猫騙しと櫓投げにおける人生訓
大相撲九州場所7日目(平成27年11月14日)、横綱白鵬が6年ぶりの大技・櫓(やぐら)投げを披露した。土俵際まで追い詰められ、この大技で執念の勝利を果たしたのである。
やぐら投げとは、相手を吊り上げながら膝で相手の内股を跳ね上げて投げる技である。
非常に珍しい決まり手で、戦後は1975年11月場所9日目に青葉山が福の花に決めて以降、幕内の取組では、2009年7月場所13日目に、朝青龍がやぐら投げで日馬富士を投げ飛ばすまで34年も使われていなかった。
そして、6年ぶりの快挙である。私は偶然にリアルタイムでテレビ観戦ができ、大感激である。<とっさだね。似たようなのはあったかもしれないけど、きれいなのは初めてかな>と白鵬は振り返った。
相手の隠岐の海には先場所初日に敗れている。この日も同じく左四つになって寄られ、左足1本でこらえる。そして弓なりの体勢になりながら、右足をはね上げて相手の体を浮かせ、つり気味に振って投げ飛ばした。
同場所10日目(11月17日)、今度 白鵬は猫騙(だま)しという奇襲戦法で栃煌山を下し、無傷の10連勝を決めた。
前日に鶴竜を押し出した栃煌山の突進をあざ笑うかのような相撲であった。立ち合いに頭を低くしてぶつかろうとした相手の顔の前で、両手をパチンと2度たたき、ひらりとかわした。向き直られると、もう一度、顔の前でパチン。栃煌山は面食らい、かんたんに寄り切られた。
横綱らしからぬ相撲であることを報道陣に指摘されると、<ビデオを見てください。こういう技もある>と悪びれる様子もなく応じた。
北の湖理事長も「横綱がやるべきことではない」と厳しく批判した。
北の湖理事長が全盛期の1978年初場所で、三重ノ海から猫だましの奇襲を受けたことがあった。三重ノ海は当時大関だっただけに物議を醸したという。
本来、力量や体格に劣る力士が奇襲として用いるのが猫だましで、最高位の横綱がやるべきことではない。横綱として、あまりにも品のない相撲と言わざるを得ない。横綱の権威に傷をつけたという意味でも、<悪(あ)しき前例を残してしまった>、と理事長は主張する。
その話で、隠し球(かくしだま)を思い浮かべた。
野球で、走者に気づかれないように野手がボールを隠し、走者が塁から離れた時に触球して走者をアウトにするトリックプレイのことである。
めずらしいとされるランニングホームランは、球場での生観戦で目撃しているが、長年、野球をテレビ観戦しているのに、リアルタイムで隠し球を見たことが一度もない。
それと同じく、初めてみた猫だましには感激した。真剣な勝負であればあるほど、トリックプレイが光るはず。
メジャーで大活躍のイチロー選手が、フェンスを駆け登りホームランボールをキャッチしたり、忍者のようなホームインをしてくれる。こんなにワクワクさせられることはない。そういうことがとっさにできるというのも、ふだんの練習に取り入れているからなのであろう。
いつ本番で使うかわからずとも、黙々と練習を重ねているイチロー選手と白鵬関をイメージすると楽しくなってくる。
日馬富士、鶴竜の両小兵横綱も、大型力士をおもしろいように転がしている。力を加えず相手がかんたんに転がってしまう。まるで空気投げのようにである。
モンゴル相撲は、おたがいのバランスを崩し合う格闘技であり、そのための具体的なバランスの力学が基礎になっているようだ。また、幼い頃から裸馬を乗りこなすモンゴル人は、自然に体の均衡をはかれる身体能力が培われるともいう。
“やぐら投げ”や“猫だまし”も、モンゴル人だからこそ見事に決めてしまう。
白鵬は、iPadに往年の名横綱の取組み動画を入れ、よく観ているそうだ。
日本人よりも日本の相撲に詳しいのだ。ワザも多彩で、押し出しの多かった昔とちがい、相手の力の反動を利用した投げ技などが繰り出される。きっと、モンゴル相撲のDNAが混入しているからなのであろう。
彼らの相撲のうまさや理論を“人生の教訓”にしたら、きっとなにかが変わるような気がしてならない。