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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

からだの記憶力と詩のこころ

創作・作家

 

箏曲家の宮城道雄さんは、今年で没後60年になる。
大阪の公演へ向かう夜行急行列車『銀河』から、列車の外に転落した。
救助時点で意識はあったが、惜しくも搬送先の病院で亡くなられた。

8歳のころに失明した宮城さんは、光を断たれ指先の感覚が研ぎ澄まされたのか。
布地の色はわからなくても、縞の粗さや細かさの見当がついたそうだ。

サトウハチローさんは、父親で作家・佐藤紅緑さんから<神武以来の極道息子>と評されたという。16歳で西条八十さんに師事したが、その大柄な訪問者に対し八十さんは<サトウハチローなる「大」少年来たる>と日記に書いたそうだ。

“極道息子”で“「大」少年”のサトウさんほど、母のことを飽かず繰り返し、心をこめて歌った詩人はいないといわれる。

<ちいさい ちいさい人でした/ほんとに ちいさい母でした/それより ちいさいボクでした>(『ちいさい母のうた』より)。

 

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宮城さんは、晩年まで好奇心旺盛で、気持ちのおもむくまま触れて、撫でることを楽しんだ。欧州旅行の帰国後に、仲の良い作家・内田百閒さんと対談した。

<パリのノートルダムは撫でてみましたか?>。<脚のほうを撫でてみました>。
<どうです、手ざわりは>。<本当は(英国の)女王を撫でてきたかったんです>。
<それはだめ>。楽しげに話す宮城さんのお顔が思わず浮かんでしまう会話である。

母を慕い、心血を童謡に注いだサトウさんの生涯は、“「大」少年”の如しであったようだ。
作詞した童謡に『ちいさい秋みつけた』 、『かわいいかくれんぼ』 、『うれしいひなまつり』などと、思わず口ずさんでしまう名曲ばかり。

謡曲でも『リンゴの唄』、『うちの女房にゃ髭がある』と楽しませてくれる。
フォーク・クルセダーズに提供した『悲しくてやりきれない』も忘れられない。

1957年(昭和32年)、サトウさんは後進に発表の場を与えようと、童謡の同人誌『木曜手帖』を創刊した。そして、作詞家・吉岡治さんをはじめ、多くの才能が巣立った。

 

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琴と尺八の二重奏曲『春の海』は宮城道雄さんの代表作として知られている。
ご本人の演奏によるこの曲も、YouTubeなら簡単に聴くことができる。

朝露に湿った葉の茂り、ごつごつした幹、やわらかい土・・・。
視力に頼り、その視力さえ(記憶するのは)カメラまかせにしてきたことは否めない。

パソコン画面を見つめて暮らす日常を離れ、“からだの記憶力”を回復するには、
今の時期がチャンスのようだ。

穏やかな春の海を手のひらで記憶する。想像するだけでなく、実際に行うことで得られる感動ははるかに大きいはずだ。

同人誌『木曜手帖』は10年前に第600号をもって終刊したようだ。
しかし、インターネット内には『木曜手帖』のサイトがあり、サトウハチローさんの意志が引き継がれていた。

戦後の童謡史を飾った1ページに幕がおりても、感じる記憶力とこころは永遠でありたい。

 

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