日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ブログのエッセンスを顧みて

 

ブログを始めて今年で9年。ずっと暗中模索である。その前は、(インターネット創生期の産物であった)メーリングリスト(ML)の書き込みを18年。オーナーとして16年弱続けてきた。多くの人と出会い、ネット以外にも飲んで遊んだ。

そこでは返信(レス)モードの短文が中心で、長い文章を書くことに苦手意識を持った。その克服のために100編のエッセイを書きたいと考えた。下書きにでもなれば・・・と、ブログを始めた。

まず、わかりやすい文章を書こうと考えた。読む側の目線で、よい文章の条件とは“わかりやすい”こと。自分で何を言いたいのかがわかっていれば、難しい言葉を使わなくてもわかりやすく平易な文章が書けるはずだ。

 

 

週一のペースで続けて、エントリ数が100になった。目標は終わったが、その時期にカメラを手に入れた。好きな写真でも残せれば、とブログの方向転換を試みた。

写真を4分割に貼り分けると、上下の5列に写真の説明分を書くだけ。それぞれ2行もあれば書けるのでたった10行ですむ。

たまにコメントをいただいた。アップした写真のことだけかと思いきや、文章の内容についても書いていただいた。写真の説明だけのつもりだったのにふしぎだった。それがきっかけで、写真と本文の主従関係が入れ替わった。

人の目につくところに書くのだから、読まれることは意識している。書く内容に関して、アイデアが閃いたら実行(文章)に移す。アイデアはちょっとした思いつき。ふとした思いつきは誰にでもある。思いつきを実行に移すか、そのままにしてしまうかが、分かれ目である。

読まれることのアウトプットが先で、インプットの文章を逆算して書く。私自身、読まれること(可能性)がなければ、サボッて書かなくなるのがわかっている。アウトプットを前提としたインプットは強いのである。

 

 

クォリティが高い記事かどうかは、読む人が決めること。それを気にしていたら前に進めない。読む人が、そうそう・・と思わず納得してしまう内容を書けたらうれしいが、ウケ狙いが見えたら面白味がなくなってくる。読んで、なんの衒(てら)いもないお話に接すると、我がことのように感じて共感できる。

ネットの一般化以前は、情報を得るために書店や古書店、図書館へ出向いたり、百科事典や辞書を活用していた。インターネットでかんたんに情報が得られる時代は、そこが落とし穴にもなりかねない。

自分の足で情報を得る経験があると、その情報の真実性や鮮度を見抜く感覚が養われて、インターネットにもその感覚が活きるはず。書き手が、人のためになるように・・・などというのもおこがましい。逆に、「教えて下さい」くらいに委ねた方が、読者の気持ちをくすぐるのでは。

ブログのネタに頭を悩ますこともある。料理に喩えて、食材であるネタ元がわからないくらいに調理できるのが理想であるが、自分はまだまだ未熟である。

 

 

今週のお題「桜」