日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

過ちが去ることで過去になる

 

イラストレータ和田誠さんの父親で、音響演出家・和田精さんは“効果音の父”と呼ばれた。放送局で採用面接を担当した際、<君、へんとう腺を切っていますね>と問えば、「切りました」。

<履歴書には本籍・現住所とも大阪とありますが、ご両親のどちらかは東京ですか?>、「父が東京生まれです」。このような感じで、どれも受験者の声を聴いて言い当てたそうだ。

著名人の享年や死因をことごとく記憶する新聞記者がいた。こちらは実在の人物ではなく、昔の海外ミステリーでの登場人物だ。死亡記事の担当だが、とくに仕事熱心ではない。
人の死因をすらすら言えるのは自分の死への恐れからだ。父の享年にだんだんと近づくが、幼いころ生き別れたため、死因を知らされずに育った。

遺伝子を継ぐ者として怖くて仕方ない。もし自殺なら、それとも・・・。
亡くなる人は悲しみの中にも何か大切な“情報”を家族に残していく。

 

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一昨年、104歳で亡くなった詩人・まど・みちおさんは、太平洋戦争に召集されたとき近藤和一という友人ができた。調理師であった。二人して上官から“気合を入れる”ビンタを食らった。

休憩時間、友の帽子に縫い取られたカタカナの名前を、殴られてぼんやりした頭で、逆から読んでしまう。<チイズカウドンコ>。調理師でチーズかうどん粉。普通は泣きたい場面なのに、おかしくて笑った。まさに、まどさんの詩の源(みなもと)のような話である。

世の中は愉快で楽しいことばかりではない。醜い欲や邪心がまかりとおっている。つらい仕打ちもある。それでも嘆くのではなく、ほんの小さな楽しいこと、美しいものを、穏やかに見つめ続けた。

<私は絶望感が持てないほど弱い人間だから>と、まどさん。
多くの人に愛されたゆえんなのであろう。童謡『ぞうさん』など数々の名作を残した。

 

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若い人はご存じないだろうが、かつての人気ドラマ『寺内貫太郎一家』では毎回、食事の場面があった。<朝食の献立。昨夜のカレーの残り>と、ある日の台本に書かれていた。
一晩たつカレーがおいしいと感じる人は多いだろう。

この番組の演出家・久世光彦さんは『触れもせで・向田邦子との二十年』に記した。
煮凝(にこご)りになった魚の煮物など、“ゆうべの残り”で忘れがたいものはほかにもある。そして、<人の世の毎日は“ゆうべの残り”を引きずりながら次の日、また次の日へとつながっていく>ものだと。

<人は誰でも悔いの種をまき散らしながら生きている。多くの人は遠からずしてそれを過去に変え、過ちの荷をおろす時を迎えるだろう。>
詩人・吉野弘さんの『過』という詩の一説である。

 

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“世界最小の洗濯機”といわれる「コトン」は、長さ18センチの円筒形で、洋服に押し当てて汚れやシミを落とす。中国家電メーカー・ハイアールの日本と東南アジア市場を統括する会社が作った。社長はソニーグループ出身の伊藤嘉明さんだそうだ。

食事中にシャツへ飛び散ったシミで困ったことがあった。研究所に並ぶ試作品でおもしろいと感じ、製品化につなげたいと考えた。

世界を席巻していた日本の電機業界も新興国メーカーの台頭に押され気味である。
会社の規模が大きくなるにつれて、失われたスピード感。よく指摘される要因でもある。

ソニーはテレビに続き、一世を風靡した“ウォークマン事業”も分社化。
ウォークマンは、創業者の井深大さんが、旅客機で音楽を聴くためにと、技術陣に製作を依頼したのがきっかけで生まれた。

アップルのジョブズさんはウォークマンに感動しiPodを考案した。そのiPodに電話機能をもたせたらどうだろうとiPhoneが誕生。

液晶の呪縛から逃れられなかったシャープは、台湾の鴻海精密工業に買収された。
そろそろ<過ちは去るように>と、過去の教訓を活かし、会社自体を小回りの利くサイズに作り替えてもいいのではないだろうか。日本の電機業界らしいモノ作りを期待したい。