日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

宇宙を舞う妖しきデブリたち

 

太陽系の主構成は<水金地火木土天海冥>といわれる。その中の冥王星は、太陽からの距離が地球の約40倍、肉眼では見えない。
1年前、米航空宇宙局(NASA)のニュー・ホライズンズは、この星に最接近した。
2006年1月から飛行を続けてきたのである。

冥王星の画像には、黒いまだら模様の斑点が並び、その模様は変化する。望遠鏡などの観測では、冥王星の質量が地球の約500分の1で、推定の表面温度は氷点下233度で、大気はわずかのようだ。ほとんどの物質が凍る極低温の世界で模様が変わるのはなぜか。

1957年、ソ連(現ロシア)が人類初の人工衛星打ち上げに成功して以来、多くの人工衛星や宇宙船が地球上空に打ち上げられ、太陽系の探査、気象観測、通信などの宇宙開発に貢献している。

ロケットの打ち上げられた回数は約5000回。華やかな成果の陰に失敗も多く、宇宙で爆発が生じた事故は200回以上起き、破片はデブリ(宇宙ごみ)になった。

 

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宇宙のごみ問題も深刻である。ロケットの部品や人工衛星の破片など、監視できるものだけで1万7000個近くになる。

デブリは宇宙にじっと浮いているわけでなく、人工衛星のように高速で地球をぐるぐる回っている。高度400キロ・メートルのデブリは、秒速で約7.5キロ・メートル。新幹線の約100倍という猛スピードなのだ。

小さなデブリでも、作業中の宇宙飛行士に衝突すればとても危険である。
デブリの飛行は高度2000キロ・メートル以下の低軌道が多く、800~1000キロ・メートルの高度に集中している。

その寿命は、高度200キロ・メートル以下が数日で落下する。しかし、600キロ・メートル以下で数年、800キロ・メートル以下で数十年、それより高いと数百年もかかるという。

気象衛星「ひまわり」など静止衛星が飛行する高度3万6000キロ・メートル付近になると、デブリは落下せずに地球を回り続ける。

 

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デブリを増やさないようにと、デブリに“ひも”をつける方法をJAXAは検討しているようだ。ステンレスとアルミで数キロ・メートルのひもを作り、デブリにこのひもをつけると、宇宙空間を漂う電子を吸い込み、ひもの中に電気が流れるしくみである。

そのひもが地球の磁場を受けることで、デブリの速度が落ち早く落下するという方法なのだ。

JAXAは、宇宙ステーションに物資を運ぶ無人補給船「こうのとり」を打ち上げる。
こうのとりがその役目を終えて、ひもを垂らして電気の流れ等を実験する予定だという。

2020年代の実用化をめざし、低軌道飛行の人工衛星なども、打ち上げから25年以内に自動的に落下させる予定だ。デブリ増を防ぐため、宇宙開発を行う各国が、2007年に取り決めた国際ルールでもある。

わからないことだらけの宇宙であるが、壮大な作業のようだ。
明日は七夕である。宇宙へと、現実的な思いを馳せるのも、たまにはいいかもしれない。

 

夕暮れ時は寂し嬉しの雑感

 

<夕暮時というのが嫌いだった。昼間の虚勢と夜の居直りのちょうどまん中で、妙に人を弱気にさせる>。
向田邦子さんのシナリオ作品『冬の運動会』にて、主人公である青年の独白が印象深い。

夕暮れ時は、“どうにかする”の虚勢が“どうにでもなれ”の居直りに転じる境目なのかも知れない。仕事をしていても、尻の落ち着かぬ時間帯であることは否めない。

フランスの食通・ブリアサヴァランいわく、<晩餐の会食者はいずれも、いっしょに同一の目的地に着くべき旅人同士の心持でなければならぬ>のだと。

旅人どうしは、縁があり同じ団体になったり、同じ乗り物に乗り合わせたりした人たち。
ひとときの時間と空間をともにする。たとえ一期一会の隣席でも、気分を害し合わずに過ごしたいのが人情だ。

 

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列車の旅では、他人の哀しみや喜びと隣り合うこともある。まるで、人生の交差点のように。

