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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

110年の「吾輩は猫である」

創作・作家

 

昨年から夏目漱石さんの電子書籍を読む機会が増えた。それまでは『坊っちゃん』だけしか読んでいなかった。
かつて、石原慎太郎さんの小説『青春とはなんだ』は、<漱石さんの『坊っちゃん』を、昭和の舞台にリメイクしたもの>と訊き、その比較のためにと読んだ記憶がある。

今は、『吾輩は猫である』をゆっくりと読んでいる。
この作品が書かれたことにより、「小説家・漱石」が生まれ、今月で満110年の節目にあたるという。漱石さん38歳、のちに国民的作家となる人の華々しい文壇登場である。

ユーモアと風刺に満ちたにぎやかな物語で、読みやすく古さを感じない。
まるで今の作品のような気持ちになり、漱石さんを身近に感じることができる。
思えば書物とは、時を隔てて作者と対話ができるタイムマシンのようだ。

夏目漱石さん(1867~1916)の享年は49歳。生きた時代は江戸・明治・大正。
英文学の研究家であり、そして数多くの小説・漢文・俳句・英詩を残した文人。
現代日本語を築き上げた人物の一人といわれ、司馬遼太郎さんは漱石さんの文体について「恋愛から難しい論文まで書くことの出来る万能の文体」との評価をしている。

漱石さんと同時代の作家の泉鏡花さんや森鴎外さんたちの文は、古文調か漢文調の固い文体であったが、漱石さん一人が口語的であり、現在でも普通に通用する文体だといわれる。

 

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夏目家で飼われていた猫にも名前がなかったという。
漱石さんの長女・筆子さんの回想記では、「名前なんぞだれも必要じゃなかったんでござんしょ。"猫、猫"って呼んでましたわね」と、記されてあるとのこと。

そして、漱石さんは犬も飼ったが、そちらは「ヘクトー」とギリシャ神話の英雄にちなむ立派な名前があったらしい。
猫が死んだとき、漱石さんは白木の墓標に「猫の墓」と書き、心のこもった哀悼の一句をしたためた。<この下に稲妻起る宵あらん>。

吾輩は猫である』の主人、珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)先生は中学の英語教師である。家ではよだれを垂らして居眠りばかりしている。
猫は思う。<教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら、猫にでも出来ぬ事はない…>と。

ところが知人の中学の先生を見ても、今の先生方はたいへんお忙しく、「猫にでも出来る」どころか、「猫の手も借りたい」ほどの多忙ぶりである。

虫の居所が悪かったか、主人の苦沙弥(くしゃみ)先生が猫を怒鳴りつけた。
「この馬鹿野郎」。
納得がいかない猫はぼやいた。<少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分からない>。

こちらに関しては、各国や各地での痛ましい出来事を見聞きするにつけ、“人類の増長を嘆く独白”を、笑い飛ばすわけにもいかないだろう。

 

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漱石さんは、書斎の回りの廊下などで、どんなに子供達が騒いで走り廻っても、一向に平気で小説を書き続けていたという。
あぐらをかいていた股の中に子供が入り込んでも気にもとめなかったそうだ。

ただ、若い頃から被害妄想が激しく、精神病に罹っていた形跡がある。
英国に留学してからは追跡症という、常に自分が誰かに監視されているといった被害妄想を抱く精神病を患い、一生を通して精神病患者であったとか。

この精神の異常と天才的な文学の才能との間に、何らかの関係があったのではないかという病跡学的な指摘もある。漱石さんは、病気の多い人物であり、他にもトラホーム・腹膜炎・胃腸炎・痔・糖尿病などを患っていたそうだ。

 

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漱石さんは、「八釜(やかま)しい」とか「五月蠅(うる)さい」などの、当て字をよく用いた。
<先祖代々の瓦落多(がらくた)を二束三文に売った…>。『坊っちゃん』の「瓦落多」もその一つである。

しかし、ときには漱石流を離れて「我楽多」と書きたいときもある。<我に楽しみ多し>で、周囲の目にはガラクタと映ろうとも、自分にとっての大切な宝物が、誰しも一つや二つは思い出されるはずだ。

夏目漱石さんは俳句を饅頭(まんじゅう)に喩えたとか。
<饅頭の真価は美味にあり。その化学的成分のごときは饅頭を味わうものの問うを要せざるところなり>。
饅頭は食べてうまければ十分で、成分を解析する必要はない。
俳句の鑑賞も同じで、こむずかしい理屈や解釈は無用、美味を堪能すればいいのだ、と。

 

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多くの傑作を残した漱石さんであるが、プロ作家として活動したのはわずかに9年である。
残された作品のイメージからみるととても短い創作年数といえる。
彼にとって小説は、49年の人生の中でいかほどの重みだったのであろうか。

残念ながら、私と<“同時代に生きた”という人生のすれ違い>はないが、まだまだ未読の多い漱石さんの作品の中で、これからも今現在の対話を楽しみたいと思っている。

漱石さんは亡くなるまでの9年間、東京・早稲田の「漱石山房」と呼ばれた家で過ごした。
公園になっているその場所に、新宿区が記念館の建設を目指しているという。
建設費などにあてる基金の寄付を募り始めたところ、寄付額は3か月目で2000万円を超えたという。漱石さんの人気の高さがうかがわれる。

記念館内には、『門』や『こころ』など数々の名作が生まれた書斎が再現されるとか。
その開館予定は漱石さんの生誕150周年にあたる2017年だそうだ。
文豪の人間味を感じられる場所になるはずなので、今からとても楽しみである。

 

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