日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

おもしろい断片を持つために

 

<普通の人は“今”しか見えない。前を見ているつもりでも実際は“バックミラー”を通して見ている>。文明批評家・マクルーハンの言葉だ。凡人は“前”を見る努力が欠かせないようである。

いろいろなモノがそろっていたかどうかで、世代差を感じることがある。子どもの頃、テレビのある家へ、(近所の)テレビのない人たちが大勢訪れ、正座をして観ている風景をおぼえている。

家に電気洗濯機が初めて入った時、妙に感激した。ちゃんと動いているのかと何度も確認しに行った。洗濯といえば、“たらい”に“洗濯板”だったので、ものすごい進歩に感じるのも当然である。

 

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電気冷蔵庫を初めて使うときは、用もないのに何度も扉をあけていた。すると、中で電気がついているのでまた感動。それ以前の冷蔵庫は、箱の入れ物に氷を入れて、食料を冷やしていた。その氷を買いに行き重かった記憶もある。

モノのない時代を知っていると感動が多い。

待ちかねた16歳。アルバイトでバイク(原動機付き自転車)を手に入れたときもうれしかった。まだシャレたミニバイクなどない時代。中古のカブであった。

のちに350ccの自動二輪車に乗り、自動車へと移行していく。今でもそうであると思うが免許証取得で自動車教習場の料金は高かった。技能の時限を最短でいかないと、料金がどんどんかさむ。

通った教習場では、昼休みに車を借りてひとりで練習できるサービスがあった。教習料金より安く乗れるのだ。それを利用して、どうすれば脱輪をするのか、などの確認ができた。横に教官がいないため、いくらでも失敗の練習ができた。その成果で(時限も)ほとんどダブらず、まわりの人より安上がりですんだ。

 

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失敗は成功の元なり。まちがっても訂正できる。その方法を知っていればこそ手を出せる。中高年でパソコンの苦手な人は、訂正方法がわからずに怖がる。なにごとも、失敗の許容範囲を知るのと知らないのでは大きなちがいがある。

若手だったイチロー選手が、思うような打撃ができず悩んでいたとき、まったく平凡な二塁ゴロでアウトになった。しかし、ベンチに引き上げるイチロー選手はニコニコしていた。その打席で、今まで「見えなかったものが見えた」という。

理解できないような話だが、説得力がある。<こう打てば凡打(失敗)になるからそうしなければいい>。その打席をきっかけに、イチロー選手の快進撃が始まった。

経営難に陥っていたテーマパーク“ユニバーサル・スタジオ・ジャパン”を崖っぷちから再生したマーケター・森岡毅さんは、<ぶんぶんバットを振る。積み重ねの量がいつかヒットやホームランを生む>と言っていた。体験の裏打ちがあればこそ、整理して具体化ができる。

思い立つが吉日というが、思い立たないときも吉日はあるはず。楽しむことに忙しそうな人は魅力がある。すべての出来事は一番いい事のために起こる、とポジティブな発想があるからだ。

 

 

今週のお題「紅葉」