評論家・小林秀雄さんは急行の食堂車で夕食をとっていた。上品な老夫婦が同じテーブルについた。夫人の小脇には、(背広を着、ネクタイを締めている)人形があった。

夫人はスープを人形の口もとに運んでから、自分の口に入れた。
小林さんは察した。人形は亡くなった息子さんだろうと。

小林さんが昭和37年に書いた『考えるヒント』内のエッセイ『人形』である。

会食は穏やかで、静かに続く。
その後、小林さんのテーブルへ、大学生らしき若い女性が相席になった。
女性はひと目で状況を悟り、人形との会食に順応したという。

その“観察眼”に、小林さんは心惹かれたようだ。

イラストレーター・益田ミリさんのエッセイにも夕暮れの列車風景があった。

出張帰りか、一日働いた“がんばった匂い”で車内はいっぱい。

<寝ている人が大半だった。空席を挟んだわたしの隣の男性は、パソコンのキーボードに両手を乗せたまんま熟睡していた>。

無防備な寝顔を見せて列車に揺られる。あたりまえのやすらぎがとてもいとおしい。

 

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<梅の花さくころほひは/蓮さかばやと思ひわび/蓮の花さくころほひは/萩さかばやと思ふかな>。島崎藤村さんの詩『別離』にあった。

この花が咲けば、あの花も見たい。その花が咲けばまた別の花が待ち遠しい。
“無い物ねだり”はだれにもありそうだ。

四季の移ろいも同様で、冬の木枯らしに夏を慕い、夏の炎暑に冬を懐かしむ。
傘の持ち歩きや滑りやすい舗道。鬱陶しさと小さな面倒くささがつきまとう。

梅雨明けが待ち遠しい時期ではあるが、明けたら明けたで熱帯夜に愚痴も出てくる。
“萩さかばや”などと、秋の花を“無い物ねだり”するにしても、夕暮れには寂しくもうれしい雑感がわいてくる。

 

気むずかしくも慕われた漱石

 

今年の12月で没後100年になる夏目漱石さんは、圧倒的な知名度で高い人気を誇る。その作家人生は10年余りにすぎない。

思春期の読書好きな人が“あれ読んだ?”と語り合えるような、太宰治さんタイプではないかもしれないが、粋で新しいもの好きなおしゃれ心を感じる。漱石さんには、日本人の凝り性を持つモボ(モダンボーイ)の部分もありそうだ。

漱石さんは、東京の山手を舞台に、山手に住む新興エリートに向けて書いた新聞小説作家だった。国民的作家になったのは、戦後の国語教育の力が大きいという説がある。

日露戦争後、激変する社会を舞台に、都市の風俗や時事ニュースを巧みに盛り込みながら、男女が直面する問題を描き人気を博した。

 

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漱石さんは英国で、小説とはどういうものかを学んできた。西欧化された東京を描くことで、日本人に西欧を体験させ、近代のありようを示したという。
しかし、当時の文壇は冷ややかで、作家・正宗白鳥さんは“文章のうまい通俗作家”と漱石さんのことを評している。

昭和に入り、『こころ』が少数エリートである旧制高校生の必読の書となり、漱石さんを読むことが読書人の教養であり、新興中流層のステータスとなっていく。
『こころ』は1960年代に、高校国語教科書に収録され、高度成長期による“総中流時代”で、だれもが知る国民的作家になった。

漱石さんには“いくつもの顔”があったようだ。帝国大学を出て26歳で“英語教師”になり、松山、熊本、東京で教えた。“英文学者”でもあり、親友の正岡子規さんに教えを受けた“俳人”でもある。また、“美術評論家”、“装丁家”としても自ら『こころ』の装丁をした。

 

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漱石さんはスポーツ万能で、器械体操の名手でもあった。他にもボート、乗馬、水泳も達者のようだ。意外である。

市井人としての夏目金之助さん(本名)としては、相撲好きの江戸っ子で、幼い時に養子に出された苦労人なのだ。弟子の内田百閒さんに、質屋のしくみを教えたというエピソードもある。

一見、神経質で気むずかしいが、面倒見がよく多くの弟子たちに慕われたという。
読者をとても大切にして、小学生からの手紙にも律義に返事を書いた。
<だれでも読める小説を理想としていた>との信念が、こういうやさしさからも垣間見られる。

