日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

偉大なスモール・ベースボール

 

あれからもう10年。2006年3月15日、野球の国・地域別対抗戦と銘打つWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の2次リーグ・日本―韓国戦が行われ、1―2で日本は競り負けた。韓国は1次リーグから唯一の6戦全勝で4強入りした。

この結果、日本は2次リーグを1勝2敗で終え、準決勝進出は厳しくなった。
16日(日本時間17日)、アナハイム(米カリフォルニア州)での米国―メキシコ戦で、米国が敗れた場合に限り、日本、米国、メキシコが1勝2敗で並び、(米国の失点数によっては)日本の4強入りの可能性が出てくる。

とはいえ、2連敗中のメキシコに運を託すしかない日本は“風前の灯”であった。
そして、奇跡は起きた。メキシコが米国を破ったのである。
日本は失点率(総失点を守備イニング数で割った数字)で米国、メキシコを上回り4強入りで準決勝へと浮上できた。こういうのを「棚からぼた餅」というのであろう。

 

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3月18日(日本時間19日)、サンディエゴ(米カリフォルニア州)で準決勝が行われ、日本は2連敗中の韓国に6―0で快勝。上原浩治投手が、7回を被安打3の8奪三振という快投。7回に代打・福留孝介選手が、右越えに先制2ラン。さらにイチロー選手の適時打など打者一巡の猛攻で一気に5点を挙げた。

「最高の気持ちです」。イチロー選手の心の発露が言葉になった。「向こう30年は日本に手は出せないな、という感じで勝ちたい」。開幕前の発言が、曲解されたまま独り歩きした。

その日の記者会見では、「ブーイング? 大好き」とさえ言った。チームにかかる余計なプレッシャーを一手に引き受けようという思いの表れだろう。
「野球人生最大の屈辱」と表現した2次リーグ韓国戦の敗北。
「3回同じチームに負けると、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことになる」。
この気持ちが3安打、2盗塁につながった。チーム全体が受けとめ、日本は韓国に雪辱を果たした。

 

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3月20日(同21日)、サンディエゴにて、日本はキューバと世界一をかけた決勝対戦を行った。そして、強豪キューバ破った王ジャパンが、野球WBCの初代王者に輝いた。

日本が10―6でキューバを下した。
先発投手は、日本が松坂大輔投手でキューバはロメロ投手。
日本は1回、4点を先制。終盤1点差に迫られたが、9回にイチロー選手の適時打などで突き放し、8回途中から救援した大塚晶則投手が締めくくった。

ホームランキング・王監督は、スピードがあって小技もでき守備は堅実という日本の特長を持った選手たちを招集。「スモール・ベースボール」を貫き世界の頂点に立った。
悔しさ、喜びを最も感情豊かに表現したイチロー選手は「日の丸を背負う重みを感じて戦いたい」と言い続けた。

準決勝の日韓戦では瞬間最高50.3%という驚異的なテレビ視聴率をマーク。そこにはバントでつなぎ、次の塁へ全力で走る「スモール・ベースボール」があった。

 

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<一番大切な対局、これだけは負けられない勝負とは何だろう>。
将棋の米長邦雄永世棋聖が語った。

タイトル戦や昇段のかかる一局でもない。その勝敗が自分にはあまり影響がなく、対戦相手にとってはこの上なく重い意味をもつ一局のとき。
そういう勝負こそ全身全霊を傾けて勝たなくてはならないのだ、と。

「勝ったところで…」と手を抜くことが、技芸の道を冒涜し、自らの誇りをも深く傷つける。

日本が初代王者となった野球のWBC大会にも、“米長さんの語り”そのままの一戦があった。米国が準決勝進出をかけて臨んだ2次リーグのメキシコ戦である。

メキシコは勝ってもリーグ敗退が九分九厘決まっていた。それでも、投打に気迫あふれるプレーで米国の夢を葬り去った。

メキシコの奮闘で日本が4強に勝ち残れたため、全国から在日メキシコ大使館へ感謝の声が続々と寄せられたという。

世界一に道をひらいてくれた恩義以上に、競技者の精神に「誇り」という筋金を見ることができた。勝負の場に消化試合はないのだろう。