箱書きという概念で文章が格段に楽しくなった
自分にとってよい文章の条件とは、わかりやすいこと。
何を言いたいのかがよくわかっていれば、難しい言葉をわざわざ使わなくとも、誰にでもわかる平易な文章が書けるはず。
そこに“楽しさ”が加われば、書くことが“楽(らく)”になる。
シナリオの文体は<映像が浮かぶためのもの>という意図が最優先である。
「シナリオ的な小説を書いてみたい」と思い、その表現方法を学んでみた。
そんなときに、赤川次郎さんや片岡義男さんの作品が脚光を浴びた。
まさに、自分が望んでいた“シナリオ的な作品”がそこにあった。
それからはるかに時を経て、自分でもお遊びで書いてみたが、そのときは読むことがおもしろくて、自分では小説を書いていない。
シナリオで映画を作ることはなかったが、あのとき得た文章の考え方や、「箱書き」という概念がたいへん役立ち、今でもそれは続いている。
“宴会のご案内”、“余興の脚本”など大ウケで、社内外の文書や実用文にも活用できた。
自分の文書が社内提出文書のテンプレートになったこともある。まわりの者が苦手とする“稟議書”の類(たぐい)も、説得力を持たせることができた。
当時まだめずらしかった“ワープロ”や“パソコン”も早めに導入して、仕事に役立てた。
その前は“カナタイプライター”を文書などの下書きに使っていた。
作家・石原慎太郎さんが、カナタイプを使い作品を書いていたと雑誌で知り、ほしくてたまらなくなったからである。
新聞記事編集での“割付(レイアウト)”に興味がある。
活字が全盛のとき、活字を組む都合上、枠(量)を先に決めて、あとから記事を嵌め込んでいく。
記事と文字数は、あとから当てはめられるものなのである。
そういうところが、“箱書き”にとてもよく似ている。
おそらく、デジタルの今でもレイアウトが先なのではあるまいか。
“KJ法”という発想法も勉強になった。
バラバラの情報を好きなように組み替えて、異種の情報どうしが組み合いひとつの“形”が構築される。
断片を先に作っておいて、好きなところへパズルのように嵌めていくのである。
これも“箱書き”に似ている。
今 私は、ボイスレコーダーに吹き込んだ<言葉や情報の断片>を“アイデアプロセッサ”の中に置いて、好きなように組み替えて、ひとつにつなげている。
アナログの時代は、“紙”と“鉛筆”でまったく同じことをしていた。
新聞記事の編集やKJ法には、<アウトプット先にありき>という感覚がある。
アウトプットの“型紙(構成)”を先に作り、インプットで“逆算”していくような方式。
私は数十年にわたり、「箱書き」に慣れ親しんでいるので、こうしてブログを書くのも、会議の資料を作成するのも、まったく同じ次元でこなしている。
それも楽しみながらである。