39歳になった漱石さんは、<自分で自分がどのくらいの事ができ、どのくらいな事に堪えるのか見当がつかない>と悩んでいたそうだ。

それでも<どのくらい自分が社会的分子となって、未来の青年の肉や血となって生存し得るかをためしてみたい>とも、学友への手紙に吐露している。

漱石さんは、命がけで小説を書いた。作品の数々が都市論や家族論、フェミニズム論など、あらゆる角度から読まれ続けている。

自身の作品が、100年後の今も読み継がれていることを知ったら、満49歳で亡くなられた漱石さんはいったいなにを思うことだろう。

 

逆手で利用される身近な機器

 

<OA機 電源切れば 俺の勝ち>。サラリーマン川柳の優秀作である。
最新の機器に手こずる人の奥の手らしい。

昨今は、報道機関の電源スイッチに、手を伸ばそうとする政治家を連想してしまう。
<都議会、リオ五輪視察中止を決定>などの記事では、もはや電源切れずとの“敗北宣言”に思えてくる。

報道に制限をかけたがる政治家もいたようだが、口で勝てないから口封じをすると誤解されても仕方がない。常識を逸脱した八つ当たりは、「自分の負け」だけでなく、民主主義の負けになる。

 

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モノのインターネットの略である“IoT”。
スマホで操作できるエアコンや、心拍数の管理をネット上でできる腕時計など、ネットに様々な機器がつながる仕組みになろうとする世の中だ。ネットの先にある(あらゆる)モノの電源を切ることも容易ではなさそうだ。

インターネットにつながる世界中の火災報知機や監視カメラなどの“IoT機器”約15万台がウイルスに感染し、サイバー攻撃の“踏み台”となっていることがわかったという。

横浜国立大の情報システムに関する研究室では、昨年4~7月で(同大のネットワークへ)約90万回のサイバー攻撃を確認した。

その通信元の調査結果では、中国、ロシア、トルコなど世界各国の火災報知機やIP電話、ビルの空調制御システムなどで、361種類のIoT機器約15万台だったことが判明。

 

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これらの機器は(外部の)第三者によるサイバー攻撃が経由する“踏み台”としての役割で、
大量のデータを送りつけるDDoS(ディードス)攻撃や、ウイルスのばらまきに悪用されたそうだ。

侵入検知システムなどのセキュリティー対策の機器さえもが、踏み台にされるケースもあった。昨年5月、日本国内からの攻撃では、監視カメラや家庭用ルーターなど93台のIoT機器が踏み台として使われたという。

(ネットにつながる機器には通常使われないはずの)通信プログラム“Telnet(テルネット)”が、機器の開発段階で組み込まれていることもあるようだ。約30年前に登場したテルネットは現在のサイバー攻撃を想定しておらず、IDやパスワードが初期設定のままというケースがとても多い。

攻撃者の手口では、こうした機器を探してウイルスに感染させたということなのである。
利用者からは、家庭内のIoT機器の感染の有無や脆弱性を確認することはとても難しい。
現在判明しているものは“氷山の一角”なのだという。

テルネットが作動していないかどうかの確認や、利用者が<電源切れば 俺の勝ち>と、かんたんに断ち切れるものなのか、それがハッキリしなければ不安でならないであろう。

 

いつの世もヘンな人が蔓延る

 

詩人・吉野弘さんには、漢字を題材にした作品があるという。
<脳も胸も、その図(はか)らいも 凶器の隠し場所>(『同類』)。

脳や胸という漢字には“凶”が隠れており、誰しもが聖人にはなれず、つい凶器のように野蛮な言葉が脳裏に浮かぶ。

脳や胸にとどめているだけなら問題はないだろうが、所かまわず、それも講演(北海道小樽市)で言い放ったとなれば話は別。またまたお騒がせの麻生財務相である。

<90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました>と述べたとか。

 

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<心に耳を押し当てよ 聞くに堪えないことばかり>(『恥』)。

