日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

メロドラマとは日本映画界の造語だとずっと思い込んでいた

 

"メロドラマ"の定義は、<視聴者をメロメロにさせようと意図して作るドラマ>のことなのだ、と勝手に解釈していた。しかし、調べてみるとそれはちがうようであった。
メロドラマとは、<愛し合いながら、なかなか結ばれない男女の姿を感傷的に描く>ギリシャ語のメロス(旋律)にドラマが結びついた言葉だとか。

18世紀後半の西欧で発達した、音楽の伴奏が入る娯楽的な大衆演劇のことで、現在は、恋愛を主なテーマとした通俗的、感傷的な演劇・映画・テレビドラマなどをいう。

日本語の"メロドラマ"は、"歌"を意味するギリシャ語「melos(メロス)」、"劇"を意味するギリシャ語「drama(ドラマ)」が合わさり、フランス語経由で英語に入った「melodrama」から生まれた。

 

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映画監督の小津安二郎さんは新聞を読んでいて、 《人工降雨》という見出しに目を留めた。その日、1953年(昭和28年)1月4日の日記に書いている。
(“人工降雨”という文字に)「メロドラマといふルビはどうか」、と。

観客の紅涙をしぼるドラマはたしかに、<人工的に涙を降らせる装置>に違いない。
このすてきなルビの創案は、メロドラマの本場、松竹大船撮影所の空気を吸ってきた人ならではだろう。

 

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18世紀後半から19世紀初めにかけ、ヨーロッパの舞台劇で、劇中に感情を表現したり、観客の感情を揺さぶるため、音楽を伴奏として使用する手法が流行した。
1775年、ジャン・ジャック・ルソーの『ピグマリオン』が最初といわれる。

その内容は、現実の女性に失望していたピグマリオンが、あるとき自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちに、ガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。

<教育により"淑女"や"いい女"へと形づくる>というプロットは、映画『シーズ・オール・ザット』、『プリティ・ウーマン』などに影響を与えたり、引き合いに出される。
日本では石川達三さんの『結婚の生態』があり、谷崎潤一郎さんの『痴人の愛』はパロディともいわれる。

 

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かつて社会現象にもなり、多くの視聴者に受け入れられた韓国ドラマ『冬のソナタ』は、“旋律”と“筋立て”で泣かせるメロドラマの典型といわれている。
思いつくままに、『冬のソナタ』というドラマの中に仕組まれた“枷(かせ)”や“効果”を探し出してみよう。

出生の秘密、親の代の人間関係、家柄、度重なる偶然、すれ違い、交通事故、記憶喪失、意図的な精神科治療、限りなくヒロインを愛する恋敵(こいがたき)、等々・・・。

とにかく多くの枷を駆使する。ふつう、“偶然”や“すれ違い”の多用は嫌われるのであるが、(日本のドラマで使わない)その禁じ手さえもワンサワンサと出てくる。
それなのに、ストーリーと役者に引っ張られて相殺されてしまう。

有名映画のサウンドトラックを、BGMに使用するということも、日本ではめずらしいが、いつのまにか聴き慣れて心地よく感じたりもさせられる。

 

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メロドラマは、音楽の伴奏が入る娯楽的な大衆演劇が本来の意味であるが、音楽的要素が薄れ、大衆受けする感傷的な内容のドラマといった意味あいが強くなり、今では扇情的・衝撃的な内容のドラマをそう呼ぶようになった。

要約すれば、<惚れ合った男女がかんたんに結びつかず、いくつもの困難や枷(かせ)を乗り越えていく。観客だけがおたがいの気持ちをわかっているが、当のカップルは鈍感すぎて(観客は)嘆く。「さっさとなんとかしろ」と躍起になるが、カップルの誤解、ケンカ、恋敵の出現などで、思うように物語が進まない>。

そのくせすぐに続きが観たくなる。こういう類(たぐい)のドラマのことなのだろう。

新聞やネット記事を見ると、心の渇く出来事が満ちている。“降雨の装置”が必要なときもあるのだろう。天然の雨もいいが、小雨で済むとは限らないはず。
ゲリラ豪雨や暴風雨にうんざりしている向きには、テレビの前や映画館で、ハンカチを手にした“人工”が無難のようである。

 

 

参考:Wikipedia