日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

雑煮から味噌汁のよもやま話

 

<こんなに揃って雑煮を食ふのは何年振りですかなア、実に愉快だ、ハゝー松山流白味噌汁の雑煮ですな。旨い、実に旨い、雑煮がこんなに旨かったことは今迄ない。も一つ食ひませう・・・>。

正岡子規さんの随筆『初夢』にある。

正月にて年賀のあいさつであろう。
他家を訪れて通された座敷に、3つ、4つと雑煮の膳が据えてある。

子規さんがこの随筆を書いたのは亡くなる前年の1901年(明治34年)の1月である。
すでに寝たきりの身で、年始回りはできない。
大いに談じ、大いに食い、<夢が覚めた>と結ばれている。

ちょっと切ない覚めぎわではあるが、雑煮への想いは今の時代でもよくわかる。
関東のしょうゆ、近畿の白味噌、中部以東の角もち、近畿以西の丸もちなどと、それぞれの土地やその家に違いはあれど、十人十色の顔がうれしい。

 

1784

 

この正月わが家で「雑煮を正月しか食べないのはもったいない」との会話を家族と交わしたが、なかなか正月以外に食べるきっかけがない。

雑煮の話の関連でふと脳裏に浮かんだものがある。

味噌汁である。子どものころから大好きで、毎日食卓に並んでいた。それがいつしか失われている。雑煮ほどの間隔は開かず年間で何杯も食してはいるが、今年に入って何杯食したかの記憶が薄い。

インターネットネットの閲覧で、『ジャパン味噌プレス』という月刊の情報紙があることを知った。

2014年に横浜を拠点に創刊され、“味噌”の良さと活用法を様々に紹介し、5万部を発行とのこと。「味噌汁は若い女性の味方」などとの見出しが興味深い。

編集長の藤本智子さんは2011年に「ミソガール1号」を名乗り、ネットで発信を始めた。
それまでは華やかなアパレル関係の仕事に就き、炊飯器もない生活でダイエットざんまいだったそうだ。

めまいや肌荒れに悩まされたときに、味噌の健康効果を解明する研究者らと出会い、味噌汁に開眼したのだという。食生活の改善で体調が戻った。

 

1785

 

藤本さんの活動は、味噌業界の目にとまり、PRのためのイベントに呼ばれるようになった。味噌とダシや具材を混ぜて団子状にしたものを「みそまる」と名づけ、お湯を注いでふるまえば、会場に笑顔が広がる。その仲間たちも増え、全国を回るまでになっている。

若者の味噌離れが進む中、藤本さんはミソガールになって以来、味噌にどっぷりとハマり、その美味や楽しさを実感しているそうだ。

おいしくて、人を幸せにしてくれる味噌の魅力を、たくさんの若者や子どもたちへ伝えていきたいとの熱意で、ミソガール、ミソマザー、ミソボーイのイベント出演(ステージ、出前教室、講演会等)をこなしている。

味噌でまちおこし、メディアタイアップ企画など、<味噌に関係することなら何でもやらせていただく>との覚悟で、味噌普及活動や年間約100本も開催するイベント実績を持つ。

業界でつくる「味噌健康づくり委員会」も、彼女らの活動を歓迎し<業界が元気になるよう、力を借りている>とのコメントを発信していた。

これらの話で、雑煮や味噌汁へのときめきを想い起こし、(目の前にあるはずの)健康食品に気づかなかった自分が、とても損をしていたような気になってきた。