こちらも吉野さんの詩である。近頃辞められた、都知事さんのために書かれたような詩である。何とも虚ろな幕切れであった。

<役者殺すにゃ刃物はいらぬ、ものの三度も褒めりゃよい>。
数多くの役者を育てた菊田一夫さんが自叙伝に記した。

自分のもとにいる役者が世間から無条件にちやほやされ、芸が知らず知らずと下手になるのが一番怖い、と。“役者”を“都知事さんや同類の政治家”に置き換えても意味が通ずる。

菊田さんいわく、<寄ってたかって褒めて落とすのは他人だが、立ち上がるのは自分ひとりである>とのこと。とはいえ、<立つ鳥 跡を濁しっぱなし>のままでは、先が思いやられる。

<いい人と歩けば祭り。悪い人と歩けば修業>。
生涯を旅に生きた最後の瞽女(ごぜ)・小林ハルさんの言葉だという。

 

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おのれの美声に鼻高々の男へ、<粋な声たァ、よく言えたね>と、あきれた仲間がいう。
<お前の声てェものはね、入梅どきに共同便所に裸足(はだし)で入って、出たとたんに金貸しに出っくわしたような声だよ>。落語のひとコマである。

入梅どきの湿った気分は変わらない。座敷には桐の箪笥。押し入れには衣類を納めた茶箱。エアコンのない昔、少しでも湿気を防ぐために、先人が絞った知恵の数々だ。

<火を放ち 野をふり向かぬ 男かな>。
鈴木真砂女さんによる恋の句である。

人の胸に火をつけ、あとを顧みずに去っていく男の後ろ姿。
なんとカッコいいのだろう。こういうさわやかな男もまだまだいてくれることを祈る。

それは、イチロー選手かも知れない。
記録が重ねられ、快挙が点じた火に胸を熱くしていると、(気がつけば)背番号「51」の後ろ姿は次の記録に歩き出している。

 

 

今週のお題「2016上半期」

「宝物の時」こそが美味の瞬間

 

『年齢の本』(デズモンド・モリスさん著)によれば、<59歳は中年としての最後の喝采を受ける年齢>であり、<31歳はもはや若者に信用されなくなる年齢>なのだという。

1歳ごとの年齢の持つ意味を、0歳から100余歳まで、有名人にからめて記されている。
ちなみに、<100歳以上は極限まで生き残った人々の年齢>らしい。

<絵に描いたモチベーション>。
“絵に描いた餅”のからみで生まれた新しい“ことわざ”だとか。

“やる気”、“意欲”に満ちあふれ、何かに取り組んだものの、長続きせず、反省するときに使い勝手がいいようだ。

<完全におとなになる年齢>とされる18歳の大志も、今や何処の(心境の)わが身である。人生とは<絵に描いたモチベーション>の連なりなのだろうか。

 

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<降る音や耳も酸(す)うなる梅の雨>(芭蕉)。
春夏秋冬の四季も、人生に喩えられることがある。

<ハケ(刷毛)に毛がありハゲに毛がなし>。おなじみの、“澄むと濁るで意味の変わる言葉”である。<しっとりなら風情だが、じっとりは不快>な時期でもある。

梅雨の語源説では、梅の実の熟するころの雨ともいわれる。梅干しや梅酒を仕込むときなのらしい。

家族の恒例行事のことを、作家・髙橋治さんは随筆に記した。
「まず庭の梅をもぐことから始まり、梅干し、梅酒はむろん梅エキスも作る。手をかけた梅菓子では、“梅本来の味と香気を完全に残している”」と讃えている。

梅は手塩にかけるほどに味わいは増すという。おいしい“梅干し入りのおにぎり”が恋しくなってきた。炊飯器で炊いたご飯は、表面の部分が抜群においしいようだ。表面をすくい取ってみると、甘みがずっと深い。しゃもじで混ぜるのは、おいしさを均等にするためだという。

 

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<独り酌む この薄酒のひや酒も のめば酔ふもの 水よりは濃き>(岡本大無さん)。
戦中に詠まれた歌である。酒は配給制、ヤミ値で苦労して入手しても水で薄められたものが多かった。“金魚酒”との言葉もあり、金魚が泳げるほど水っぽい酒のことらしい。

