作品の真価は耳への心地よさ
今でも新聞などのコラムによくお名前が出る向田邦子さんは、食べ物にまつわる話が多い。向田さんの書かれた、味わい深いドラマの数々は、食べ物と無関係ではないようだ。
テレビドラマの家族がすき焼きを囲む場面を書くとき、向田さんは台本に肉の値段を書き添えた。家族だけなら100グラム550円、来客中なら750円、という具合にである。
その以前、スタッフが暮らし向きの倹しい一家のすき焼きに、高価な霜降り肉をふんだんに用意したのに懲り、値段を指定するようになった。
向田さんはまた、大ヒットテレビドラマの台本に、<朝食の献立。ゆうべのカレーの残り>とも書いた。母の作る(翌朝)濃いめのカレーは専門店もかなわない、のだと。
食欲とは食べ盛りの昔への郷愁らしい。「おかわり!」の記憶が、のちのちまで食欲を刺激する。そして、カレーライスは郷愁を誘う料理のひとつなのであろう。
受刑者の隠語で、豚肉とジャガイモの煮付けのことを「楽隊」と呼んだらしい。
“ジャガブタジャガブタ”のシャレなのだとか。
それは言葉で言いようもないほどの美味であったとのこと。社会主義者の作家・荒畑寒村さんは随筆『監獄料理』に記した。
出獄して荒畑さんは夫人に作らせたが、いかにしてもその味が出ない。
「お前も一度入って自分で味わってみろ。工夫がつく」。
そう勧めたところ、夫人に「バカを言うな」と大目玉を食らったそうな。
居心地が決して良いはずのない環境でも、ふだん味わうことのできないご馳走は存在するようだ。
元プロボクサー・輪島功一さんは、小学校の思い出として忘れられない味があるという。
終戦の数年後で、甘い物が貴重だった時代である。
雑貨屋の同級生が売り物のようかんを見せびらかし、「玉ネギを生で1個食べたら、やるよ」と言ったそうだ。
輪島さんは「よし」というと、鼻をつまんで玉ネギにかじりついた。汁に涙を流しながら夢中で食べた。そして、(ひりひりする舌に染み通る)もらったようかんの甘さはいまも忘れないのだと。
夏目漱石さんの『文学論』には、饅頭の出てくる一節がある。
<饅頭の真価は美味にあり。その化学的成分のごときは饅頭を味わうものの問うを要せざるところなり>。
饅頭に例えたのは俳句であり、句を味わうのに成分論議(難解な解釈)は無用。
「うまければいいのだ」と言い切った。
俳句にかぎらず、言葉で表現させるものの真価は“美味”であり、耳にした時の心地よさにあるのかもしれない。それは、日常会話についても同じことがいえそうだ。