日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

知新もいいけれど温故は大事

ずっと古き日には、この駅を何度も降りて、仕事をしたり飲み歩いたりもした。何人かの友人もここにいて、訪ねていったこともある。それからしばらくして、別の仕事でこの駅周辺を車でたくさん行き来した。それなのに、この駅の(改札を抜けて)外に出たのは何年ぶりだろう。おそらく20年以上にはなるだろう。予想はしていたが、あまりの変貌におどろいた。

  

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今だって、この地にはずっと来ている。通勤先の降車駅はこの次だし、電車の乗り換えがあればここのホームに降り立つ。仕事や遊びで、すぐ脇の国道を車でよく走っている。駅周辺はいつでも来れる、という気持ちがあるせいか、それだけでまったく足が向いていないのか。そして、この駅周辺が開発されて生まれ変わる、というそのスタート手前のときまでは仕事でよく来ていた。その先がどうなったのか曖昧であるが、東京へ転勤になったためかもしれない。

 

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時期の前後は定かではないが、開発される前の横浜にて、三菱重工へ営業の仕事で通っていた。あの広大な土地が、みなとみらい地区へと新しく生まれ変わる直前だったと思う。それから、ランドマークタワーが途中まで建設された頃、転勤になっているので、この駅の開発と時期がかぶるのかもしれない。みなとみらい駅と新しくなった港周辺は、できたての頃はまったく訪れていないので知らなかった。仕事や用事がないから出かけない、というものぐさのためであるが、だいぶあとに行ってみたら、やはりその変貌ぶりにおどろいた。

 

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ちなみに、転勤先の東京は有明であった。お台場は広大な野原状態で、舗装されていない道を車で走った記憶がある。レインボーブリッジがやっと開通したばかりで、フジテレビは建設途上であった。あの大きな球がだんだん上がっていくのがおもしろかった。よく利用したゆりかもめ(モノレール)だって、開通するのはだいぶ後だった。豊洲でよく飲んだが、古い店がほんの数軒しかなかった。素朴なところであった。

 

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さて、この駅には用事で訪れた。少し時間が余ったので、公園に行ってみたが、デパートを抜けると一本道でかんたんに行けてしまう。その道がとてもきれいで、おのぼりさんみたいにキョロキョロしてしまう。かつては狭い道で、車も歩行者もすれすれであった。やはり、新しい街はいいものだと感心したのだが、なにか昔の良さが失われている気がした。そうなのである。路地裏をうろうろしながら、よさそうな飲み屋さんを物色する余地が見当たらないのである。