うまい米と水でつくる日本酒も、受難の時代を経て、今や世界に広まっている。

誰しも思い出す時間があるはずだ。
いちばん幸せだったのは、いつか?
問われてすぐに答えられる人は少ないだろう。

茨木のり子さんに『答』という詩がある。
<祖母の答は間髪を入れずだった  「火鉢のまわりに子供たちを坐らせて  かきもちを焼いてやったとき…」>と。

その即答は、「宝物の時」をいつも心に映しては眺めていたからこそである。
問われるのを待つほどの“楽しい記憶”を思い出させることで、マウスの“うつ症状”が改善した、という実験症例もあると訊いた。

 

ときめく時間の部分活用方法

 

昨年の箱根駅伝青山学院大は、初優勝を果たした。その采配は“ワクワク大作戦”だという。観客も選手も“ドキドキワクワク”するレースをしよう、との掛け声である。
結果、選手たちの力が予想以上に引き出された。

また、過去の栄光や成功が枷で、持てる力を発揮できないケースもある。
高品質・高機能で世界市場を席巻した日本の家電メーカーも、低価格の中韓メーカーに押され精彩を欠くことになった。

低価格志向の強い消費者もいれば、各々のこだわりにお金を惜しまない人もいる。商品やサービスを追求するだけでなく、多くの人がワクワクし、買ってみたくなる雰囲気づくりが重要になる。

ソニーの“ウォークマン”は、人気ミュージシャンらが使い始め、そのファンたちが購入してブームが起きた。スティーブ・ジョブズさんも憧れたひとりで、そのときめきがiPod、iPhone、iPadの製作へとつながる。

 

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整理整頓の専門家・こんまりさんの著書『人生がときめく片づけの魔法』によると、掃除は単純作業で、片付けは頭脳労働なのだ。

片付けは“捨てる”ことから始まる。捨てる際の基準は、“ときめく”か“ときめかないか”で判断を下すという。モノに手を触れ、ときめいたら残す。ときめきがなければ捨てるのである。

非正規労働が広がっている。パートタイムとは<時間(タイム)を部分(パート)に分けて働く>という意味になるのだろうか。非正規労働の半分近くを占めるそうだ。

仕事の時間は、“ときめかない”からと切り捨てられないが、できれば“ときめき”のある“時間の部分”を、持つための努力はした方がいい。

日本は、世界でトップクラスの長寿国だ。男女とも平均寿命は80歳を超えている。
60歳から80歳までの20年間で、(睡眠、食事、家事の時間を除く)自由に使える時間は約6万6000時間。それは、22歳から60歳まで働いた時間に相当するという。

 

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パートタイムという言葉の広まるきっかけは、1954年9月に大丸が載せた新聞広告だった。開業間近の東京店の求人募集で、宣伝文句が並んだ。

<お嬢様の、奥様の、3時間の百貨店勤め。パートタイムの女子店員募集。通学・御家庭の余暇を利用して3時間だけ、明るく楽しい百貨店で働かれることはいかがですか>。

女性が働くことに理解のなかった時代でも、200人の募集に7000人以上が殺到した。

働く女性たちは、<夫と音楽会に行ける>、<お稽古代を自分で払える>などと、仕事のやりがいを語っていた。

パートタイムは仕事と家庭の両立が図りやすいと、日本の経済成長を支えてきた。現在、定年後の高齢者でパートタイムの仕事を“ときめきタイム”として楽しんでいる方がいる。前職の経験を活かし、縁の下の力持ちなのだ

蓄えがあるからと働かず、趣味や行き場がないと嘆く高齢者の方もいる。
“ときめきタイム”の有無は思いのほか、生きがいの差を広げてしまうようだ。

 

たまに あっさりジョークでも

 

古き良き時代のテレビ業界で、タイトルが“ん”で終わる番組は当たる、と信じられていた時期があった。まず、ロングヒットを放った『水戸黄門』が思い浮かぶ。『大岡越前』はそのために越前守の“守”を削ったとか。

