日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

岡林信康さんの原点は賛美歌

 
岡林信康さんというアーティストにカリスマ性を強く感じた時期がある。岡林信康さんの実家は教会で、牧師を目指していた。同志社大学神学部のときにはボクシングを経験。数試合の勝ち負けで、すべてがKOだという。

社会の不合理や社会主義運動に身を投じ、東京・山谷地域の教会へ知己を頼り牧師を訪ねた。現実を見るように、と山谷へ放り込まれた。『山谷ブルース』誕生のきっかけでもあった。

学生運動が激しくなり、学生や若者たちが反戦フォークゲリラ集会を行った。その定番曲として岡林さんの『友よ』が使われ、「フォークの神様」になった。ギターで歌う岡林さんの写真を見て、イエス・キリストのように思うこともあった。

岡林さんから影響を受けたアーティストは泉谷しげるさん、松山千春さん、山下達郎さん等。皮肉をこめた反戦歌を歌う者たちへ、(ディランズ・チルドレンのもじりで)岡林チルドレンともいわれた。高田渡さん、加川良さんは岡林さんのコンサートに帯同したためそう思われたが、高田さんは反発した。

音楽誌「新譜ジャーナル」で、歯に衣着せぬ評論家・中村とうようさんと、激しい紙上論争を繰り広げた。

 

2207

 

京都府綾部市の過疎村に居を移し、4年間の農耕生活を経たある日、岡林さんは演歌にめざめた。幼い頃から賛美歌と流行歌で育ったことを思い出した。

1975年、演歌路線の新アルバム『うつし絵』を発表。美空ひばりさんとの縁もでき、アルバム内の『月の夜汽車』と『風の流れに』は、ひばりさんもシングルカットしている。

復活コンサートが中野サンプラザで行われた。コンサート当日の開演前、私はサンプラザの喫茶室に友人といた。私のうしろの席に岡林さんともう一人の方が座っていることを、友人が小声で教えてくれた。

さりげなく振り返ると、背中合わせの岡林さんはビールを飲みながら頭を抱えていた。4年ぶりのコンサートを前に緊張していた。岡林さんとご一緒の方はギターの共演者、木村好夫さんだった。

ジャズギター界出身で、演歌や歌謡曲に転向された方だ。テレビでは石原裕次郎さんのバックで、ギター一本の伴奏をしたり、作曲のヒット作もある。すばらしいギターの音色を奏でる。

 

2208

 

ステージの幕が上がる少し前、私たちの少し前の席一角が続々と埋まった。年配の女性たちが多く着物姿の方もいる。客席にはミュージシャン、音楽関係の方もいた。

ステージが始まり、懐かしい曲をいくつか歌った岡林さんも緊張がほぐれて、得意のトークが冴え渡った。新アルバムの話、ひばりさんとの馴れ初めや、ジョークで軽い悪口も。

そのとき、客席から本家本元の美空ひばりさんが立ち上がりステージへ登場した。ひばりさんは、岡林さんとの楽しいおしゃべりをして、(岡林さんの作った)新曲を熱唱してくれた。その迫力はすごかった。

18世紀後半に作られ、世界中で慕われ愛唱されている曲に、讃美歌の『アメイジング・グレイス』がある。

岡林さんには、メッセージソング『友よ』や『山谷ブルース』もあれば、部落問題をモチーフにした『チューリップのアップリケ』、『手紙』がある。

今では伝説的なバンド「はっぴいえんど」をバックに、ロックへとアレンジされた『私たちの望むものは』、『自由への長い旅』などの名曲もある。演歌曲『月の夜汽車』を今聴いても、『アメイジング・グレイス』に通じるものがある。

岡林信康さんのどの曲にも、賛美歌のエッセンスがあるような気がして聴いてしまうのだ。