日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

インスタ映えの隠し味は何?

 

“ロー・ポジ(ロー・ポジション)”は、カメラの仰角をアオル(上げる)“ロー・アングル”とはちがい、カメラの位置を下げること。ロー・ポジ映画の名手といえば、小津安二郎さんだ。その作品は、カメラをほとんどアオらず、低い位置にすえて、わずかにレンズを上にあげていた。

大人の膝位置よりカメラを低く固定して、50ミリの標準レンズで撮った。静かで観やすい作品が多く、細かい演出を随所に感じる。役者さんたちに対する演出は、(ハードボイルドで)人物の感情が表情にほとんど表れない。

張力のある黒澤明監督の画面が鋭角ならば、小津監督の画面はゆったりとした鈍角。このふたりの巨匠は正反対のような感覚で、対比される。

黒澤監督の作品は、物語のテンポの良さとダイナミックな画面。顔のアップも多く、豪雨のシーンも有名。迫力のある時代劇や人間ドラマ、サスペンスを描いた。

 

 

小津作品は、特別な事件が起きたりドラマがあるわけではなく、市井の生活がいつも淡々と描かれるだけ。それでも格調高く本物志向でもある。少しだけ映る絵画も東山魁夷さん、橋本明治さんなどの本物を使用した。強烈な印象が残るということは少ないのに雰囲気に酔わされてしまう。演出を前面に押し出す黒澤作品とは真逆である。

映画界ならぬ写真界では、木村伊兵衛さんと土門拳さんの関係もおもしろい。同時代に生きた2人の写真家は、小津さんと黒澤さんに喩えられることがある。

執拗に対象を追いつめ、カメラに収めようとする土門さんに対して、木村さんはことさらにテーマを強調するのではなく、演出のない自然な写真を撮る。

土門拳さんは深い被写界深度で、女性のシワやシミなどもはっきりと写し出すため、嫌われることが多かったらしいが、木村さんは浅い被写界深度でソフトに撮り、女性ポートレートの名手とうたわれたとか。

 

 

<いつも洒落ていて、お茶を飲み、話しながらいつの間にか撮り終えているのが木村伊兵衛さん>。<人を被写体としてしか扱わず、ある撮影の時に京橋から新橋まで3往復もさせ、とことん突き詰めて撮るのだが、それでも何故か憎めない土門拳さん>。女優の高峰秀子さんは著書に記した。

アナログだけの時代にものすごい人達が同時期に活躍されていたようだ。

数ヶ月前、久しぶりに乗った電車内でふしぎな光景を見た。若い女性が並んで座り、それぞれのスマホで自撮りやツーショット撮影を続けていた。これが“インスタ映え”というやつなのか。撮ってすぐにSNSへ投稿していたようだ。

プリクラ全盛時に育った人たちは我々と違い、合成などのデジタル機能への感性が強い。あらゆるポーズで熟知した効果を狙っている。ただ、なにか違和感をおぼえた。

ふたりの女性はシャッターを押すたび、ポワッ、ポワッと口を開けているのだ。柔和な笑顔が撮れる効果でもあるのだろうか。私はなぜか、口をパクパクさせている金魚を連想してしまった。