“ん”にした方がいいというおまじないは、薬業界からの受け売りか? という説もある。たしかに“ん”で終わる薬はテレビ番組以上にたくさんありそうだ。

工場長に早く昇進したくて仕方がない製薬会社の副工場長は、肩書にある“副”が腹立たしくてならない。新薬に添付する説明書の草稿をチェックしているときもそうで、憎さもあり、迷わず“副”の字を削ってしまった。刷り上がった説明書にいわく、<本薬はいかなる作用もありません>と。(相原茂さん著『笑う中国人』より)。

 

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一昨年、営業や研究開発などに携わる1200人に<管理職になりたいか?>のアンケートを実施したという。“なりたい”と答えた人は、その前回調査から10ポイント以上も減り、半数に満たなかったそうだ。上司と部下の板挟みで苦労するのが目に見えているからか。そればかりでなく、終身雇用が昔話になった今、専門職はほかの企業でも通用するが、管理職はむずかしい。敬遠された理由というのがよくわかる。

野村克也さんは監督時代、日ごろ口癖のように語る言葉があった。
<勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし>。たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはありえない。負けるには負けるだけの原因があるのだ、と。

無理して管理職競争に勝つよりも、自分に合った目標を定めた方が、得策なように思えてしまう。

<「課長いる?」返ったこたえは「いりません!」>。
私の大好きなサラリーマン川柳にあった。今の世はとくに、“管理職はつらいよ”なのか。

 

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<ひとりで食べる飯がいちばんうまい>。
3年半前に亡くなった小沢昭一さんは語っていた。

交友の幅も広く、座談の名手であるだけに、サービス精神はひと一倍旺盛な人なのであろう。おそらく、ひとりの食事が心を解き放つ貴重な時間であったのであろう。

大学の食堂で、相席を嫌う学生が増えたと訊いたことがあるが、今はどうなのか。
テーブルをついたてで仕切るなどした“1人用席”を設ける、などとの記事を読んだ記憶がある。

ひとりもいいが、いとしい相手がいてくれればなおうれしい。
その相手からこんな手紙(メールだと味気ないから)をもらったら、どんな気持ちか。

<あくびがでるわ。いやけがさすわ。しにたいくらい。てんでたいくつ。まぬけなあなた。すべってころべ>。

あっけにとられるのはまだ早い。横書き6行の左端を縦に読んでみると<あ・い・し・て・ま・す>に変身するのだ。
詩人・谷川俊太郎さんの作で、伝統の言葉遊びの折句なのだという。

 

遊ぶ学ぶで宇宙エレベーター

 

伝説の国語教師・橋本武さんは“遊ぶと学ぶは同じこと”として、<遊び感覚で学ぶ>ことの大切さを説いた。神戸の灘中学・高校で長く教壇に立ち、3年前に101歳で亡くなった。

教科書は使わず、中 勘助さんの小説『銀の匙(さじ)』一冊を、中学の3年間かけて精読する授業で知られた。作品に桃の節句が出てくれば、端午の節句や七夕にも説き及び、横道に大きくそれる教え方だったという。

記憶にも色々あるようだ。“ひまわりを描いたのはゴッホ”というのは一般記憶。対してエピソード記憶は、個人的な出来事の記憶といわれる。自分の生活史の記憶である。
豊富な一般記憶もそれだけでは“歩くインターネットや百科事典”に過ぎない。

エピソード記憶こそが“人格の芯”を成すとの説もある。青少年の頃のエピソード記憶をよみがえらせることで、認知症の進行を遅らせるのに役立つらしい。

 

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日本のゼネコン・大林組が、“宇宙まで到達可能な円筒形のエレベーター”を2050年までに完成させる、というプランを発表。数年前、なにげなく見たテレビで、経営者の方が少年のように目を輝かして語った。

そのエピソードが頭からずっと離れなかったが、今日のテクノロジーでそれは十分に実用可能なことだという。

日本発の先端素材として近年開発が進む炭素繊維「カーボンナノチューブ(CNT)」は、は軽い上に、鋼の100倍程度の強度を持ち、電気や熱も良く伝えることで、産業応用への関心が高まっている。

大林組は40年以内に、カーボンナノチューブ製のケーブルを使い、30人乗りの宇宙エレベーターを計画。高度9万6千キロメートルに時速200キロ、7日間で到達する。観光客は高度3万6000キロに設置するターミナル駅まで、科学者や研究者はその先まで行ける構想だという。地上から建設していくのではなく、宇宙からケーブルを垂らして建設する。

