古場で研究を重ねた。
相手の欠点をあぶり出す冷徹な判断力や、土俵上の身動きや目の配り方から、内心を透かし見る洞察力。<目で見ずに、体で見る。体で見ず、心で見る>。
双葉山が言い残した呼吸の勘どころで、いくつもの要素がピタリと重なり合って、初めて“後の先”は成功するのである。

 

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再び“後の先”に挑んだのは、9場所後の秋場所・稀勢の里戦で、54連勝をかけた大一番だった。“後の先”は成功したが、辛勝だった。

古武道の一流儀に“七分三分の見切り”という秘伝があるという。相手が刀を振り出してから、自分の身に到達するまでの動きを10段階に分けてみる。相手が六分まで来たところで、待ち切れずに動くと、相手は最初の太刀筋を軌道修正できるのである。

八分まで待てば、遅すぎて一刀両断なのだ。理想は七分まで待って動くこと。早くても遅くてもダメで、ただ一点の見切りこそが“後手必勝の理”なのである。

<だから、立ち合いはそれと一緒なんです。一撃と一緒なんです。死ぬか、死なないかということなんですよ。俵があるからね>。白鵬はそれを悟った。

“押す”、“突く”、“寄る”が相撲の基本動作である。
<そういうことだったわけね。七分三分でいけば完全にいいんだろうね。それが満点か>。白鵬だからこそ理解のできる自身の言葉がこれなのである。

 

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