 

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昨年、(国際宇宙ステーションの)日本が建設の実験棟「きぼう」船外の宇宙空間で、JAXA(ジャクサ)が開発の新装置を使い、カーボンナノチューブの耐久性試験を行っている。

静岡大学工学部は今月、国際宇宙ステーションから放出予定の超小型衛星「STARS―C」を公開したという。将来、宇宙ステーションと地上をケーブルで結ぶ“宇宙エレベーター”の実現に向け、“テザー”と呼ばれるひもを伸ばす実験をする装置だ。

宇宙貨物船で宇宙ステーションへ運び、「きぼう」から放出。親機と子機を分離した後、テザーを伸ばして詳細なデータを記録するものだという。それは“宇宙エレベーター”や、“導電性テザー”による宇宙ごみの回収につながる実験である。

数々の高層建造物に挑んできた大林組。一般記憶では及びもつかない遠大な計画と思われたが、(実現に向け)一歩一歩前に進みだしていることはまちがいない。
エピソード記憶に目を輝かせた経営者の方や私も、その実現の瞬間は存命でないだろうが、今から楽しみでワクワクしてしまう。

 

Windows10よりDOSが宝物

 

先月よりWindows10が勝手に更新され、ユーザーが困っているとの話を訊く。
知人は、Windows8のパソコンを使用中にそれが始まり、長時間の中断を余儀なくされた。

開始直前に通知が表示されるが、更新回避の方法がとてもわかりにくいとか。
昨夏公開の“10”は、パソコンだけでなく、スマホタブレットでも共通のソフトを使えるのが特徴。マイクロソフト社は、旧版利用者に1年間の期間限定の無料配布を始めた。

2018年までに10億台という目標だが、思うように更新は進んでいないらしい。
3月時点で、3億台以上の導入だという。ソフトや周辺機器の対応確認や、データのバックアップの手間があるなどで、アップグレードをためらうユーザーも多い。

半強制的ともとれる自動更新は混乱を招くばかりで、7月30日以降1万7600円の有償となれば、ますます敬遠するユーザーが増えそうだ。

 

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Windows10の伸び悩みとは裏腹に、旧OSで動く往年の名機“PC・98”シリーズが、中古市場では根強い人気なのだという。PCの先駆けのPC・98は、1980年代の16ビットマシンである。

当時、ビジネス用途のほか対応ゲームソフトもたくさん出回り、ピーク時の国内シェアはビジネス向けで8割、個人向けで5割以上あったとされる伝説的なマシンである。

それも、インターネット時代に適応したWindows95の登場と、共通規格のDOS/V機が国内外から多く出回るようになると、シェアが低下した。

近年はウィンドウズPCの全盛期も過ぎ、情報通信の主役がスマホやモバイルに移りつつある。完全に使命を終えたかに思えたPC・98が、ネット通販などでは根強いニーズに支えられ、高値取引が続くのだという。

ヤフオク!”の“PC・98”カテゴリーでは千数百件の出品があったり、動作を保証しないジャンク品でも数万円で売り出されているらしい。

 

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80年代後半から90年代前半のバブル経済期に設備投資された工場設備は、開発コストを抑えるため、当時のPC・98でシステムを組むケースが多かったという。そのまま使い続けている工場こそが、今もPC・98の活躍する現場なのだ。

名の知れた大企業も、古い設備の更新に膨大な費用がかかるため、古いPCを使い続けるケースが多いのだ。そのほとんどが、“N88―BASIC”や“MS・DOS”などのOSで動いている。

PC・98シリーズを専門に扱う修理販売ショップもあり、1千台のPC・98を在庫として抱えている。こういう専門業者に頼るしかない現場のニーズは切実で、PC・98が壊れたため生産ラインが止まり、店に駆け込んで来るという。

30年も前のOSとマシンを大事に大事に使っている反面、最新のOSを無料にしてまで、いやがるユーザーのパソコンに乗せたがるOSメーカー。この矛盾と“皮肉な運命”が滑稽に思えてしかたがない。